幕間 『純白の騎士』
【オリヴィア ラーフィア山脈】
オリヴィアの周辺を囲うようにドラゴンの口から炎が吐き出される。
火で作られた円状の壁。その内側にオリヴィアは閉じ込められた。
ここまでだな。オリヴィアは覚悟を決めた。
アレクシスとの距離はかなり開いていた。運が良ければドラゴンに襲われる前にラーフィア山脈を越えられるはずだ。
その希望が有るならば、この命惜しくない。
オリヴィアは剣を納め、麻袋を開いて二匹の子竜の拘束を解き放つ。
「……済まなかったな。窮屈な思いをさせて」
浮かぶ子竜達の体にミスリルの指を這わせる。
「……お父さんだ!」
「戻って来た!」
子竜達は自分の状況を把握して、銘々に喜び合う。オリヴィアはそれを見て、アーメットの中で微笑んだ。
『これで良かったのだろう。戦争は仕方ないにしても、この子らは巻き添えになっただけだ。こんなことで自分達の罪が軽くなるとも思っていないが、最後に少しだけ、救われた』
オリヴィアは空飛ぶ竜に向かい両手を開く。
「偉大なる竜よ。私の命、そなたに差し上げる。ただ、一つだけ、……叶うのならば一つだけ私に願うことを許してもらいたい!」
白い竜が星空からオリヴィアの前に降り立った。
「言うてみよ。人間よ。命乞い以外ならば考えてもよい」
「私の体を少しずつ、出来うる限り長く食してもらいたい。生かさず、殺さず、四肢を抜き味わい、私の意識が途絶えるまでゆっくりといたぶってくれ」
ある種凶人めいたオリヴィアの願いに、竜は目を細める。
「一緒におった人間達の為か。……何故そなたはそこまでする?」
「私は奴隷だった。不埒な主人に拾われ、毎日地獄のような日々を送っていた」
オリヴィアはまだ少女と呼べる時代、外面だけのよい貴族に買われ、耐え難い屈辱を味わっていた。
子宮は破壊され、やせ細り、畜生にも劣る生活を強いられてきた。
そこから救ってくれたのがアレクシスだった。
その貴族はアレクシスの手により、不正を暴かれ絶命した。
身寄りのないオリヴィアを哀れに思い、生活を整えてくれた。
オリヴィアもまた、それに応えられるように自分を磨き切磋琢磨してきた。
アレクシスのことだけを想い、自分が役に立つ存在になることばかりを考えているうちに、いつの間にか軍団長筆頭の立場になっていた。
「その私を救ってくれた方はこんな所で死ぬようなお方ではない。あの方に救われた命だ。あの方の為に使って死にたいのだ」
ドラゴンはオリヴィアの語りを羽ばたきすらせずに聞いていた。その目は値踏みをするようにオリヴィアを見つめている。
「お父さん!そのお姉ちゃん良い人なんだよ」
「そうだよ。ボクらに食べ物くれたんだよ」
自由になった子竜らがドラゴンの横に付き騒いでる。オリヴィアは首を振った。
「元々は我らが捕らえたのだ。私は良い人、などという者では決してない」
「ぼくらの話し相手になってくれたよ」
「人間は悪いけど、このお姉ちゃんは悪くないよ」
私も悪い人間だよ。とオリヴィアは笑った。
時間が経過した。オリヴィアの体感時間が狂ったかのように、永遠とも思える時が過ぎる。
ドラゴンが長い思考の末に、目を開いた。
「……心配せずとも、もう他の人間どもは獲り逃したわ。わしとしたことがな」
一気に安堵が訪れる。膝が崩れ、地面に倒れ込む。アーメットの中に涙が溜まっていく。
「わしはこの山脈を越える人間を食う。それは変わらん」
子竜が両側から抗議している。それを鬱陶しそうに振り払い、続ける。
「ただ、殺すべきか迷った時はこうしておる」
ドラゴンはオリヴィアの背に付いたマントを咥え、飛び立った。
風を
ドラゴンが向かった先は山脈の一際小高い山頂だった。頂上部分は切り取られたかのように円く平坦になっていて、魔方陣を連想させる溝が掘ってあった。
その中央に咥えていたオリヴィアを放る。
「ここは……?」
「『断罪の崖』頂上じゃ。……ここから身を投げよ。人間よ」
上空では白い竜が制止している。風が吹き荒れ立つことすら難しい。
「私を食わぬのか? ドラゴンよ」
「心配せずとも、ここから落ちれば死ぬ。途中に生えた木に上手く助けられるかもしれぬがな。だが、期待するだけ無駄じゃ」
「私に救済の機会を与えようと言うのか……」
「救済などではない。ここから落ちれば死ぬ。破裂して血を全て大地に吸わせ、魔物の餌となる。だが、まれに生き残る者もおる。そのような人間は歴史に名を刻む者だ。死ぬべき時期でなければ死なぬよ。例えどれだけの高さから落ちようともな」
天運を掴め。そうドラゴンは言っているのだろう。
オリヴィアは立ち上がり。前へと進む。
ドラゴンに引き寄せられ、真っ直ぐと向かう。
「私はそんな大それた存在ではないさ。ただの
崖の縁に足を置いた。
「我が主を見逃してくれたこと、感謝する。……ありがとう」
オリヴィアはドラゴンが見守る中で、『断罪の崖』から飛び降りた。
純白の騎士が闇夜へと溶け込んでいった。
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