王子

幕間  『忠誠の騎士』

【悠人】    


 白石悠人というごく普通の高校生がいた。


 一六歳、高校一年生の頃に、それまでずっと一途に恋をしてきた幼馴染みの東条つばさに告白したところ、謎の石碑が現れ、謎の刺客に襲われた。

 その男は愛する女の死を見つめ、ショックの余り気が付いたら赤ん坊になってましたとさ。めでたしめでたし。


 良く分からないだろう。大丈夫。それから十六年経ったが、俺も未だに自分の置かれた状況が良く分かってない。


 俺はルスラン王国の現国王の子、ロキとして第二回目の生を受けた。

 国王の子……といっても妾の、それも第五王子だ。王位継承権なんてあってない身分。気楽に第二の人生がエンジョイできる。


 なんて気楽に過ごしていたら三歳の頃に暗殺されかかった。調子に乗って宰相と軍事戦略について語り合ったのが良くなかったのかもしれない。

 哀れ俺の二度目の人生、三歳にしてあっけなく終了……とはならなかった。


 それを救ってくれたのが、その後俺と行動を共にするガラハドだ。

 ガラハドはその当時、二十一歳にしてレギオン隊を率いる将軍に成り上がっていた。ルスラン建国史上最年少らしい。

 今でもそうだが、敵百人に囲まれても鎧に傷一つ付かない……なんて化け物だ。将来を期待され、時期大将軍か? と目されていた。


 ところがある日、俺が十歳になった頃、突然ガラハド自身から退役を申し出て来た。

 国内は騒然となった。そりゃそうだ。

 ひとたび戦場に出れば絶対に負けは無し。

 味方からは英雄と崇められ、敵からは姿を見せるだけで畏怖の対象になる。

 ひとたび魔物討伐に出れば巨人型モンスターであろうとも一刀両断する。


 そんな男が辞めることが王国にとってどれだけ不利益か、野に放ったら王国にとってどれだけ脅威になるか。子供だってマズイと分かってしまう。


 だがどれだけ周りが必死に説得しようとも、王自身が止めようとも、更には逆賊の汚名を着せられようともガラハドの意思は変わらなかった。

 理由は明白だ。


 その頃俺は十歳にして、属国の守護という名目で僻地に飛ばされることになっていた。

 そう、ガラハドは 俺を護りたいが為に、俺と一緒にいたいが為に大将軍への道を閉ざそうとしていたのだ。


 結局王国側が折れ、階級はそのままに俺専用の近衛兵として仲良く一緒に僻地へと向かうこととなった。

 以来、ともに畑を耕し、同じ釜の飯を食うという付き合いをしている。


 何故ガラハドがそこまで俺にこだわってるのか?

 これも理由は明白だ。

 

 俺の忠臣ガラハドは……


        ****


【ガラハド】    


 月の無い夜空、降り注ぐ星空の下、一人の少年が木刀を振るっていた。

 邸宅、と呼ぶにもおこがましい小さな家の野晒しとさほど変わりのない芝の上で、一心不乱に架空の敵を倒している。

 精悍な顔つきで、意思の強い鋭い目をした少年だった。


「こんな時間まで鍛練ですか? ガラハド様」

 庭の片隅にある木の上から透き通る声が響いてきた。

 真夜中ではあったが、ガラハドはさほど驚きもせずに樹木を見上げる。


 背の高い樹木の、しっかりとした枝に長いブロンドの髪を持つ少女が座っていた。いつものように隣の私邸から抜け出して来たのだろう。


「今日は遅かったですね。シャルル様。ではおやすみなさいませ」

 ガラハドが深く一礼する。


「あっ待って下さい! 抜け出すの大変だったんですよ」


「当然でしょう。貴族の姫が夜中に男と密会すべきではありません」


「私たち結婚するのですよね?」


「……今はただの許嫁です」

 ガラハドとシャルル、どちらも貧乏貴族と呼ばれる立ち位置ではあったが、家同士の付き合いが深く、また本人たちも前向きであったので、ゆくゆくはという話になっていた。


「さ、危ないですのでどうかお戻り下さい」


「嫌です。ガラハド様。どうか私を受け取って下さいませ」

 少女は枝の上で立ち上がり、そこから飛び降りた。

 慌ててガラハドが駆け寄ると、枝に腕を絡ませて揺れる少女がいた。


「お戯れを……」


「ご心配されましたか?――ひゃっ」

 ずるりと手を滑らせ、今度こそ落下するシャルル。ガラハドはそれを体全体で受け止める。

 鍛えた体ではあったが落下の重みに潰されて、少女と共に芝生に転がった。


「お怪我はありませんか?」


「え、ええ。ごめんなさいガラハド様。大丈夫ですか?」


「鍛えておりますから。……しかし、もうこんなことはおやめ下さい。私には昼間いつでも会えるではありませんか」


「いいえ、私はこうやって二人で、こうやって星空を見上げるのが大好きなのです」

 ガラハドの腕を枕に、シャルルは星空を見上げる。


「今、でなくとも……毎日ともに見上げる日々が来ます」


「本当ですか?」


「……お約束します。シャルル様」

 十四歳の少年は震える手を少女の頭上に持っていき、葛藤の後に元に戻した。


 それから二十年が経過した。

 星空の下、少女と誓い合った少年は、その後剣の才能を開花させ、気が付けば雷の英雄と呼ばれるまでの実力者となっていた。

 二十年のうち、半分の期間は忠誠を誓った王子ロキと共に過ごしてきた。

 僻地で畑を耕し、水路を掘り、動物の世話をする。隠遁生活と呼べるものであったがガラハドは毎日充実していた。


        ****


 王太子勅命で辺境の地から一時帰国したロキとガラハドは、王都中程にあるロキの母親とその従者のみが使う私邸を拠点としていた。


「こんな真夜中にどうしたんだ?」

 星空の下、中庭をあてもなく歩くガラハドにロキが声をかけた。手には光る魔石が握られていた。夜道を照らす灯としていたのだろう。

 ロキとしてはなんでもない仕草のようであったが、実はこれは彼が確かに王族であるという証明になっていた。

 通常、魔石は所有一族が決まっているのだが、ルスランの王族のみどんな魔石であっても利用することができる。

 また所有一族の変更も王族のみが許された能力だ。

 ガラハドも魔石の所持を求められたが、それを辞退した経験がある。己の力のみを磨きたい。ガラハドはそう伝え、実践で証明してみせていた。


「いえ、星を少し眺めておりました」

 ロキはガラハドの言葉に頷き、手に持っている魔石を腰の袋に収めた。夜空を見上げるには魔石の光は明るすぎたからだ。

 過去、少女とともに眺めた星空は今も変わらず満点の煌めきを見せている。


「……昔、……いや、とある世界ではな、こんな夜空の美しい星たちに交じって、一段と大きく、それでいて優しい光を放つ星があったんだ」

 暫くガラハドと同じ空を見ていたロキが語り出す。その言葉には何故か見てきたことのような懐かしさが含まれていた。


「……さぞかし他の星が霞んで見えていたことでしょう」


「その星の名を月と言うんだが……その世界では、女に『愛してる』と伝えたい時は 『月が綺麗ですね』と言えば良かった」


「回りくどい表現ですね。それで伝わるのでしょうか?」


「伝わらないならばそれでもいい。どちらにせよ、男の告白なんざ八割がた自己満足だ。例えどれだけ迷惑だろうとも、伝えるべきことでなくても、それでも……言いたくなる時だってある」

 ロキがたまに見せる、どこか愛おしむ表情。本人こそやっている自覚はないものの、長年付き合ってきたガラハドは幾度となく見てきたものだった。

 ただ、それを聞いてもはぐらかされると分かりきっている。ガラハドは特に深く追求せずに続ける。


「因みに残り二割はなんです?」


「下心だ」


「もっと多いんではないですか?ロキ様の場合ですと」

 ガラハドのからかいに、ロキが騒ぎ出した。本来は『様』ではなく『殿下』なのだが仰々しい敬称はやめてくれ、とロキの願いにより外している。


 しばらくロキと、とりとめのない会話を続けていると中庭を誰かが歩く音が聞こえてきた。


「シャルル様……」


「楽しそうな話し声が聞こえたもので……お邪魔だったかしら?」

 振り向くとロキの母親であるシャルルが立っていた。部屋着にケープを纏っただけの簡易な格好でガラハドを見つめていた。


「い、いえ……いけません、こんな夜更けに外に出られては」


「子供じゃないのですから。低徊くらいさせてください」


「しかし、不埒な輩が出ないとも……」


「まあ、それじゃあ、ガラハド様。守って頂けます?」

 幼き頃と同じように、笑顔を見せるシャルルに、ガラハドはつい、目を奪われてしまう。

 しばらく虫の鳴声だけが響き、大きくロキが咳をした。


「若造は寝る時間だな。じゃあ後は古いもん同士仲良くやってくれ」

 流れる空気に、妙な気を利かせたのだろう。ガラハドが慌てて追従する。


「で、では私も……」


「だめだ。ガラハド。母上の低回に心ゆくまで付き合ってやってくれ」

 それをロキが遮ってきた。悪戯めいた顔で片目をつぶり、去って行く。

 ガラハドは頭を掻いて、シャルルと向き合った。


 シャルルは今年で三十四になるとは思えない程、肌も艶があり、その美貌はガラハドの記憶に残る、若かりし時のままだった。

 まるで、夜空の下で語り合った日のまま、時間が止まってしまったかのように。


「あのお話……考えて頂けましたでしょうか」

 ロキと共に辺境の地に向かい、その後六年ぶりに王都へと帰国した初日、ガラハドはシャルルに呼ばれ、ある一つの提案を打ち明けられた。

 ロキを時期国王にする為に、旗振り役になってくれないか。そんな話だった。


「聞かなかったことに致します。とお伝えしたはずですが」

 ロキは第五王子の身分を気に入っていた。

 王家の格式張った煩わしさを嫌い、国王になる為の策謀を張るなど考えもしていないだろう。

 そんな本人を無視して周りが騒ぎ立てたところで徒労に終わることはわかりきっている。


「私は軍人です。武の人間です。君主に使えるだけが私の使命だと思っております。私の君主はロキ殿下ただ一人であり、殿下が望まぬことは致しかねます」

 ガラハドはそう言ったものの、シャルルが思う本当の計略を薄々とは感じていた。


「私は……私はただ、あなたと共に――」


「いけません。それ以上は。……もう終わったことです」

 シャルルはロキに付き従うガラハドを、自分の近くに迎えたかったのだ。

 僻地ではなく王都の中で。

 例え政略上の付き合いであったとしても、いつも自分の近くにガラハドがいる。そんな状況を作る為に、国内の王位継承騒動を起こそうとしていた。


 いかに政治に疎いガラハドでも感じ取れたことであったが、そうでなくともシャルルの思いを受け取る意思はなかった。


「……そう、ですね。これも忘れて下さい」


「……勿論です」


「一つだけ、伺っても宜しいでしょうか?」

 一児の母となった少女が、過去に愛した男の瞳を見る。

 少年だった男は、愛した女が生んだ子に従い続けている。


「貴方は、私のことを愛しておりましたか?」

 星空の誓いの夜、その二年後にシャルルは国王に見初められた。

 妾の身、ということではあったがシャルルの両親は大喜びでそれを承諾する。

 シャルルが国王の下に向かう際、多額の援助金が両家に渡された。

 貴族、といっても貧しい家柄。許嫁同士を引き裂く謝罪としては十分すぎる額だった。


 自分たちだけのことを考えれば、駆け落ちという選択肢もあった。だが、二人の親と家のことを考えると、とてもではないがそれをする勇気はなかった。


 誰にもどうすることもできないこと。とガラハドは考えている。国王を恨むこともしていない。

 その時力がなかった自分が悪い。今も自分にそう言い聞かせている。


「……私は貴女を奪うことが出来なかった。護ることが出来なかった。そんな私に、なにかをお伝えする資格などございません」


「そう……ですか」


「ですが……自分自身の戒めとして、救いとして、せめてあなたの子に生涯使えると決めております。どんなことがあろうとも、私は殿下に付き従い、お守りします。その行為をどうか、言葉として受け止めて頂きたく思います」

 ガラハドの言葉は、確かな覚悟が込められていた。シャルルの細く僅かな願望を切るに十分な鋭さも。

 シャルルは自分の思いを振り払い。覚悟を決める。ガラハドへの想いを断ち切る覚悟を。


「……ロキを宜しくお願いします。変わり者なので、大変でしょうけど」


「いえ、……これでも楽しく過ごしております」

 事実、ガラハドとロキは歳のひらいた兄弟のように接していた。通常の王族では考えられないことだろう。

 愛する者の家族にはなれなかった。親にはなれなかった。だからせめて従者として、生涯の忠誠とともに歩んでいければ、それでいい。

 自分はとことん不器用だな。とガラハドは心の中で思った。



 ふいにロキの言葉が頭に浮かぶ。

『例えどれだけ迷惑だろうとも、言うべきことでなくても、それでも……言いたくなる時だってある』


 言えばいいさ。とこの場にいないロキが後押ししてきた。


 言えるはずがないでしょう。ガラハドは心の中で笑い、代わりにシャルルに言った。


「……『月が綺麗ですね』」


「へ?」


「……いえ、なんでもありません」

 月の無い夜空、降り注ぐ星空の下、少年と少女は大人となり、それぞれの道を歩んでいった。



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