悠人3 『親子』

【悠人⑤】

 城下街の端から遠く離れた、川のせせらぎと草木のなびく音だけの土地に、ラーゼファー家の屋敷はぽつんと置かれていた。

 その外見は一目見て分かるほどボロボロで、庭木は乱雑に扱われ、屋敷周辺の雑草は伸びきっている。

 使用人一人雇っていない証拠だろう。


「これは……風情のあるお屋敷ですね」

 横に立つガラハドが聞き取りようによっては嫌味になってしまうフォローを入れる。


「申し訳ありませんわ。本当なら、私どもが向かわねばなりませんのに」

 先導するカロリーヌも心なしか小さくなっている。家を見上げる俺の表情から何か誤解したのかもしれない。


 カロリーヌから暗殺されかけ、その後招待を受けた俺は、翌日早速とばかりにラーゼファー家へと向かっていた。

 道中、仕切りに謝っていたが、こういった事情だったのかと納得した。


「気にすることはない。少し、思っていた印象が違っていただけだ」


「元『英傑』といっても、昔の話ですわ。今は見てのように、没落しております」


「こちらに『弓の英傑』ゴラム殿がお住まいなのですね」

 カロリーヌに反して、ガラハドは目を輝かせている。

 それもそうだ。現在、大陸東半分を支配するルスラン王国だが、昔からそうだった訳ではない。ほんの五十年ほど前までは一地方の一国家に過ぎなかった。


 俺の親父、現国王とともに力を合わせ功績を残した『英傑』達。

 そのうちの一人がこのオンボロのお屋敷に住む、ゴラム=ラーゼファーだ。

 騎士である人間達にとってはスターのような存在なのだろう。


「“お父様”のところまでご案内しますわ」

 カロリーヌが一礼し、屋敷の扉に向かい歩き始めた。

 “お父様”。半獣のカロリーヌはそういった。


 『弓の英傑』ゴラムは半獣だったのか? とガラハドに聞いたところ、こう答えた。

『いいえ、寧ろ、“半獣”を毛嫌いしていた筈です。言い伝えとして、“半獣”の集落をいくつも滅ぼした逸話があります』


 家に来てくれとの、カロリーヌの申し入れの後、俺自身も気になってゴラムの事を調べてみたが、やはり同じような逸話に溢れていた。

 弓の名手であったゴラムは、少数の部下を引き連れ、ルスラン周辺の獣人集落を根こそぎ壊滅させていった。

 省略するとそんな話ばかりだ。


 そんな『英傑』と半獣の女が親子となっている。

 半獣の仇とも言える相手にも関わらずだ。


 *****


「お父様、ただいま戻りましたわ」

 ゴラムの寝室に入ったカロリーヌは、羽織っていたローブを脱ぎ、コートハンガーにかける。

 寝室全体は綺麗、というより物が殆ど存在せず、コートハンガーの他は中央にベッドが設置されているだけだった。


「おう、戻ったか。……お客さんか」

 ベッドの上には部屋着を着たガタイの良い爺さんが胡座をかき、俺達の値踏みをするように見つめている。


「殿下、こちらがお父様、ゴラム=ラーゼファーですわ」


「殿下……? おお、ではもしかするとお前さん、ロキ殿か?」

 顔は細めだが長く真っ白な顎髭を蓄えていて、それが猛者の風格を漂わせている。


「第五王子、ロキです。お目にかかれて光栄です。『弓英』ゴラム殿」

 ベッドの脇で一礼し、椅子に座った俺に、笑顔を輝かせるゴラム。


「よい、よい。固い挨拶など抜きですわ。国王陛下の息子達の中で、お会いできていないのはロキ殿下だけであった。ワシも、光栄に思っております」

 ゴラムの太い腕が俺の前に差し出され、両手を握り閉められる。

 痛い、こちとら十歳の身体なんだ。少しは手加減しろ。


「ではお互い、固い言葉は抜きで。こちらはガラハド。俺の従者だ」


「おお、『雷』のガラハドか。知っておるよ。中々の武勇伝を持っておるな」


「いえ、ゴラム殿に比べたら、私などまだまだです」

 俺の後ろでガラハドが深々と頭を下げる。


「ふむ、良い目をしている。中々の人材を得ましたな。王子ロキ殿も」


「本当に、俺には勿体ない人材だ。それよりも、話していて大丈夫なのか?」

 事前にあったカロリーヌの話では、重い病にかかり、寝たきりとなって長いと聞いている。

 今ベッドの上にいるガタイの良い爺さんのこととは到底思えない。


「なあに、ワシはまだまだいける。……と言いたいところだが、少し横にならせていただいても宜しいかな?」

 俺の頷きを経て、ゴラムは固そうなベッドに横たわり深い息を吐く。


「それにしても、カロリーヌが男を連れ込むとはな。驚いたぞ」


「言い方が悪いですわ。……突然、連れてきてしまい戸惑われたかと思いますが、どうしても、お父様にお目にかからせたかったのです」


「そうか、そうか。……折角の機会だ、少しロキ殿と二人にしてくれないか?」

 ゴラムの顔は笑っているが、鋭くカロリーヌを睨み付けている。

 カロリーヌもその雰囲気を読んだのか、「お邪魔のようですので、食事の準備に向かいますわ」と部屋を去って行った。


「ガラハド殿も、宜しいかな?」


「……外におります。何かあれば、すぐにでも」

 ガラハドも戸惑いつつ、部屋を後にする。

 寝室には俺とゴラムだけが残された。


「さて、……ロキ殿」

 眼光の鋭い爺さんが俺を睨み付ける。


「ここにお越しいただいた理由はカロリーヌの事ですな。“何故、『英傑』が半獣を娘にしているのか”と」

 場の雰囲気が一気に変化する。

 『英傑』と『王子』。そんな立場を持った人間達の“社交”の場へと。


【悠人⑥】

「当時のワシはまだ、向こう見ずで、野蛮でした」

 事は十二年ほど前まで遡る。

 全盛期ほどではないにせよ、自らの武勇を誇っていたゴラムは配下を引き連れ、“半獣”討伐に明け暮れていた。

 大陸全ての半獣を根絶させる。

 そう目標を打ち立てたゴラム隊は戦果を上げ続け、ルスラン領土内の半獣集落は根こそぎ滅ぼされ、それに合わせて奴隷市場も活発化していった。

 そんな勢いづいていたゴラム隊にひとつの情報が舞い込んできた。


 ――城下街に、半獣の家族が暮らしている――


 国王のお膝元である城下街に憎き半獣が暮らしている。

 半獣根絶を掲げるゴラムにとって、それは由々しき事態であり、見過ごせるものではなかった。

 『英傑』の一人として自らの武に絶対の自信を持っていたゴラムは、一人で情報のあった民家へと向かった。

 そこで出迎えてきたローブを被った男のフードを剥がし、半獣であることを確認し、斬り殺した。男の妻も斬り殺した。

 念の為に、と家を物色したところ、ゴラムはそれを見つけてしまったのだ。

 まだ生まれたばかりの、赤ん坊の半獣だった。

 その赤ん坊は、ゴラムを見つけると、“笑いかけてきた”。


「憑きものが落ちたようでした。ワシは沢山の半獣を殺し、沢山の集落を潰してきた。だが、半獣の赤ん坊を見たのは、初めてだった」


「……変わらなかったんだな」


「ええ、人間の赤子と、何一つ変わりませんでした。ただ、耳の位置が違うだけ。先刻、親をワシに殺されたばかりだというのに、無邪気に笑っておりました」


「……それが、カロリーヌか」

 俺の問いかけに、ゴラムは頷く。


「殺せませんでした。敵意一つ向けぬ存在を殺めることはできませんでした。……気がつけば、ワシは、自分の屋敷にカロリーヌを連れ帰り……我が人生に後悔しておりました」

 その殆どを“半獣”根絶に費やした人生。

 “半獣”を憎み続ける心。

 『英傑』の誇りをたった一晩で、カロリーヌが塗り替えてしまった。


「ワシはもう、“半獣”に弓を引くことはできませんでした。退役を申し入れ、国王に多額の金を支払い、無理矢理ではあったものの、『英傑』としての幕を下ろしました」


「そしてカロリーヌを育てた、という訳か。自分の娘のように」


「罪滅ぼしにもならぬのはわかっとります。それでも、ワシに本当の道を教えてくれたあの子を、ワシ自らの手で育てたかったのです。せめてあの子だけでも、人の子のように、幸せになってもらいたかったのです」

 ベッドに横たわり、遠い目をしていたゴラムが起き上がり、正座となって俺に向かい合う。


「ロキ殿下。こんなことをお頼みできる立場はないのは分かっております。それでも……どうか“お見逃し”いただけませんでしょうか」


「……何を“見逃す”?」


「殿下がなぜ、カロリーヌが半獣であることに気がついたのかは分かりませぬ。他にどれだけの人間がこの事実を知っているのかも分かりませぬ。ただ、どうか、お見逃しいただけませんでしょうか。あの子を、“半獣”ではなく、“人”だと思い、お見逃しいただけませんでしょうか」

 元『英傑』が土下座に近い形で俺に頭を下げる。

 国を作り上げてきた歴戦の戦士が、王族といえども十歳のガキに頭を下げる。本来であれば何よりもの屈辱だろう。

 それでも、この男は、自分のプライドよりもよっぽど大事なのだろう。自分の娘の未来が。


「それは、無理だ」

 俺は姿勢を変えぬまま、男へと言い放つ。

 男ががばりと、顔を上げた。


「カロリーヌは“半獣”であり“人”ではない。それは事実だ」


「……で、ですが、どうか」


「まあ聞け。……だがそれがどうした?」

 俺の言葉に男は目を丸くする。


「“半獣”であっても、旨い物を飲めば旨いと感じる。怯えもするし、悲しみもする。楽しいことがあれば笑うだろう。……例えば、俺の目の前に居る、厳つい顔を見た時だとかな」

 カロリーヌがこの部屋に入った瞬間、ゴラムを目にした瞬間、表情が和らいだ。

 彼女にとってゴラムは父として、安心できる存在でいるのだろう。


「“半獣”は人間と何も変わらない。誰でもない、お前自身がそう思ったのだろう? カロリーヌが赤子の時にな。俺だって同じだ」


「では……」


「安心してくれ。俺は“半獣”を討伐しに来たわけでも、咎めに来たわけでもない。ただ、事情を知りたかっただけだ。今まで通り、親子仲良く暮らしてくれて構わない」

 俺の言葉にゴラムは涙を浮かべ、安堵の表情を浮かべる。

 歴戦の将なだけあり隠されていたが、やはり王族の俺がわざわざ足を運んできたことに危機感を持っていたのだろう。


 奴隷であり、毛嫌いされている“半獣”を娘にしている。

 それを王族に知られたとなれば、気が気ではなかっただろう。

 事実、俺以外の王子であったならば、恐らく親子共々首を並べあっていた筈だ。


「もう一つ言うならば、俺はカロリーヌの事を気に入っている。“貴族”であり、“弓の名手”であり、“半獣”である。世界中探したとしても居ない希有な存在だ」

 美人になりそうな顔立ちだしな。出来ることなら手元に置いておきたいくらいだ。

 ……変な意味ではないぞ。あくまでも配下としてだ。


「弓はワシが教えました。血の所為かスジが良く、今ではワシに並ぶほどの腕前かと……しかし、なぜそれを?」

 なるほどな、カロリーヌは俺の暗殺を請け負った事を隠しているのか。

 まあ、そうだろうな。王族に矢を放ったと分かったらどうなるかは、元『英傑』ならよっぽど分かっている筈だ。

 俺が良しとしても切腹しそうな雰囲気を持っている。


「まあ、気にするな。……大体の事情は分かった。だが、半獣と知られず暮らしていくのは大変だろう。もし、何かの弾みで、誰かに知られてしまった時は、俺を頼れ」


「……宜しいのでしょうか」


「構わない。都合良く、俺はもうすぐエスタールに移り住む事になっている。城下が暮らしにくくなったとしても、エスタールまでは噂は広まらぬだろう。いざとなれば、カロリーヌを侍女として引き取ろう」


「殿下……ありがとうございます!」

 ゴラムの大きな声が寝室に響き渡った。

 これで、懸念点は後一つだな。


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