悠人6 『従者』

【悠人⑪】

 結果、ゼクセルは不問となった。

 十分に王族の怖さを味わったこと、快くカロリーヌへ『魔道弓』を譲ってくれたことに加え、俺自身がこれ以上、暗殺未遂事件を世間へと広めたくないと思ったからだ。


 折角、王都から離れ田舎暮らしで余生を送るという、人生の門出を得たのだ。

 誰だか知らないが、俺の命を狙う人間をこれ以上刺激することは避けたい。


 それにゼクセルとは、いざとなればいつでも社会的に抹消できる証文を結んでいる。

 これ以上俺に反する事もないだろう。


 家宝である『魔道弓』が戻ると、カロリーヌの父親である『英傑』ゴラムは見違えたように生気を取り戻したらしく、急遽、祝いの席を設けたいと俺に打診があった。

 エスタールへと旅立つ前日。正装した俺はガラハドを連れ、ラーゼファー家へ辿り着いていた。

 これは、そんな祝いの席での一幕。


「なあ、カロリーヌ。俺は家宝が戻った祝い、と聞いていたんだが」


「勿論、そうですわ」

 見違えたように綺麗になった庭にテーブルが並べたてられ、その上に豪華な食事が並んでいる。

 それを囲うように沢山の着飾った貴族達が談笑をしている。

 俺はというと、主賓席に座り、たまに挨拶に来る貴族達の相手をしていた。隣には同じように寄り添うように座るカロリーヌが


「なあ、さっきから貴族どもが、俺に向かって“おめでとうございます”とか言ってるんだが」


「おかしいですわね」


「他にも『お似合いですわ』だとか『殿下も隅に置きませんな』とか言ってくるんだが」


「きっと皆様、何か別なお祝い事と勘違いなされているようですわね」

 顔色変えず言い放つカロリーヌに根負けし、貴族の一人が持ってきた招待カードを見つめる。


 そこには『急遽ながら、娘の婚約式を行う』とゴラムの文字が書かれていた。


 相手が誰かとは書かれていないので、参加した貴族達は俺を見てさぞ驚いたことだろう。

 『碌でなし王子』に婚約者ができた。噂が広まるのはそう遠い未来ではないはずだ。


 今ここに居る俺の身内はガラハドだけだが、それを聞かれた俺は『第五王子の婚約式ともなると国を上げての準備となる。エスタールに向かう前にこちらの家だけでも』と誰もが納得できるような説明を何度も繰り返していた。


「……別に婚約はいいんだがな。父上や兄上に話を通していないのが気がかりだ」

 話の流れで婚約したものの、勢いみたいなもんだ。王族の婚約となると、色々な事前準備が必要になってくる。

 まあ、『碌でなし王子』が婚約したところで、国に与える影響など微々たるものだ。怒られはするだろうが、なんとかなるだろう。


「私のこと、幸せにして貰えますか?」

 不意に、カロリーヌに問われる。フード越しの目は優しく俺を見つめている。


 そのコバルトグリーンの瞳が、不意に他の瞳へと切り替わった。

 茶色の瞳を持つ、東条つばさの瞳に。俺の前で息絶えかけているつばさの瞳に。


 俺の頭に広がった幻影を振りほどく。

 そうだ。俺は、つばさを幸せにすることができなかった。

 俺に、誰かを幸せにすることはできるのだろうか。その権利があるのだろうか。


「……冗談です。そろそろ始まりますわ」

 何も答えない俺から目を離し、カロリーヌは指先をゴラムへと向ける。

 ガラハドの肩を組み酒を飲んでいたゴラムが丁度、腰を上げていたところだった。

 手には家宝の『魔道弓』が握られている。

 カロリーヌは楽しげに、それを見つめている。その表情に変化は見られない。


 ゴラムは号令をし、注目を集める。

 そして空に向かい、弓を掲げて光る矢を放った。


 弓に番えられた状態で突然生まれた光の矢は螺旋の軌道を描き上昇を続ける。

 雲に届きそうな程上昇した光の矢は、突如分裂し放射線状に広がる。

 それはさながら日本の花火のようでいて、青空にも負けないほど強い輝きを放っていた。


 次々にゴラムから放たれる矢が、青空に花を添えていく。

 時に矢の放つ光のラインが複雑な図形を描いていく。


 美しい光景だった。

 それは空に広がる矢のアートのことだけではない。

 病に冒されながらも、娘の婚約式に花を添えようと弓を引き続ける父親。

 そしてそれを食い入るように見つめる娘。

 本来ならば仇であるはずの存在なのに、それを微塵も感じさせない慈愛に満ちた視線を送っている。

 この二人の親子愛は、絆は、血を越えている。そう思わせる光景だった。


「本当に、ありがとうございます。これで父上も、思い残すことはないでしょう」

 不意にカロリーヌが話しかけてきた。


「そう縁起が悪いことを言うな。ゴラムにはもう少し、長いこと元気でいて貰わないとな」


「いいえ、もう、そう長くはありません。分かるのです。だからこそ、どうしてもこの席を設けたかったのです」


「役に立てたのなら、それでいいさ」


「私も、これで思い残すことはありませんわ。……ようやく、気持ちの整理がつきました」

 気持ちの整理……?


「なんの話だ?」


「貴方様には申し訳ありませんが、この婚約、時期を見て破棄させていただきますわ」

 カロリーヌが顔色も変えずに、きっぱりと言い切る。


「……王族との婚約だ。それを破棄するのか?」


「ええ、何故なら……あなたは私を愛してませんわ」

 図星だった。

 ……それは、そうだ。どれだけ顔が良くとも、合ったばかりの女性に心を惹かれるほど、初心な人生を送っていない。


「愛がなくても、暮らす人生もあると聞くが」


「私は嫌です。……それに、私たちは……私と貴方様の関係はもっと別の方向にあると思います」


「別の方向か。婚約者ではなく、別の関係を望む、というのか」


「ええ、それは“主従関係”ですわ」

 なるほど。

 ……それが、カロリーヌの出した結論か。


「自ら敢えて、俺の従者になると言うのか?」

 俺の問いかけに、カロリーヌは俺の瞳をしっかりと見つめ、答える。


「……私は、貴方様が何をしようとも、仕え続けると決めました。貴方様がどんな状況に置かれようとも、側で支え、お力になりたいと思っています。それは妃としてではありません。貴方が誰かを愛したとき、離れてしまうような関係ではいたくありません。最もお近くで、貴方を支える力の一つに、私はなりたいのです。だから……どうか」

 カロリーヌがテーブルに置かれた俺の拳の上に、そっと手を添える。

 コバルトグリーンの瞳が涙に揺れる。


「どうか、私を従者にしていただけませんでしょうか」

 その言葉の最後はか細く、不安に満ちていた。

 俺の従者になりたい。それは、自分の身体も心も、存在全てを俺に委ねるということ。

 そして、カロリーヌが不安に感じているのは、俺からその申し出を拒絶されることだ。それほどまでの想いを、このちっぽけな存在の俺に向けている。


「……二つ、条件がある」

 俺の回答に、カロリーヌはぱっと顔を上げる


「一つは、ゴラムに、この話をきちんと伝えることだ。俺も付き合う」

 父と娘に、余計な隠し事は不要だ。悲ませるかもしれないが、ゴラムは知っておいた方がいい。


 王子を暗殺しようとしたら、従者になりました。

 案外笑い話になるのかもな。


「もう一つは、明日俺がエスタールへと旅立ってしまうことに関係する。エスタールへは来るな。できる限り、長い時間をかけゴラムとともに居ろ。何年後になるか分からないが、俺が迎えに行く。その日まで待てるか?」

 病に冒された父親を捨ててまで、俺の下へと来て貰いたくはない。

 この親子はできる限り、一緒に居る時間を作っていた方がいい。

 俺の提案に暫く考え、渋々ながらといった表情で頷くカロリーヌ。


「ならば、この時から……お前は俺の従者だ」

 カロリーヌの瞳から、大粒の涙がこぼれた。


「……ともに生きよう。カロリーヌ」


「……はい。ありがとうございます」

 青空に矢の光が舞い散り、一際大きな歓声が広がった。


   *****


 これが、俺と従者カロリーヌの出会いであり、最初の物語だ。

 “半獣”でありながら、弓の英傑を父親に持ち、自信も驚異の弓術を持っている。

 王族との婚約を破棄し、従者の道を選んだ変わり者でもある。


 “雷の英雄”ガラハドと“没落貴族”カロリーヌ。

 平和な世界で気楽に暮らしていた高校生の俺が、王族として生まれ変わり、従者を二人も持つようになった。


 そんなたいした存在ではないのにな。


 愛する女、幼馴染みであるつばさ一人ですら守れなかった男だ。

 十年経った今でも、つばさの死を乗り越えられていない弱い男だ。

 それでも、このよく分からない世界で、よく分からない状況に放り出されても生きていけている。

 こうやって生きていれば、いつかはつばさの死を乗り越えられるのだろうか。


 いつかは、つばさよりも愛する存在が出来るのだろうか。


 今はまだ、分からない。この世界で、ただ目の前の出来事に立ち向かっていくだけだ。


 エスタールへと向かうことが決まったのならば、俺はそこで生き抜くため、できる限りの努力を続ける。

 つばさの存在を胸に秘め、俺は生き続ける。

 ド田舎国家と揶揄されるエスタールで骨を埋める人生ならば、別にそれでもいい。

 誅殺され人生の幕を閉じるならばそれでいい。


 俺はこうやって、死を望みながら、生を求めこの世界を生きつづけていた。


 そして六年が経過した。

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