つばさと悠人8 『帝国本陣戦』

【帝国軍 本陣】


 真っ先に異常に気が付いたのは、オリヴィアだった。

 撤退の準備を整え、エルヴェ隊へ送った伝令が戻って来るのを待つ間だった。


「風が……吹いている」

 隣にいたイヴォンが首を傾げる。風くらい拭くだろう。そう体で言っていた。


 オリヴィアは辺りを目配せする。自然砦の中、草花が揺れる。兵達が持つ松明がふわりふわりと揺れる。

 松明の煙が意思を持った様に素早く上空に吸い込まれていく。それはどの位置にある松明でも同じだった。


 オリヴィアは悟った。この自然砦全体で気流が上昇していると。

 そして上空を見上げ、息を呑んだ。


「なんだこれは……」

 いつの間にか、砦の上空は真っ白なもやに包まれていた。

 ぽつり、ぽつり、と川から音が聞こえ、それはすぐに土砂降りの雨に変わる。


「アレクシス様、行きましょう!」

 なんらかの攻撃を受けている。

 そう判断したオリヴィアは慌ててアレクシスに駆け寄る。その間にも雨脚は徐々に強くなってきた。


 アレクシスも状況を見て取り、鶏馬ルロにまたがる。戦利品である子竜とエルデナも別の鶏馬ルロにくくりつけられ、それを引く兵がアレクシスの近くに控えていた。


 オリヴィアとイヴォンも鶏馬ルロにまたがり、自然砦の出口を目指す。するとすぐに出口を見張っていたはずの千人隊長がやってきた。


「伝……! ……リンです! ゴブリン……われてます!」

 ゴブリンに襲われてる。土砂降りの雨の中、途切れ途切れに入ってきた言葉をつなぎ合わせる。


 雨は留まることを知らずに大粒になっていく。悪い視界を凝らして出口を見ると、何か大きな影がうごめいていた。


「キングかよ……畜生め」

 イヴォンが飛び出し、先行して向かっていく。

 その呟きはオリヴィアに聞こえなかったが、行動でイヴォンが何か決意をしたことは分かった。


「イヴォンがやってくれます。間を抜けましょう!」

 ありったけの大声でアレクシスに伝え、それに頷いたのを確認すると、嫌がる鶏馬ルロを半ば無理矢理動かし出口へと向かった。



 雷が鳴り響き、バケツをぶちまけた様な空の中、イヴォンは動く大きな影に近づく。

 出入り口を塞ぐ様に、ゴブリンがウジャウジャと駆け回り、兵を襲っている。その中心で巨体を揺るがして、ゴブリンキングが暴れ回っていた。


「コイツは幾ら金貰っても割に合わないンじゃねぇかね」

 ため息を吐き、手頃なゴブリンを騎乗したまま切り裂いていく。

 すぐにゴブリンキングが気が付くが、イヴォンは距離を保ち、挑発するように左右に動く。


「ほれほれ、こっちに来い。ゆっくりな」

 大雨の中聞こえるはずもないが、自分を落ち着かせる為に声を出す。

 ゴブリンキングさえ引きつけられれば、後はオリヴィアが道を開いてくれる、そんな筋書きだった。


 だがキングは近寄る気配を見せず、代わりにその右手が輝いた。

 巨大な円い岩がイヴォンに迫ってきた。


「うぇっへぇ!」

 慌てて真横に馬首を向け駆ける。回転する巨岩が鶏馬ルロの尾の先をかすめていった。続けざまに岩がうねりをあげ、その隙間を全速力で駆ける。


「頑張れよ、当たったらお前も死ぬけど俺も死ぬ」

 イヴォンが乗る鶏馬ルロに激励すると、伝わったのか「ガゲッ!」と小さく鳴いた。

 不意に地面が歪み、鶏馬ルロの足がもつれてイヴォンごと転がった。

 前転で受け身を取るイヴォンだったが、ぬかるみとは違う柔らかな感触に焦燥を覚えた。


「やっべぇな! こりゃ」

 地面が扇状に光っていた。ゴブリンキングを見ると拳を地面に突き立てている。

 離れようとした瞬間、扇状に土の棘が一気に芽生えた。イヴォンを串刺しにしようと前後左右から棘が襲いかかる。

 だがミスリルの装甲を破ることはできなかった。代わりにイヴォンは空高く舞い上がる。


 回転を重ね、ぬかるんだ大地にうつぶせにめり込んだ。


「ぺっぺっ! 悪いな、旦那。こりゃ無理だわ」

 アーメットの中に入った泥水を吐き出し立ち上がった。錆付いた全身甲冑パレードアーマーは泥に汚れ、骨董品のような風格すら見せている。


「なぁんて言って逃げ出せたらいいんだけどねぇ」

 近づいてきたゴブリンを切り裂いて、全速力で走る。アレクシスの一団らしき影が、ゴブリンキングに襲われていたからだ。


    *****


 土砂降りの雨、暗闇の中で兵は一団としての機能を失っていた。残るはアレクシスの周りにいた五十数人のみ。その兵もゴブリンに襲われ次々に命を失っていた。

 そしてオリヴィアの前にはゴブリンキングの巨体が立ちふさがる。


「イヴォンめ、信じた直後にこれだ」

 吐き捨てて、騎乗のままキングに突撃する。対するキングも両手を挙げ、オリヴィアを潰そうと拳を地面に叩きつける。

 当たる瞬間、体を下げ鶏馬ルロを加速させキングの股下をくぐり抜ける。そのまま持った剣で足の腓腹部ふくらはぎを切り抜いた。


 だが浅い。固い皮に邪魔され、腱まで刃先が到達しない。

 背中側から右に回り込み、再び足を切り裂こうと近づくと、巨体の裏拳が飛んで来た。

 体を傾けすんでのところでかわすオリヴィア。だがそこから更に左の鉄拳が襲いかかってきた。

 ぐしゃり、と腐った野菜が潰れる音が、拳を地面に叩きつけた音に紛れた。

 

 自ら乗っていた鶏馬ルロを捨て、飛び上がっていたオリヴィアが着地する。

 その瞬間、地面に突き刺さった拳を踏み台にして、腕を駆け上がる影があった。イヴォンだ。

 ゴブリンキングの腕を切り裂きながら肩を目指して登る。

 巨体の肩に辿り着くとそのまま首筋に曲刀を叩きつけた。血飛沫と咆哮が上がり、ゴブリンキングは大きく揺れる。

 怒りをたぎらせたキングが肩のイヴォン目掛け平手を打った。それは人が蚊を叩きつぶすような仕草だった。


 だがイヴォンは既に肩から離れ飛び上がり、空中でアルテミスを構えている。


 矢がゴブリンキングの顔面目掛け放たれた。

 連続で放たれた矢は両目を潰し、鼻を貫通し、口の頬に突き刺さる。


 巨体が仰向けになり、大地へと倒れ込んだ。


「今ですぜ!」

 地面に着地したイヴォンが叫ぶ。洪水の様な雨の中、アレクシスに聞こえたのかどうかもわからない。もはや一フィート先すら確認が出来ない視界の悪さだった。

 鶏馬ルロが動く影はない。きっと意思を汲んでもらえたのだろうとイヴォンは自分自身に言い聞かせる。


「悪いな……大将、嬢ちゃん。あっしはここまでだ」

 イヴォンの前にゴブリンキングが立ち上がっていた。

 イヴォンが付けた傷は、全て何事もなかったかの様に消え去っていた。


    *****


 オリヴィアとアレクシスはイヴォンが現れた瞬間に自然砦から脱しようと動いていた。

 残った少数の兵を連れ、ゴブリンを切り捨てながらなんとか自然砦から抜け出した。

 先ほどの土砂降りの雨が嘘のように晴れ渡っていた。

 オリヴィアはすぐに部隊の確認をする。アレクシスは勿論のこと、皇太子を乗せた鶏馬ルロや、戦利品を乗せた鶏馬ルロも無事だった。


「……行きましょう。最悪、全てを捨ててでも、生き残って下さい」

 酷い状況だった。残った兵は三十人に満たない。今何者かに襲われたら、オリヴィアでも守り抜ける自信がなかった。


「済まない……イヴォン。先に行く」

 アレクシスは呟き、ラーフィア山脈へ向かい鶏馬ルロを走らせた。


    *****


 地鳴りが聞こえてきた。

 ゴブリンキングの受ければ一撃必殺の猛攻を避け続けながら、イヴォンは確かに耳にした。

 雷鳴や雨音に紛れ、確かに、大地が動く音がする。

 ゴブリンキングの腕を避けつつ、次に何が訪れるのか、思考する。考える。


 ふいに――全てが繋がった。


 オリヴィアが気にしていた風、突然の大雨。そしてゴブリンの襲撃。これらがもし何者かの攻撃だとするならば、敵の策略は、最後の狙いはただ一つだ。


「そうかい……こンなこと考えるヤツは、相当なひねくれ者だぜ」

 それこそ、俺以上のな。イヴォンは毒づき、自然砦から脱出する為に走る。

 

 だが最早遅かった。

 突然の大雨を受けた大地が決壊を起こし、地滑りが発生する。雨を含んだ地面が、崖が崩壊し、土石流が中心へ向かってなだれ込む。

 崩壊は一瞬だった。自然の砦は、積み木のようにいとも簡単に崩れ去った。

 ゴブリン達も、兵達も、そしてイヴォンも全て土石流の奥底に飲み込まれていった。


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