ノエル19 『子犬とたぬき』




「元々ここは、お父さんとおじいちゃんで細々と野菜を売って暮らしているところだったんです」

 わらぶき屋根の家に招待された私は子犬と一緒にお家の廊下を歩く。廊下はフローリングみたいになっていて、なんと、ふすまがある。かといって、日本家屋かというと全体の雰囲気がかなり違う。なんか、間違った日本を描いた洋画の中の世界みたいだ。


「でもある日、おじいちゃんが偶然、新しいお酒の造り方をみつけちゃって……これは儲かるぞ、とお父さんが盛り上がっちゃったんです」

「うん、私もほんのちょっと飲んでみたけれど、この世界では珍しい味だっだ」

「でも沢山お酒を造ろうと思ったら沢山お金が必要だったんです。うちは貧乏なんで、お父さんはお母さんを連れて出稼ぎに行っちゃいました。なので、今はわたしとおじいちゃんの二羽ぐらしなんです」

 な、なんかちょっと重い話をニコニコしながら話してくるククル。そうなんだね……ククルこんなにちっちゃいのに、おじいちゃんのお世話をたった一羽で……。

 え、あれ?


「二羽ぐらし? ククルのツガイは?」

 そう、魔族は必ず二羽セットで生まれてくる。私にフィリーというツガイがいるように、ククルにだって当然ツガイが――


「そうなんです。わたしが五歳のころ、病気になって死んじゃって。今はわたし、片一羽カタワレに――」

「ごめんなさい。もういい、もういいから……」

 余計なこと聞かなきゃ良かった。

 涙で、前が見えない。

 ……なんでそんな暗い話、ニコニコ話せるの。おばちゃん、もう胸が痛くて痛くて最後まで聞けない。


「あ、おじいちゃんの部屋、ここです。ちょっとここで待っててくださいね。お茶持ってきますから」

「い、いいよいいよ! お構いなく」

 あんな話を聞いた後だと気が引ける。なのにククルは「そんなわけにはいきません!」とトコトコどこかに行ってしまった。

 ……どうしよう。麹があればちょっと分けてもらおうとか軽い気持ちで来ちゃったけれど、あんな話聞いた後だとそんなこと切り出せないよ。


 ……うん。

 適当におじいちゃんとお話して帰ろう。それが一番いい気がする。


 そう思いながらふすまを開くと、そこは酒蔵だった。

 私の背丈より大きな酒樽が並べられ、部屋の隅には空の酒樽が積まれている。


「……おじいちゃんの部屋とか言ってなかった? あの子」

 どう見ても誰かが住んでいるような部屋じゃない。

 壁には大きな棚が打ち付けられていて大きな木槌やへら、たぬきの置物とかが並んでいる。

 ……いや、ちょっと待って。なんで魔族の世界にたぬきの置物があるのよ。


「え、もしかしておじいちゃんって、コレ?」

 たぬきの置物の前に立ちよくよく見てみるとかすかに胸が上下している。呼吸をしているようだ。その太ったたぬきは日本の置物のように草を編まれた大きめの傘を被っていて、胡座をかきながら眠っているようだった。……目は開いているけど。

 背中には亀の甲羅を背負っていて、近くには酒瓶が転がっている。


「もしもーし」

「……」

「ククルのおじいちゃんですか?」

「……」

 ダメだ。反応がない。たぬきは大きな目をかっぴらきながら上を見上げて眠っている。


「お待たせしました!」

「うわっビックリしたっ!?」

 気がついたら隣にククルが立っていた。お盆の上には湯気が仄かに立つ紅茶が入ったカップが二つ置かれている。


「あ、ありがとう」

「またおじいちゃんこんなところで眠っちゃって! お客さんきたよ!」

 ククルは残った紅茶のカップを棚に置き、たぬきの置物を揺すりはじめる。

 あ、やっぱそれ、おじいちゃんだったんだ。っていうか、こんなところって、ベッドとか見当たらないしどこで眠るのが正解なんだろう。


 しばらく揺すっているとがくん、とたぬきの首が動いた。


「ぅん、……ありゃありゃ、ククルかい、大きくなったねぇ」

「朝も見たでしょ。そんなすぐに大きくならないよ!」

「子供はすぐに大きくなるからねぇ、ああ、ばぁさんや、戸棚に焼き菓子があっただろ? ほら、二年ぐらいほったらかしの」

 誰がばぁさんだ。そしてその痛みきった焼き菓子をどうするつもりよ?


「おじいちゃん、この魔族はお客さんだよ。おじいちゃんに会いにきてくれたんだよ!」

「そうかいそうかい、ばぁさんや、客人がきてくれたってよぉ、こんなところによぉ」

 誰がばぁさんだ。ダメだ、理解してるけど理解してくれていない。

 ……私、帰ろうかな。いや、ほんのちょっとだけでも麹を分けてくれれば、料理のレパートリーが無限に広がるんだ。ダメ元で頼んでみよう。


「こんにちは、実は私――」

「あぁんだってぇ!?」

「実は私――」

「ばぁさんは二百年前に死んだだよぉ?」

「それはお気のど――聞いてないよ!?」

「耳が遠いんだよ。もっとはっきり喋ってくれねぇか」

「実は! 私! ここにあるカビを――」

「ばぁさんは二百年前に死んだだよぉ?」

「聞いてないから!!」

 はぁ、はぁ、なんで私こんなところでコっテコテなコントみたいなことしなきゃなんないのよ。


「もう、おじいちゃん! お客さん困っているよ! ほらほら、お酒飲んで」

「おうおう、すまないねぇすまないねぇ」

 ククルから渡された紅茶のカップをグビグビ飲み始める。……お茶じゃなかったの?


「ぅいい、……おや、お客さんかい?」

 急にしゃっきりしたおじいちゃんが私を見つめ、腹をぽんぽんと叩いた。

「うん、おじいちゃんに用事があるんだって」

「サキュバス種かい。すまなかったねぇ、酒が入らないとどうも調子悪くてねぇ」

 空のカップにお酒を注ぎながら笑い出すおじいちゃん。

 ……うん、色々突っ込み所満載だけどもういいや。


「それで、サキュバス種のお嬢ちゃんがこんなところに何をしに?」

「うん、実は私――」

「ああ、カビの件だったのう。確かにここの酒には、ククルカビって名前のカビが使われているよぉ」

 聞いていたんかーい。……ま、まあ、なら話が早いや。


「実は少しだけ株を分けてもらいたくて。お料理に使いたいんです」

「それは難しいのぉ。なんせアレはワシが苦労して作った貴重なカビだからのぉ」

「おじいちゃん、うっかりカビだらけになったお酒飲んだら美味しかったからとか言ってなかった?」

 ククルの突っ込みにおじいちゃんは苦笑いを浮かべる。まあでも、偶然の産物だとしても、発見は発見だよね。


「貴重なものだってのは理解してます。でも私たちの家庭料理にしか使わないですし、他の誰かにも渡しません。それでもだめ?」

「うぅん……」

 たぬきのおじいちゃんは天井を見上げ、考え込みはじめる。

 考えてみたらお酒の原料なんて普通門外不出だよね。それを突然現れて。くれだなんて虫の良い話だ。


「料理……料理かぁ」

「もし難しいなら諦め――」

「いいよ。ククルカビを分けよう」

「ですよね。そんな虫の良い――え、えぇ!?」

 あっさりと出された承諾に、耳を疑う。頼んでいる私が言うのもなんだけど、そんなぽっと出の魔族に渡しちゃって大丈夫なんだろうか。


「ただし、条件がある」

 ほらきた。

「うん、私もタダで貰えるなんて思ってないよ。いくらくらい――」

「いいやいいや、お金はいいよ。それよりも料理ができるんなら、もっと頼みたいことがあるんだ」

「お料理は好きだけど、別に上手なわけじゃないよ」

「構わん構わん。それよりも、この子、ククルに一つ料理を作ってやってくれないか?」

「わたし?」

 ククルが驚きながらおじいちゃんを見上げている。

 何かといえばそんなこと? こんな可愛い子になにか料理を作ってあげるなんて願ったり叶ったりだけど……問題は――

「いいよ。でも、なにを作ればいいの?」

「『浮き雲の忘れ物』だよ。昔ばぁさんが作ってくれた、幻のお菓子だ」


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