悠人5 『オリヴィアとイヴォン』


【帝国軍 本陣】    


 居住区に現れたグリフォンの叫び声は、街の外に敷いた本陣の方まで届いてきた。


「なんだ!? 今の音は!」

 簡易の天幕から状況を確認する為、軍団長筆頭オリヴィアが顔を出す。だが知る者がいるはずがない。街の防壁を見ると、時折なにか眩い閃光が光っているようだ。

 オリヴィアはそれを確認するとすぐに司令官アレクシスの下に戻り頭を下げる。


魔族の街ブルシャンでなにかが起こったようです。閣下、安全の為に陣を下げましょう」


「なにか、とはなんだ?」

 アレクシスがゆったりと問いかける。


「それは……」

 オリヴィアは口を塞ぐ。聞き入れられないことは分かっていた。

 なにか予想も付かぬことが起こっていると感覚では分かってる。オリヴィアの培ってきた第六感がここは危険だと伝えてる。


 だが、筆頭といえども一兵の感覚に軍が付き合う道理はないだろう。


「総司令閣下、実はあっしもちょっと嫌な予感がしてましてね。下がれとは言いやせンが、いつでも動けるように兵の準備はすべきじゃねぇかと」


「ふむ……」

 だが普段オリヴィアと意見の合わないイヴォンが助け船を出してきた。意見を対立させて物事を考えるアレクシスにとって、その事態だけでも一考の価値はあった。


「よし、準備を進めろ! それと同時に大至急魔族の街ブルシャンへ伝令を送り状況を聞き出せ!」

 アレクシスの決断と、ほぼ同時に天幕が揺れた。

 第四レギオン軍団長のクレールが慌ただしく中に入ってきたのだ。


「も、申し上げます! 本陣前に魔族一名!」

 大慌てでアレクシスの前に膝をつき、頭を垂れるクレール。


「騒々しいぞ。それがどうした?」

 オリヴィアが苛立ちの声を上げる。たかが魔族一匹。報告するまでもないことだった。だが、クレールは頭を上げ、続ける。


「いえ、それが、その……」


「どうした? 強敵なのか?」

 言い辛そうに言葉を詰まらすクレールに、アレクシスも訝しがる。


「違います。そうじゃありません。ただ、とても、とても……」

 クレールがその身に付けた黒曜石風の全身甲冑パレードアーマーを震わせながら立ち上がる。


「美しいのです!」

 クレールが腰に携えた細剣レイピアを抜きアレクシスに襲いかかった。

 瞬間、右側からオリヴィアの長剣が、左側からイヴォンの曲刀が同時にクレールの体を直撃する。

 二人の剣士から放たれた剣圧でクレールは天幕の外まで吹き飛んだ。


「流石はミスリル。硬いねぇ」

 イヴォンは肩を回しながら見当違いのことを言う。

 鉄製ならば真っ二つに出来る程の腕前であったが、帝国が誇るミスリル施工技術を思わぬところで感じることとなった。

 その横ではオリヴィアがアレクシスの前に立ち意識を集中している。


「よい。イヴォン、オリヴィア。自分の身くらい守れる。討て」

 アレクシスのその言葉は平穏そのものだった。

 忠臣であったクレールの裏切りをすぐに受け入れ、取り乱すことなく指示を出す。


 君主の指示を受け、オリヴィアとイヴォンはともに天幕を飛び出した。

 そこで待ち構えていたクレールが高速の突きを繰り出す。だが、予測していた二人は難なく避け、左右に散った。


 右からオリヴィア、左からイヴォンの波状攻撃がクレールに襲いかかる。

 だがクレールはその手に持った細剣レイピアを素早く動かし、二人の剣撃を斜めに当て、ことごとくいなし、受け流す。


「大変です! 謀反です!」


「知ってる!」

 場の空気を読めない一般兵からの伝令に律儀に答えるオリヴィアだったが、決して余裕がある訳ではない。

 クレールは二人の攻撃を受け流しながら甲冑の隙間を正確に狙ってくる。


「嬢ちゃん、こりゃぁおかしくねぇか?」

 素早い剣撃を繰り返しているとは思えないほどのんびりした口調でイヴォンが言う。


「奇遇だな! 私も思ってた。こいつクレールが裏切った時からな!」


「ちげぇよ。それもオカシイが、ちと強すぎンじゃねぇか?」

 イヴォンが曲刀を両手で持ち脳天を割ろうと振りきる。

 対するクレールは人とは思えないほどの反応速度でそれを交わし、反撃に転じる。

 イヴォンが身に付ける全身甲冑パレードアーマーの隙間目掛けレイピアを突き刺そうと右足を踏み締めた。

 その隙を狙い、クレールの右足にオリヴィアの長剣が迫る。

 クレールは咄嗟の判断で、踏み締めた右足を蹴り上げ宙に回転して避けた。


 仮にも軍団長筆頭と親衛隊長の同時攻撃。クレールも軍団長としてそれなりの腕はあったが、それでも、ここまでの技量がある男ではなかった。


「報告します! 第四レギオン隊が次々と謀反しております!」


「今忙しいンだけどなぁ。ちっと自分らでなんとかしてくれぃ」

 曲刀と細剣レイピアが交差し、連続の火花が上がる。

 そんな中、オリヴィアは二人から少し離れた場所に立ち、構えをといていた。


「お疲れか? 嬢ちゃん。オジサンも休みたいぜ」


「うるさい! 黙れ!」

 イヴォンの軽口を振り切り、集中する。無造作に攻撃してもいなされるだけ、ならば。


 考えを纏めたオリヴィアは再び長剣を構え、疾走して間合いに入り斬りかかる。その動きを見たクレールは、軽快な動きで後ろに飛び下がり間合いを広げる。

 斬撃が空を切る。クレールの中での未来はそうなってた。


 だがその予測に反し、長剣が飛んで来た。オリヴィアがクレールの顔面目掛けて投げつけたのだ。

 クレールは咄嗟に上体を反らして避ける。長剣は全身甲冑パレードアーマー頭冑アーメットを掠め、面頬バイザーを押し上げ、クレールの上空を通り過ぎていく。


 次にクレールが見た光景は、イヴォンが飛び上がりアルテミスを構えている瞬間だった。

 押し上がった面頬バイザーからクレールの素肌が見えている。それはほんの少しの隙間であったが、そこにアルテミスの矢が吸い込まれた。


 矢はクレールの頬骨を貫き、後頭部を貫通し、頭冑アーメットを内部から振動させて止まった。


 クレールの手にあった細剣レイピアが地面を転がり、そのまま後ろに倒れ込んだ。


「いつつ、準備運動もなしに動くもンじゃねぇな」


「まだだ。このまま反乱を抑え……」

 オリヴィアが愛剣を拾い上げ、陣を見渡した瞬間愕然とした。イヴォンもそれに気が付き、言葉を失う。


「なんだ……これは?」

 陣の至る所に、 おびただしい数の蝶が舞っていた。

 橙色オレンジに光る蝶の群れが、きらめく鱗粉りんぷんを振りまきながら陣の中で飛び回っている。

 とても現実の物とは思えない程美しい光景に兵士達は困惑しつつも見とれていた。


 一兵が手のひらに蝶をとめた。飛び回る美しい蝶を、もっと間近で見たかったからだ。

 もう片方の手で、橙色オレンジに発光する羽を触ろうとした瞬間、それは起こった。


 蝶が凄まじい勢いで爆破した。


 兵の手は粉々に砕かれ、顔を焼かれ、自分の身になにが起こったのかも分からぬまま倒れ込んだ。


 それを皮切りにして、陣のいたるところで爆風が吹き荒れる。悲鳴が伝染していく。

 蝶の正体に気が付いた兵達が逃げ回る。だが陣の中に逃げ場などなかった。


 味方に押された兵が蝶に当たり、腹部から腸を撒き散らしながら吹き飛ぶ。

 橙色オレンジの死神が頭の上にとまっている。そのことに気が付かず脳を爆散させる。

 爆風に飛ばされた肉と装備の破片が体に突き刺さりうめき声を上げる。

 糧食が次々と爆破し、燃え上がる。


「まぁずいンじゃねぇか、こりゃ……」

 流石のイヴォンも軽口を叩ける状況ではなかった。


「落ち着け!」

いつの間に外に出たのかアレクシスが天幕の外に立っていた。


「持てる者は石を持て。射撃が上手い者はアルテミスを使え! 羽に当てれば爆破する。一匹づつ、落ち着いて対処せよ!」

 総司令官の檄に、少しは落ち着きを取り戻した兵が伝令を繋げていく。


「オリヴィア、イヴォン。行くぞ」

 アレクシスがマントを翻し、歩みを勧め始めた。


「ど、どこへですかい?」


「本陣前だ。元凶に会いに行く」


 その後言葉を口に出さない司令官に頭を下げ、オリヴィアとイヴォンはすぐに動ける兵を三千ほど集めた。

 アルテミスを駆使して蝶を退けつつ魔族の街ブルシャンを見渡せる本陣前まで辿り着く。



 そこには黒いローブを身につけた女が一人、足を組んで座っていた。


 女の着るローブは体の中央に切れ目スリットが入っていて豊満な胸をこれでもかと主張している。


 横にも切れ込みが入っているのか、形の良い脚が交差された上で柔らかそうな白い素肌を晒している。


 妖艶ようえんな姿ではあったが、誰一人としてそこには注意を払わない。

 女の座る椅子が人間だったからだ。

 裸の兵を四つ這いにして、その背を椅子に見立て腰掛けていた。

 座られた兵は恍惚こうこつな表情を浮かべ、だらしないあえぎをあげている。


「あれは……そんな、馬鹿な。馬鹿なッ!――」

 女の姿を見たオリヴィアに戦慄が走る。

 そして、隣にいたイヴォンもそれは同じだった。


「嬢ちゃん、それ以上言うンじゃねぇ。……もしも、もしもそう・・なら……」

 甲冑の中にある、イヴォンの首筋から汗が流れ落ちる。

「畜生め、最悪の事態だ」


 アレクシスを見つめる女が両手を広げる。 

「やっと来たのね。あなたが一番偉い人間かしら?」

 姿形は女だった。だが明らかに人間ではない。女の背中からは蝙蝠こうもりの翼が、頭からは山羊の角が生えている。


「ふぅん、やっぱり皇帝は来てないんだ。今はセスデウスだっけ? 元気してる?」

 皇帝の名を呼び捨てにする女に対し、誰一人不埒な、と叫ぶことが出来ない。


 否、この女であればそれも許されるだろう、そう思わせる妖気を身に纏っていた。


 イヴォンとオリヴィア、二人の頭の中では、共通した一つの絵画が浮かんでいた。

 帝国領の片田舎、とある屋敷で見つけた絵画。

 人間の世界で最も美しく、畏れられた存在が描かれた絵画。


「やはりお前か、サキュバス……いや」

 アレクシスの続く言葉を、女は妖しげな媚笑びしょうを浮かべて待つ。


「『帝都の厄災』エルデナ!」


        ****


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