②<少女2> 『きらめきの食卓』


②【ソフィア】

 決意新たに足音を立てながら一階に向かう私。

 私の家は二階建てになっている。二階は私たちの部屋が一人一人割り当てられていて、一階は、共同の生活空間だ。暖炉部屋や、食卓、台所などがある。


 トントン、と台所から食事を作る音が聞こえてきた。

 お母さんがいつの間にか帰ってきていたみたいだ。

 正直、すぐに眠りたいくらいに疲れていたけれど、お腹も空いている。

 早く食べるためにも、お手伝いしなきゃ。


「お母さん、何か手伝おうか?」

 台所に入ると、まな板と包丁で何かを切っている後ろ姿が目に入ってきた。

 ……ううん? お母さん、背が伸び――


「ん? ああ、君か。大丈夫だよ」

 くるりと、振り返ったその姿は、きらめきに包まれていた。


「お、おおおお王子!?」

 余りの衝撃に、私の身体は後ずさりを続け、背後にあった棚に頭をぶつける。

 棚の上に乗っていた食器が大きく揺れる。

 ――あ、まずい。


「!! 危ない!」

 次の瞬間、私はきらめきに包まれた。

 私の顔いっぱいに温もりが広がる。

 花畑に飛び込んだような、心地よい香りが鼻いっぱいに広がっていく。


 食器が、調理器具が床に落ち、騒音を立てる。けれど、私の耳には入ってこない。私の耳には、私を包む人物の心音しか聞こえてこない。


 一瞬が、永遠に感じた。


 永遠であってもらいたい時間が、一瞬で離れていってしまった。


「怪我はない?」

 え、笑顔が、眩しすぎる。

 ……え、てか、今私の頭、抱きしめられた?

 突然訪れた衝撃に、私は言葉を失いうなずくだけだ。


「……良かった。しかし、少し散らかしてしまったね」

 床には割れたお皿の破片や、調理器具が散っている。

 か、片付けないと……


「ああ、大丈夫。俺がやるよ。踏んでしまうと危ないから、下がってなさい」

 あ、優しい……じゃ、じゃ、じゃなくて!


「い、いやいやいやいや。やります! 私、やります! 王子様にお片付けなんて! だ、駄目、駄目です!」


「気にしなくてもいいさ。これでも慣れているほうだ」


「駄目! 絶対駄目! っていうか、な、なんで王子様が……お、お母さんは?」


「お母さんは少し事情があってね。今日は帰れないそうだ。だから今日の晩ご飯は、俺が作るよ」

 ……おれがつくる。


 おれが、つくる!?


 食台を見ると、既に色々な料理が並んでいる。

 追いつかない。思考が追いつかない。

 頭を抱えてしゃがみ込む。


「ちょ、ちょ、ちょっと、待って。状況が理解できない。何? 私は今、誰? どこに居るの?」


「町外れの旧聖堂に住んでいるんでしょ? そして君の名前を聞きそびれていたね。名前、教えてくれるかな?」

 王子様が微笑みを浮かべる。聞こえていたみたい。聞こえないように言ったのに。


「夢じゃない? 夢じゃないの!? 夢じゃないなら余計ダメだよ! 王子様にご飯作らせるなんて!」

 後で誰かが聞いたら絶対怒られる。不敬罪だ!


「これでも料理はするほうなんだけどな。味は保証できないけれど」

 いいえ、どれもとても美味しそうです。……じゃなくて!


「私が作ります! いいえ、作らせて下さい! 王子様はゆっくりしていて下さい!!」


「そうは言っても、一晩お世話になるんだ。何もしない訳にはいかないさ」

 そうは言っても、何かさせるわけにはいかないの!


「うーん、あ、じゃあこうしよう」

 王子様がぽんと、手を鳴らす。


「一緒に作ろう。俺のお手伝い、してくれないかな?」


「で、……」できるかぁあああ! 王子様と肩を並べて料理を作れだ!? 新しい拷問かなにかか!? そんなに私に苦行を与えてどうしたいの!? そんなに重い罪を重ねた覚えはな――



 ――――



 ――


「で、できます……」

 高速で脳裏に現れた様々な思いを乗り越え、私は精一杯の笑顔でうなずいた。



「うぁあぁ、すっげぇ旨い。王子って料理できなそうなのに、上手いんだ」

 クソガキが失礼極まりないことを言っている。けれど、私は気にしない。


「そう言ってくれると、作ったかいがあったな」

 きらめきが私の向かいに座って、優雅に食事をしている。

 いつまでも、いつまでも、見ていられる。


「ねえ、明日も作ってよ。ねえちゃんの飯マズいから」


「こらこら、そんなこと言ったら、お姉さんに失礼だ。一緒に作ったけれど、上手じゃないか」


「上手じゃない! この前のポラポ焼きとか、芋が半分生だったりしたんだよ」


「ああ、右の焼き釜の調子が悪かったからかな。多分そのせいだ。……直しといたよ」


「す、すっげぇ! 王子なんでもできるんだ!」


「なんでもはできないさ。俺だってただの人間だ」

 会話が耳には入ってくる。けれど、理解なんてできない。

 私の目には、白い輝きしか映らない。


「ねぇちゃん、どうしたの? さっきから全然喋んないし、手が止まっているし」


「……お口に合わなかったかな?」


「い、いやいやいえいえ、め、滅相もないです。ちょっと……む、胸がいっぱいで」

 色んな意味で。ええ、本当に。


「いつもの半分も食ってないじゃん。なんかパン食べるのもナイフとフォーク使ってるし。肉だって手を使うのに」

 余計な事を言うなクソガキ。野生児だと思われたらどうするんだ。


「いつも通り、好きに食べていいんだよ。王宮の仕来りなんて、俺も詳しくないんだから」


「そ、そうなんですね。ははは」

 隣のクソガキが私の顔を見て、「うげぇ」と言っている。後で覚えていろよ。

 いつも通りなんてできるはずが無い。今の現状、例えるならば倉庫の隅で穀物かじってばかりいたネズミが突然大草原に連れてこられて目の前に広がる山脈に好きに食べていいんだよと言われているようなものだよ。っていうか、例えが分かりづらくない? 今日の私は駄目だ。本調子じゃない。これ以上、王子に無礼を働くわけにはいかないよね。そう、これは言ってしまえば戦略的撤退、一度負けを認めつつも――


「あれ? ねぇちゃん、パン持ってどこに行くの?」


「……ちょっと、倉庫に」


「何しに!?」

 あ、危ない。ちょっと混乱して自分でも訳の分からない行動をしてしまった。

 落ち着けソフィア。ちょっと、いや、かなり非現実的なことが立て続けに起こった後に、もっと非現実なことが襲いかかってきたけれど、私なら乗り切れるはずだ。


「それにしても、今日は町で大変なことが起こったみたいだね。君らが町に出ていなくて本当に良かったよ」

 そ、そうだ。うっかりすっかり忘れていたけれど、今日は影の子供やワイバーンと戦って大変な目にあった日だった。


「お、王子様も無事で良かったです……」

 勇気を出した私の言葉に、王子は笑顔で返してくれる。


「大変なことって?」


「ああ……町に妙な姿をしたモンスターが出たんだ。後は、ワイバーンも出たらしいね」


「ワイバーン! すっげぇ、見たかった!」

 嬉しそうに言うな。間近で見たら、アンタなんてオシッコちびって泣き出すよ。


「町は今、後始末に大忙しだよ。君らのお母さんもそれに参加している」


「あーだから帰ってこないんだ。勿体ないね。こんな美味しいご飯あるのに」


「本当は俺も参加したかったんだけどね。君らのお母さんに絶対に駄目だと帰されてしまったよ」

 よし、お母さん良い仕事した! ……じゃない。違う違う。

 犠牲者だって出てしまったんだ。変に喜んでいたら不謹慎なことこの上ない。


「そういえば、王子はお母さんとどこに行ってたの?」

 あ、それ私も気になっていたことだ。


「そうだね。……町を色々と案内してもらっていたよ。この町は、とても良い町だ」


「せ、聖堂には行かれました?」

 本当は後ろでつけていたから、行ったことを知っているけれど。二人が入った後に覗いてみたら、集会場には居なかった。聖堂奥に一体何の用があったんだろう。


「聖堂? ……どうしてかな?」


「え? い、いいえ。観光場所としてかなり有名だって聞いたんで」

 王子がその赤い瞳で私を見つめてくる。

 な、何も言わずに見つめないで。穴が空きそう。穴があったら入りたい。


「……なるほど。確かに美しいところだった。古風な設計の中にも荘厳さが同居している。大聖堂とはまた違った趣があるよね」


「で、ですよね。私もすっごい感動しちゃって……」


「ねぇちゃん、いつ見たの? 僕、見てないよ?」


「え、えーっと、ほら、アレよ。スラバートさんのお店の窓からうっすら見えるじゃん」


「? そうだっけ?」


「見える! 見えるの!」

 た、多分? スラバートさんの薬屋、聖堂の近くだから多分、嘘にはならないと思う。


「機会があれば、一緒に見に行こう。きっと気に入るはずだよ」


「ホントに!? やりぃ!」

 着々と関係を築いていっている弟。アンタこの人が王子様だって本当に分かってる?


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