ロキ13 『人間』


「私は……人間だよ。ただの、人間だ」

 異形の姿になったモルドットが笑う。


「……ふざけるな。こんな……忌々しい姿をした人間がいるはずがない」


「人にとっては忌々しいだろうがな……まあ私は“どちらでも良い”。さて――」

 モルドットは俺の肩から指を抜き、ファティに身体を向ける。


「姫よ。これで分かったとは思うが、私はいつでもこの王子を殺すことが出来る。楽な道を選ばせず、苦しみぬいて殺すことが出来る。もしも、この王子が大事なのならば」

 ファティは腕を後ろ手に回し震えている。

 モルドットから大事な物を隠すように怯えている。


「――余計なことをせず、宝玉オーブをこちらに渡してもらおうか」

 ファティの背には転移石があり、モルドットはそれをしきりに気にしている。

 『魔界』へ逃げる可能性を考えているのだろう。

 ファティが俺を見捨てて逃げるはずがないだろうに。


「……嫌、この宝玉オーブは誰にも渡さない」

 ファティがきっぱりと拒絶する。


「ならば、私はお前と、お前の大事な者を殺す。気が触れるほど苦しませてな」

 ゆっくりと、モルドットはファティに近づいていく。

 ぐじゅりぐじゅりと音を立て、脅威がファティに迫り来る。


「あたしは――あたしは――ッ!」


「能書きはいい! 渡せ!」

 モルドットの長い指が、ファティの首筋に絡まる。

 そしてその瞬間、彼は気がついた。



 ファティが何も持っていないことに。



はこれか?」

 俺は階段の前に立っていた。

 モルドットがファティに気を取られている間に移動していた。


 そして、俺の手には宝玉オーブが握られている。


「貴様……きさまぁ!!」

 モルドットの攻撃からファティを守るため抱きしめた時、俺は宝玉オーブを彼女から受け取っていた。

 そして、彼女の耳元で囁いた。


『――宝玉オーブを持っているフリをしろ』


 ファティの演技力次第の策だったが、上手くハマってくれたようだ。


「ファティを放せ……そして、追ってこい!」

 俺は振り返り、全力で階段を駆け上がった。


 背後から怪異の咆吼が響き渡った。



 背後から訪れる怪異の咆吼を聞きながら、俺は全力で階段を駆け上がる。

 トマトを連続で潰すような、独特な足音が追いかけてきた。モルドットが追ってきているようだ。


「ロキ! 逃げて!」

 背後から訪れたファティの声にちらりと振り返ると、四つん這いになったモルドットが階段を駆け上がっていた。その姿は巨大な蜘蛛を連想する。


「……どう見ても化け物じゃないか!」

 本当に人間なのかアイツは。

 だが、ファティの姿は見えないので安心した。何故かは分からないがモルドットは、宝玉オーブに固執している。

 何も持たない姫を放り出してこちらに向かったのだろう。


 なんとか、思惑通りだ。


「だが、これからだな!」

 全身全霊を込め、ひたすら階段を駆け上がる。

 隠し扉を抜け、聖堂を駆け抜け、扉を大きく開いた。


 暗闇の中、鬱蒼とした森が広がっている。



 俺は迷わず、森の中に入り込んだ。

 道なき道を走り抜け、木洞をくぐり抜け、草を踏みしめる。


 背後ではガサガサと俺を追う足音が聞こえてくる。

 それは徐々に、俺の近くまで迫ってくる。


 まだだ。まだ、捕まるわけにはいかない。


 突如、森を抜けた。散々とした草木に紛れ、白い岩盤が顔を見せ始める。

 俺は駆け上がった。岩と岩の間を抜け、少しでも先に進めるよう走った。


 そして、それは突如終わりを迎えた。

 俺の背に、激しい衝撃が加わり、遅れて濡れた感覚が襲ってくる。

 顔面が大地に近づいていく。傾斜を転がり、身体中に土が付着する。


「……宝玉オーブを渡せ」

 ひび割れが広がり、体中の筋肉が流動している。

 俺を追っている間、更に異形の姿となったのだろう。

 激しく怒り狂ったモルドットが俺を睨み付けていた。



 モルドットは長い距離を走ったにも関わらず、息一つ上がっていない。

 俺はというと、肩から息を吐き、背には切り傷、肩には穴が空いている。

 幸いにもまだ動けるので、そこまで深い傷ではなさそうだが、酷い痛みが襲ってくる。


 ……ここまでだな。もう、十分だ。


「……降参だ。持っていけ」

 俺は握り閉めていた宝玉オーブを大地に転がす。

 だが、あれだけ宝玉オーブ求めていたにも関わらず、モルドットは動かない。


「どうした? 持っていかないのか?」


「……何を考えている?」

 どうやら抵抗しない俺に、警戒をしているようだ。


「……何も。ファティも無事逃げただろうし、俺自身はその石ころに思い入れがあるわけじゃない。奪いたいなら好きにすればいいさ。強いて言うならば……それを渡すから、逃がしてもらいたいけれどな」

 俺の発言に納得したのか、気持ちの悪い笑い声を上げるモルドット。


「私はこの姿を隠し、長い年月暮らしてきた。見た者は全て殺す」

 だろうな。殺意を隠そうともしていない。


「ならば……どうせ死ぬのなら、真相を聞かせてくれないか?」


「真相?」

 ある種諦めきった俺の物言いに、少しずつ警戒を解き始めるモルドット。


「お前のその姿は、人とはほど遠い。……何者なんだ? そして、何故、宝玉オーブを求めるんだ?」


「それを聞いてどうする。最早お前は――」


「戯れだ。ずっと隠してきたのなら、誰にも話したことがないのだろう。誰も知らぬ事を知り、死ぬのも一興だ。最後に、一つぐらい、願いを叶えさせてくれ」


「ふざけるな。私にそんな暇など――」


「いいのか? 死に際に自分の命よりも優先し、真相を知りたがるヤツなんて俺ぐらいだぞ。こんな機会など、そうはないだろう。……それに別に俺だって助言ができるわけじゃない。逝くならば、お前の人生の一部を聞いて、逝きたいだけだ」

 俺の言葉に、モルドットの心に葛藤が沸いてきたようだ。

 動きを止め、何かを考え俺を見つめている。


 まあ、真相の予測はしているがな。

 恐らく、モルドットは……『魔界』と深く関係している。


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