②<少女2> 『新たな生活』

②【ソフィア】

「うぁあ、きったなー……」

 扉を開けた瞬間、広間に長年積もった埃が風に舞って広がっていく。

 それを見て、新天地を見て浮かれていたマシューの顔が一気に険しくなる。


「家具は一通り揃ってるみたいで良かったわ。……先ずは掃除からね」

 奥の部屋から出てきたお母さんの手は既に真っ黒になっている。

 五十年分溜まりに溜まった汚れ。手強そうだけど、私なら勝てる。


 さあ、いくよ。


 と言うわけで、新居に辿り着いて早々に、私とお母さんは雑巾を片手に家中の汚れと格闘することになった。

 マシューも一応手伝うけれど、貧弱だからすぐに飽きて家の中をぷらぷらするだけの存在になった。相変わらず碌な役にたたない。


 私とお母さんの頑張りで家の中はみるみる綺麗になっていき、夜になる前にはある程度は我慢して住めるような状態に変わっていた。


 そして、私達家族三人の、新たな生活が始まった。


*****


「この、ずっと湧き出てくる水、どんな原理なのかしら?」

 台所に立ったお母さんが細工が施された金属の筒を前にして、首を傾げる。

 私も気になっていた。

 その筒は先のほうが魚の形をしていて、口から水がずっと流れている。

 その水は壁に沿って掘られた溝を伝って家の外に流れていく。


「飲めるみたいだし、気にしないでいいんじゃない」

 深く考えてもしかたないよ、という私の言葉に納得したのかしていないのか、お母さんはそれ以上続けることもなく料理を続けだした。

 不思議だけど、考えても分からない事は分からない。なんにしたって、井戸を使わなくていいのは便利だ。


   *****


 短く刈り取られた芝生が広がる庭の真ん中で、私とマシューの影がぶつかり合う。

 金属同士が擦れ合う音が連続して響く。


「ほら、右、左、右、足下お留守だよ!」

 ぱしん、と軽い音を立てて、私の持った細剣の刀身がマシューの太股を叩きつける。


「ってぇ!?」

 マシューが自分の持つ細剣を放り投げ、太股をさすりながら私を睨み付ける。


「何よ、言っとくけど、稽古付けろって言ってきたのはそっちだからね」


「だからって、ちょっとくらい手加減しろよ、この性悪女」


「あぁん? なんか言った?」


「ちょ、痛っ、痛いって!」

 細剣でペシペシとマシューの頭を叩く。

 練習用だから無茶な使い方しない限り安全だ。だから遠慮無く叩ける。


 ……もう、ほんと、心苦しいけど、可愛い弟の為だからしょうがない。

 ちょっと厳しくなっちゃうのもしょうがない。

 だってぇ、強い男に育ってもらいたいからぁ。


「糞ソフィア! ニヤニヤすんな!」

 危ない危ない、顔に出てしまっていた。


   *****


「あなた達、また喧嘩したのね。仲良くしなさいって言ってるでしょ」

 晩ご飯の食卓。

 顔や手が擦り傷だらけになった私達を見て、お母さんが深いため息を付く。


「僕は悪くない! ソフィアの所為だ!」


「アンタが飛びかかってきたんでしょ!」

 まぁ、その前にマシューの色んなところを細剣でペシペシしてたけど。


「うるさい! お前なんか消えちゃえばいいんだ! 魔物に食べられちゃえばいいんだ!」


「人間なんで消えませーん。この辺りは魔物もいませーん。残念でしたぁ」

 その後、割って入ってきたお母さんに私とマシューのにらみ合いは中断させられて、何故か私だけが夜通し叱られた。

 お姉ちゃんなのに、口が悪すぎるとクドクド言われた。

 私は悪くないのに。とばっちりだ。


   *****


 夜、ふと目が覚めてしまった私は水を飲みに一階へと降りる。

 今更だけど、新しい家は二階建てで、私とマシューは二階の部屋を一部屋づつ自分の自由にできる空間として割り当てられている。


 外から見た感じだと、二階の上に斜塔があるけれど、そこには登れないみたい。

 多分、おじいさんが改装したときに斜塔に登る部分を無くしちゃったんだと思う。

 実際あっても使わないんだろうけど、ちょっと残念だ。


 台所に設置された魚型の筒から流れる水を飲んで、自分の部屋に戻ろうとした時、私の耳にうっすらと、聞き慣れた音が聞こえてきた。

 細剣レイピアを突くときに出る、空気を裂く音だ。

 

   *****


「……あんた、何してんの?」

 寝間着に外套を羽織っただけの格好で外に出てみると、マシューが暗闇に紛れ、細剣レイピアを不器用に振り回していた。


 汗だくになったマシューの黒髪から水の滴が流れ落ち、休憩場所に取り付けられたランタンの光に照らされながら次々に地面へ吸収されていく。


「げっソフィア……」

 マシューの顔がまるでお化けを見つけた時みたいに真っ青になる。


「秘密の特訓でもしてるつもり? 別にそんなの格好良くないよ」


「う、うるさい! 別にそんなつもりじゃない!」

 とか言ってるわりには動揺してる。絶対そうでしょ。


「いくらやっても、私には勝てないよ、あんたは」


「そんなの、やってみなきゃ分からないだろ!」

 分かるよ。私はこれでも王都に居た頃は、剣術大会少年少女の部で準優勝になったこともあるくらいの腕前だ。

 細剣レイピア同士なら、そこんじょそこらの奴らに負ける気はしない。

 当然、このクソガキマシューにだって、負けるつもりなんかない。


「大体、なんで細剣レイピアなのよ。あんただって、私の腕前知ってるでしょ? 同じ事してても私には絶対勝てないよ」

 長椅子に座り、伸びをする。冷たい夜風と虫の鳴声が私の身体を安らげてくれる。

 王都から来たばかりの頃はどうなるかと思ってたけど、慣れてきたら、こんな生活も悪くないのかもしれないと思えるようになってきた。

 買い物はほんっっとうに不便だけど、王都に居た頃と比べて人も、環境も何もかもがゆったりとした空気が流れていて、自然と心が穏やかになっていく。


「別に……ねぇちゃんに勝つつもりでやってるわけじゃない」

 あら珍しい。いつも私の事、呼び捨てばかりなのに。


「じゃあ、なんでやってるの?」


「ねえちゃんが強いの分かってるけど、それでも女だから」


「は?」

 いやまあ、私は女の子だけど、それがどうした。

 男の子にだってそうそう負けないつもりだけど、そういうこと?


「お父さんと離ればなれになって……この家に居る男、僕ひとりだろ」

 いつもの生意気な弟とはまとう雰囲気が違うことを感じ取った私は、続く言葉に黙って耳を傾ける。


「前にお父さんに言われたんだ。何かあった時、お父さんがいない時は、僕がふたりを守れって。それができる、強い男になれって言われたんだ」

 ……なるほど。

 お父さんが居なくなった今も、その言葉を律儀に護っているわけね。


「僕は……僕はねえちゃんから剣を教わって、そのうちねぇちゃんより強くなって……お母さんとねぇちゃんを護る。そうお父さんと約束したんだ」


「……馬鹿だね。ホント。私だってまだ十三歳だよ。これからまだまだ強くなれる。それを追い越して、私より強くなろうなんて十年早いよ」


「だったら、僕はそれよりも早く成長する!」

 男って馬鹿だね。別に家族相手で男も女もないのに。

 お母さんに何かあったときは私も護るし、マシューにも護ってもらう。

 家族なんだから、いざって時にそうやって助け合わなきゃ。


「だったら、先ずはそのへなちょこな構えをどうにかしなさい。……剣を水平にして、腕と合わせて一本の線みたいにする」


「! ……こんな感じ?」

 素直に私の言葉を飲み込んで、剣を構えるマシュー。


「そう、その体勢のまま、しばらく動かずにいなさい」


「しばらく、ってどのくらい?」

 マシューの腕は早速プルプルしてきている。どんだけ貧弱なのよ。


「……剣、取ってくる」


「へっ?」


「私が剣取ってくる間、その体勢してなさい、って言ってるの」

 私の言いたい事をやっと理解したのか。満面の笑みで頷くマシュー。

 ほんと、面倒くさい。なんでこんな真夜中に、私がクソガキの稽古を付けなくちゃいけないのよ。


 ……でもまあ、いいや。今日はたまったま、そんな気分になっただけ。

 別にいつもって訳じゃないし、今日くらいは、馬鹿で気真面目な弟に付き合ってやるか。

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