ロキ2 『属国』

【ロキ③】

 その日の晩飯は、何故か普段より豪勢になっていた。后とガラハドが必死になって作ったらしい。

 今は酔っ払ってベロンベロンになっている領主も、考えさせてくれという俺の発言を受けた直後は目を見開いて驚いていた。


 まあそうだろう。俺にとってみたら悪い話ではない筈だ。今現在でこそ、ルスランの保護を受けているとはいえ、元は優所正しきエスタール王国の王族。しかもファティ自身の器量も良く、俺との仲も悪くない。

 そんな娘をぽんとやるよ。と言ってるのに何故迷う必要があるのかと。


 分かってる。この迷いは、俺に残された最後の日本人としての価値観だと。


 俺の隣でガツガツ飯を食べているファティを見る。美人がコレだけがっつく姿なんて日本じゃそうそう拝めないだろう。


「……ふぁに? ふぁげふぁいよ?」


「いらねぇよ。そんなに口に頬張ってると喉詰まらすぞ」


「うぐっ!」

 ほら言わんこっちゃない。ファティは胸をダンダン叩きながら水を飲む。

 因みにこの国は胸に下着を付ける文化が無い。なので出るところが出てしまったファティの体の一部が小刻みに揺れるのが分かる。

 ……オッサンが変なことを言うから意識しちまうじゃないか。


 ファティのことは嫌いではない。騒がしさに鬱陶しくなる時もあるが、普段から可愛がってきた。

 だがそれは妹に向ける感情とそう変わりない。

 大体、ファティはまだ十五歳の女の子だ。日本だったら中三だぜ。そんな女の子をこんな政略結婚まがいにどっぷり浸らすってのもな。

 いやまあ、それを言ったら俺も十六歳なわけだが……まあ、俺は二度目だし。


「今、子供か! って思ったでしょ?」

 窒息死からの生還を遂げたファティが俺のことをジロリと見る。


「……違うのか?」


「違います! 久しぶりにお肉食べたから詰まらせただけです!」


「犬かお前は」


「イヌって何?」

 今回の問題は要するに、縁談の話が来たけど断りたいからそれなりの理由を用意したいんだぜ。ってことだ。

 その理由が俺との結婚だとか、ファティからしてみればどちらにせよモノとして扱われてるようなものだ。

 当然、本人に拒否権などない。自由恋愛が当たり前だった日本とは大違いだ。


 俺だって今更、自由恋愛に憧れを持つほどウブではないが、それが人間として最も正しい生き方だとは思ってる。

 ファティには好きになった相手と将来を共にしてもらいたい。


 俺はつばさのことを考える。

 あの時の悲しみは今でもハッキリと思い浮かべることができる。


 生まれ変わって早十六年。……いや、たかが十六年だ。そんな程度でつばさの存在がすっぽり抜けるなんて有り得ない。

 だがもう会えない存在だ。あの日、つばさは……


 そんな心境もあって、今の俺は特別な相手という存在を望んではいない。まだまだ遊び盛りのファティだってそうだろう。


「よっし、じゃあそろそろ行くか」

 もうそろそろ潰れるんじゃないかと思ってたオッサンが突然立ち上がった。


「……こんな夜中に何処に行こうってんですか」


「うむ、ちょっと后と散歩だ」


「あ、じゃああたしも」


「いかん! 女の子が夜道をうろついちゃ駄目だ!」


「賊なんてやる奴いないでしょこの辺は」

 仮にいたとしてもこんな屈強なオッサンが横に控えている状況で何をしろと。


「いやいや世の中分からんからな。心配だからロキ、今日はファティマのことを頼むぞ。一晩」


「「一晩!?」」

 ファティマとのステレオになってしまった。何処まで散歩に行くつもりだ。


「ちょっと待ってよ。今日戻らないってこと?」


「うむ、だがとっても心配だから今日はロキと一緒に寝なさい」

 俺の方を見て下手なウィンクをバッチーンってしてる。オッサン、露骨過ぎだろ。


「やだよ。ベッド狭くなるし」

 ああ、そういう理由? だがファティにとっては重要な事らしい、しきりに王に抗議してる。


「はっはっは! じゃあな、行ってくる。今晩は帰らないからな。絶対帰らないからな」

 言いたい事は分かったからオッサン。そんなに念を押さないでくれ。とか思ってるうちに出て行ってしまった。着の身着のままで二人して何処で寝るつもりなんだろう。


「あーと、えーと……どうしよ? ロキ」


「……散歩、行くか。俺たちも」

 なんだろう。とっても、気まずい。この家に留まりたくない。


【ロキ④】

「あーご飯美味しかった。どうしたんだろうね? 今日」


「さあな、何か良いことでもあったんじゃないか?」

 もしくは良いことをさせたいか。


 ……いかん、さっきから余計なことがちらつく。期待に応えられなくて悪いが、思惑にはハマらんぞ俺は。


「そっかな? パパ機嫌いいフリしながら、悩んでたみたいだけど」

 意外と見ているな。まあ自分の親のことだしな。   


「……こうやって夜中歩いてると、昔……森で迷った時のこと思い出すね」


「ああ……あん時は散々な目に遭った。思い出したくもない」

 十二歳の頃、南方に広がるラーフィア山脈麓の森に向かったことがある。山脈から流れる滝を見たいとファティが言い出したからだ。


 行きの道は良かった。一応、エスタール領の一部なので魔物などは入り込まない措置が取られている。俺たちは馬に乗り、何も心配せず南の滝へと向かった。

 滝に辿り着き絶景を眺めてると、遠目にオンボロの『聖堂』を発見してしまったのだ。そして目を輝かせたファティが、そこまで行ってみたいと騒ぎだして……。


 後はご想像の通りだ。途中の森で迷った俺たちは、なんとか聖堂へと辿り着き、一晩夜を明かした後に、翌日這々の体で屋敷へと戻ってこれた。


「私は面白かったけどなぁ~。ロキは真っ青な顔してたけど」


「そりゃそうだ。流石にお姫様を危ない目に遭わせる訳にはいかないだろ」


「あっ、お姫様なんて思ってもないくせに!」


「そんなことはない。……忘れた頃に思い出すくらいにはな」


「むぅ、別にいいけど。あたしはあたしだから」

 おうおう、無邪気に笑っちゃって。ファティは畑の用水路を上から覗いたり、鳴声を上げる虫を捕まえたりしている。……やっぱりお姫様じゃないな。


「もう風呂に入ったんだから、あんまり汚れるなよ」


「そうやって、すぐ子供扱いする。もう大人です」


「そうやって背伸びしてるところが子供だ」

 ダラダラと歩いているうちに、貯水池の近くまで辿り着いた。

 俺が着手した、土木工事第一号だ。水力扇風機の普及に合わせ、一定量の水を町に常に流し続けないといけなくなった。

 もう扇風機無しでは堪えられない体になってしまったので、町民の力を借りて急ピッチで進めた訳だが……その割にはしっかりした物ができたと思う。

 ちょっと……いやかなり大きな設備になってしまったが。


「この町の風景もすっかり変わったね」


「この馬鹿でかい貯水池のことか? 俺もまさかこんなになるとは……」


「これもだけど、さっきの用水路とか、井戸周りの整備とか、立派な荷車を作ってくれたりとか。全部ロキが教えてくれたんだよ」

 この国の水周りは俺が来てかなり増強された。

 特に水路は場所によって、大人でも落ちたら出られなくなるほど深く掘られたりしている。流石に普段は危ないので蓋をしているが。

 まあ、備えあれば憂いなし。水は大事だからな。


「……俺は教えられたことを伝えただけだ。まあ、町の人たちと一緒になってちょっとは掘ったりしたけど」

 なんにせよ、本国にいた頃に職人ガタキのオッサン達と与太話していた経験が生きた。滅茶苦茶かわいがられていたしな。

 社交に出ない分、夜は本を読んでいたから、その知識も上乗せされている。膨大な量の書物があったので読む物には困らなかったし、昼間オッサン達から得た知識の補足に役立っていた。


「それでも、私たちには考えもしてなかったことだもん。ありがと」


「……どうした? 熱でもあるのか?」


「もう! たまには素直になってよ。人が折角……」

 ぶつぶつと何か言いながらふて腐れている。


「……昼間領主にも言われたよ。俺は自分のためにやっただけだ」


「とか言いながら皆のこと考えてるくせに」

 しばらくの間、俺たちは貯水池沿いに目的地もなく歩いていると、いつもの調子ならば放っといてもずっと喋っているファティが急に静かになった。

 と、前を歩いてたファティが振り返る。先ほどの無邪気な表情は消え、凜とした雰囲気に包まれる。


「ねえ、ロキ。一つ聞いていい?」


「俺に答えられることでしたら。どうぞ、お姫様」

 お姫様、に反応するかな。と思ったが返事がない。俺のことをじっと見つめてる。


「どうした? ファティらしくもない」

 俺の言葉に意を決したのか、ファティは口を開いた。


「……私、これからどうなるの? 帝国に行くの?」


「!!」

 驚いた。知ってた……のか?


「……どこでその話を?」


「あたしだって考えてる。帝国の使者が来て、ロキが仕事中に呼ばれた。戦争って気配でもない。じゃあ答えは一つでしょ」


「……まぁ、な」

 産業の少ない田舎の公国。しかもルスランの属国だ。こんなことでもなければ、ターンブルは関わってこなかっただろう。

 しかし、言っちゃ悪いが天真爛漫なだけかと思っていたこの子がまさか感づくとはな……さて、どうするか。


「パパに口止めされてる?」


「いや、そういう訳じゃないが……」

 領主もまさか娘が気が付くとは思っていなかった節がある。俺から話して良いことなんだろうか。

 ……というより俺と結婚するって話が出てるぜなんて、なかなか言い出しにくい。

 ここは――


「あっ、適当にごまかして、パパに説明丸投げするつもりでしょ?」


「ぎくっ」

 流石は六年間、同じ屋根の下で暮らしてきた付き合いだな。俺の表情から素早く読み取りやがった。


「……説明しづらいなら、『はい』か『いいえ』ならいいでしょ。今から私が質問するから、それに答えて」

「いいか、ファティ……今は色々と複雑な――」

「『はい』か『いいえ』で答えて」

 誤魔化そうとした俺の言葉がバッサリと封殺される。

 こうなったファティはなかなか頑固だ。

 ……しょうがない。この状況で、変に不機嫌になられたら余計面倒なことになりそうだしな。


「……ったく、この我が儘姫様――」


「『はい』か『いいえ』で答えて!」


「はい……」

 怖い。なんか鬼気迫るオーラを出してる。もういいや、オッサン、恨むなよ。


「私に結婚の話が来てる」


「……」

 結婚……側室なんだが、どっちだ?


「どっち!?」


「は、はい」

 ま、まあ広い意味では変わらないだろう。怖い。


「それはターンブル帝国の皇族?」


「はい」


「パパは賛成してる」


「いいえ」


「ロキは賛成してる」


「……いいえ」

 王自身が嫌だって言ってるんだ。俺が口を挟むつもりもない。


「……ロキと結婚の話が出てる」


「……はい」

 驚いたな。気が付いてたのか……意外としっかり見ている。


「パパは賛成してる」


「はい」

 というか言い出しっぺだ。


「……ロキは、賛成してる」


「……」

 どうする。どう答えるのが正しい?


「お願い。答えて。ロキは私との結婚に賛成してる?」

 俺を見つめるファティの目は不安で満たされていた。

 過去に森で彷徨ったあの日、聖堂の中で一夜を明かしたあの時よりも遙かに。


 俺はその目を見て、参謀を図ることをやめた。

 誰でもない。俺が思っていたじゃないか。ファティを政略に巻き込みたくないと。


「……いいえ」

 ファティは俺の言葉を受け、うつむく。暗がりでその表情を読み取ることができない。


「そ、か」


「……もういいか」

 どちらにせよ、今回の一件、俺の把握している出来事はこれで全てだ。


「じゃあこれが最後!」


「おい、いい加減に――」


「最後だから!」

 ファティが俺に泣き顔を見せた。

 やめてくれ。お前はいつも笑って喋ってるやつだろ。


「ロキは……」

 俺の返答も待たず、ファティは続ける。


「ロキは……ファティマ=アル=エスタールのことが好き?」


「……」

 それはライクですか? ラブですか? なんて訊けないよな。それに今の雰囲気で、尋ねられている質問はラブのことだと分かりきってる。


「……いいえ」

 ライクではあるがラブではない。まだファティマに、つばさの時のような想いは感じない。


「そう、分かった。……ありがと」


「すまん、だからなんとかお前が結婚しなくていい方法を領主と――」


「じゃあ、私から。ロキ=フォン=ラフォード=ルスラン。貴方に伝えることがあります」

 突然のフルネームの後、場の雰囲気ががらりと変わる。

 急にどうした? 背伸びする必要なんてない。

 そう伝えようとした俺にファテイ……いや、ファティマから言葉が下った。


 それは――


「エスタール公国は、ルスラン王国に使者を送ります。内容はただ一つ。――エスタールは『属国』から『省』へと下ります」


 『属国』から『省』……。


 『属国』から、『省』にだと!?


「はあ!?」


「……条件は、私と、第五王子ロキとの婚姻です」


「ま、まて! まてまて」

 唖然とする俺にファティマは続ける。


「私は、あなたと結婚したいです。パパも賛成しています」

 お姫様はニコっと笑いかけてきた。


 認めるよ。舐めていた。

 この子は王家の血を引いている。どれだけ田舎臭かろうが、しっかりと物事を考えてる。


 ただそれは……非常に碌でもない考えだがな。


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