プロローグ2 つばさと悠人②

【白石悠人】

 小学校六年生の頃だろうか。

 俺は一度お袋の仕事用パソコンを覗き見たことがある。


 リビングに置かれていたパソコンを興味本位で開き、思いつく限りのパスワードを総当たりで打ち込んだだけだ。


 何故そんなことをしたのかって?

 お袋は俺が言うのもなんだが、飾らない物言いをいつもする、良くも悪くも嘘をつけないタイプの人間だった。


 だから、会社でなにをしているのか? という俺の質問に、いつも苦笑いを見せるだけではぐらかされてきていた。

 だからこそ、俺の好奇心が刺激されてしまった。


 パソコンの中身は、小学生の俺には理解できないものばかりだったが、一つだけ、興味を惹かれた項目があった。


 “石碑”と呼ばれるオーパーツの存在だ。


 俺達が住む街、常見が丘ニュータウンの地下に存在する謎の物体。

 それは常に自らの力で浮かんでいて、その当時、街中の電力を供給していたにも関わらず、詳細はまるで分からないまま研究が停止してしまったという代物だ。


 確か、つばさの親父さんが研究に携わっていた筈だった。


 何故突如、研究が停止したのか。


 それは分からない。


 詳細が書かれたファイルを開く直前に、残念ながらお袋に見つかり、パソコンを取り上げられてしまったからだ。

 あれほどまでに激しい剣幕で怒られた記憶は他にはない。


 それ以来、母親のパソコンを開くことはなかったが、妙な絵が描かれた“石碑”の存在は、俺の記憶にしっかりと刻み込まれていた。


 石碑の左側に大きく角と翼の生えた女が描かれている。目だけが異様なほど大きく、石碑全体に不気味な印象を与えていた。


 その下には、女に従うように多くの男達が描かれ、そのどれもが苦悶に満ちた表情をしている。


 石碑の右側は獅子の身体を持った鳥と十二の男達が描かれている。


 両目を削り取られた十二名の男達が、手持ちの剣で仲違いしているように見える。

 ただ唯一、王冠を被った男だけが、手に持つ剣を目の大きな女に向けていた。


 獅子の身体を持った鳥とともに、女に立ち向かい、戦おうとしているように見える。


 画像データで見た“石碑”。それと全く同じ物が俺の前にある。


「“石碑”って? 街の地下ってどういうことなの?」

 俺の手を握ったつばさが、その力を強める。


 手を握り合った高校生の男女が光り輝く謎の物体の前にいる。

 文字だけにしたならば、ロマンティックなことこの上ないのだが、流石の俺もそこまで頭が沸いていない。


 なんせ常見重工ビルの屋上にいたと思ったら突然光に包まれ、発光して浮かび上がる妙な物体が現れた訳だ。混乱しない方がおかしい。


「前にお袋のパソコンを覗いたことがある。俺達の親が勤めている会社で、昔研究していた代物だ」


「なんで? なんでそれが、ここにあるの?」

 それは俺が聞きたいくらいだ。


「一先ず、誰かを呼んでくるのが先だろうな。幾ら社員全員本社に行ったからって、誰も居ないなんてことはないだろう。心配するな」

 見知った場所のお陰か、俺の心は落ち着いていた。


 隣で騒ぐつばさを尻目に、“石碑”を深く観察する。


 浮かぶ巨大な石碑の前に光の階段が出来上がり、さも近づいて下さいと言わんばかりの状態になっている。


 発光することも知らなかったが、石碑自体は写真で見たままの姿だった。


 目の大きな半裸の女と獅子の身体を持った鳥。その下に描かれた奇妙な男達が持つ雰囲気と合わせ、全体的に不気味な印象を与えている。


 彫り込まれたその絵と鏤められた読めない文字は外側の石版よりも強く発光しており、まるで絵が浮かび上がっているように錯覚する。

 それを囲うように窪みが点在し、それぞれに拳大の丸い宝石が詰め込まれていた。


 ……あれ?

 

「十一個ある……」


「え?」

 頭の上に疑問符を浮かべるつばさには反応せず、俺は指を使い、石碑にはめ込まれた宝石の数を数える。


「……やっぱり十一個だ。おかしいな」


「ねえ、無視しないでよ。なにがおかしいの?」

 写真で見たときは十個しかはめ込まれていなかったように思えたが。


 ……俺の記憶違いか?


 いや、単に、写真が撮影された時は十個しかはめ込んでいなかっただけなのかもしれない。


 もっと可能性を言うと、その後の数年間でもう一つ見つけたのかもしれない。


「いや、大丈夫だ。気にしないでくれ」


「だからぁ! いっつもそうだけど、一人で考えて納得しないでよ!」

 つばさの叫びの直後、かこん、と甲高い音が響き渡った。


 穴の中から聞こえてくる、工事のような重低音とは違う。もっとすぐ近くで響いた音だ。


 つばさも聞こえたのか、二人で顔を見合わせる。


「……誰かいるのか?」

 俺の呼び声だけが屋上を越え夜空に溶け込む。なんの物音も連れて来ない。


「不法侵入したのは謝るけど、こっちも突然変な物を見せられて、困ってるんだ。怪しいものじゃない」

 色々と怪しさ満天だが、こう言うしかない。


「……悠人」

 つばさの手が震えていた。


「少し、様子を見てみる。つばさはここにいてくれ」


「嫌! 一人にしないでよ」


「心配するな。妙な状況だけど、大きな会社の管理場所だ。変なヤツもいないさ」


「……そうかもしれないけど」


「それに明るいところの方が安心できるだろ。いざとなったらすぐに戻ってくるから」

 俺の呼びかけにしぶしぶながら手を放すつばさ。


 恐らく、犯罪者などはいないだろうが、そもそもが異常な事態だ。なにが起こるか分からない以上、つばさを連れて歩くのは得策じゃない。


 ここは開けているし、つばさになにかあったらすぐに分かる。

 今のところ、ここはまだ安全な筈だ。


「もし、なにかあったら叫べよ。俺はすぐにでもお前の近くに飛んでいくから」


「……うん」

 石碑に照らされるつばさに軽く手を振り、俺は恐る恐る歩みを進めた。


【東条つばさ】

 光る石碑に照らされ、離れていく悠人を見送る。

 悠人の励ましに少しは落ち着いたのかもしれない。周りを見渡す余裕ができた。


 屋上には私たち以外、なにも動いてない。二人きりだ。

悠人が“石碑”と呼んでいた、光る石版が浮かんでいて、そこにたどり着けるように青白い光の階段ができあがっている

 私はその前に立っていた。一歩踏み出せば、この階段を登れる。


 石碑の周りをぐるりと囲うように穴が空いていて、いつの間にか手すりが出来上がっていた。


 手すりから恐る恐る穴の下をのぞき込む。


 壁は鉄板で補強されていて、パイプのようになっている。底は真っ暗で、いつまでも落ちていけそうなくらい、深い。

 手すりもあるし、落ちることはないだろうけど。思わず足がすくんでしまった。


 悠人は大丈夫かな。

 屋上の端には非常階段が設置されていて、悠人はそこに向かっていた。

 その辺りで物音は聞こえてきた気がする。目を凝らしてみても、なにも動く気配がないけど。


 小さくなっていく悠人の姿から、石碑に目を移す。

 落ち着いてきたら、この光る石版に興味がわいてきた。


 年中ぼうっとしてるなんて言われている私だって、好奇心は持ってる。

 見たこともない、青白い綺麗な輝きだった。


「……登れるのかな? これ」

 恐る恐る、ローファーを光る階段に充てる。

 硝子のような、固い感覚が足先に伝わった。

 ……どうしよう、登れそう。


 少し迷ったけど、足に力を入れ、階段を登った。

 石碑をもっと近くで見たかった。


 そして、身体を伸ばせば手が届くくらいの距離まで近づいてみた。


 暫く、時間を忘れて見入ってしまう。

 変な絵に目がいってたけれど、よくよく見てみたら周りに大きな水晶玉が沢山ついている。


 ……十一個だ。さっき悠人が言ってたことはこれのことなんだろう。

 一つだけ、水晶玉がはめ込まれていない穴があった。


 手を伸ばせば届く距離だ。


 怖さと好奇心、その二つがせめぎ合って、好奇心が勝ってしまった。

 私は恐る恐る、石碑に向かい手を伸ばした。


【白石悠人】

「なんだ……これは」

 異常なものを目の当たりにし、俺は背筋に冷や汗が落ちるのを感じる。


 そんな筈はない。


 ここに、この日本に。こんなものが落ちている筈はない。


 そう自分に言い聞かせながら、その“物体”に近づいていく。



 俺の目の前には鉄製の非常階段が設置されている。

 その手前だった。


 それは、まるで元からそこにあったかのように、当たり前にあるかのように存在した。


 それは、人の右腕だった。


 切り落とされた右腕だけが屋上の片隅に落ちていた。


 それは妙に生々しく、血が滴っていて、素人目で見ても、生から切り離されたばかりだと判断が付く。

 華奢で、男の手なのか女の手なのかは分からない。


 だが、確かにそれは人の腕だった。


「……これは、なんだ? なにを……なにが」

 混乱する俺の脳が、一つの状況を捉えた。手首の部分を見ると、拳がなにかを固く握りしめている。


 現場保持。

 刑事ドラマで良く見る単語が頭をかすめる。


 だが、異常な状況下に晒された俺の脳は冷静な判断を失い、つい、持ち主を無くした右手を開いてしまう。


「……これは……」

 それは拳大の大きな宝石だった。

 それも、つい今さっき見たやつだ。


 “石碑”にはめ込まれた宝石と同じモノがここにある。


「一体なにが――ぁ!?」

 宝石に手を触れた途端、背中側に気配を感じ、突如、強烈な熱が背中から体中を駆け巡る。

 なにがあったのか、理解が追いつかない。


 熱い。


 熱い。


 身体が硬直する。


「……なんだよ、これは」

 俺の独り言は喉から込み上げる液体にかき消された。

 片手を使い、口を塞いで咳き込む。


 指の隙間をねっとりとした液体が通り抜ける。

 それは薄暗い空間でも分かるほど、鮮やかな朱色だった。

 俺の肺から吹きこぼれた、鮮血だった。


 刺された。

 背中から、なにか鋭利なもので刺された。

 そう判断した俺の頭には、既に自分の心配は抜け落ちていた。


 頭の中を駆け巡るのは、つばさの存在だけだった。


 つばさが、危ない。


【東条つばさ】

「つばさ――」

 不意に呼びかけられ、もう少しで石碑に触れられる位置まで伸ばしていた腕がぴくりと震える。


 悠人が帰ってきた。

 やっぱり、一緒にいたい。振り向きざま伝えたかったその言葉は、帰ってきた悠人を見た瞬間に飲み込まれた。


「――悠人!」

 慌てて光る階段を駆け下り、悠人の身体を受け止める。

 口から血を流し、制服のシャツが真っ赤に染まっている。

 背中側に一目で分かるくらい深い刺し傷があり、悠人が歩いてきた道のところどころが血溜まりになっている。


 酷い傷だった。


「悠人! 大丈夫!? なにがあったの?」

 肩を掴む私に向かい、口をぱくぱくと動かしている。


 血だらけの手には、大きな宝石を握り閉めていた。石碑にはめ込まれているものと同じのだ。


 その充血した目が、視線が移動して、私の頭上のあたりで止まる。



 悠人の瞳が、瞳孔が大きく開く。


「やめろぉぁああ」

 悠人の絶叫が響き渡った。

 それは十六年間一緒に生きてきた私が聞いたこともない程大きく、絶望が混じっていた。




 背中を撫でられた。


 その感覚からほんの少し遅れて、衝撃と激しい痛みが私の脳を直撃した。



【白石悠人】

 もう少しだ。

 もう少しで、つばさの元に帰ってこれる。


 つばさと再会したら、言うんだ。

 ここから抜けだそう。

 この危険な場所から早く抜けだそう。


 両手両足が言うことをきかない。

 肺から吹き上がる止まらない血で呼吸もままならない。



 俺はもう駄目かもしれない。


 けれど、つばさだけは助けたい。

 つばさだけでも生きていてもらいたい。

 

 その信念だけで、俺は立ち上がっていた。


 進んでいた。


 いつの間にか、つばさが俺の前にいる。


 視界が擦れ、もうまともに見えないけれど、そこにつばさがいることは分かる。


 つばさ、帰ろう


 そう訴えかけようとした時、俺は気がついてしまった。


 つばさの背後にいる存在を。


 失われかけた視野が、一点に集中する。

 高く掲げられた長剣。それを持つ、不気味な腕を。


 つばさの背後に隠れ、持ち主の身体は見えない。

 だが、確かにそれはそこにあった。

 つばさの背後から、剣がつばさを撫でようと大きく頭上に掲げられていた。


 銀色の刀身が煌めく。


「やめろぉぁああ」

 俺の叫びは、つばさの吐息へと繋がっていった。


 つばさが倒れ込んだ瞬間、俺の身体を突き抜けるような突風が吹き荒れた。


【東条つばさ】

 ――あれ? 私……

 どうしてここにいるんだろう。

 なんで私は眠っていたんだろう。

 なんで、悠人が私を見つめ泣いているんだろう。


 どうしたの?

 その言葉は私の喉元を通っていかなかった。


 寒い。

 冷たいコンクリートの上でなんで私は眠っていたんだろう。

 暖かいお布団が欲しいな。


 帰って、ご飯食べて、お風呂に入って自分の部屋でごろごろしたい。


 ――そうだ。

 今日、私、悠人に告白されたんだ。

 大好きな人に、好きだって言ってもらえた。


 それって本当に幸せなことなんだ、って実感できた。


 これから、なにをしよう。

 恋人っぽく映画館行ったり、遊園地に行ったりしてみたいな。

 美味しいものを食べて、デートして、いつかは――


 でも悠人と一緒にいられるなら、それでいいや。

 一緒にいるだけで楽しいんだから。

 それ以上、望んだら駄目だよね。


 私は、今、幸せだよ。


 だから、悠人、泣かないで。


【白石悠人】

「なんで……なんだよ」

 失われていく。

 俺の大事な存在が、その命が消えていく。

 俺の目の前には横たわったつばさがいる。

 つばさの周りには、広がり続ける血の水溜まり。


 突風が吹き終わったと思ったら、つばさをこんな目に遭わせた剣の存在は消えていた。

 影も形もなかった。

 残ったのは、カケラの命だけで動いている俺達二人だけだった。


 つばさの背中がざっくりと切り開かれている。

 流れ出る血は止まることを知らず、つばさの命が残り僅かだと嫌でも知らしめられる。


 つばさが生きている。

 それだけで良かったのに。

 そんなちっぽけな願いすら、敵わなかった。


 俺はつばさになにもしてやれなかった。



 愛する女、ただ一人すら助けることができなかった。



 俺は……


 俺は、弱い人間だ。


【悠人とつばさ】

『何者にも負けぬ、力が欲しいのか』

 血溜まりに横たわる女、それに寄り添う男の頭に“声”が響き渡る。

 女の意識は消えかかり、その声を認識していない。

 だが、男にははっきりとその声が聞こえてきた。


『絶望を払える、力が欲しいのか』

 男は涙と血が混ざり合った顔を上げる。

 残る力を振り絞り嗚咽を漏らす。


『ならば、我を望め。そして有るべき拠り所に、我を迎え入れよ』

 男は動いた。

 手に持つ宝玉に力を込め、血反吐を吐きながら“石碑”へと近づいていく。

 光る階段を昇っていく。

 教えられた訳でもなく、確証があったわけでもない。

 ただ、そうするべきだと確信していた。


 男は手に持つ宝玉を、“石碑”へはめ込んだ。

 十二の宝玉全てが、有るべき拠り所へと辿り着いた。


 “石碑”の纏う光が更に激しくなり、男と女を包み込む。

 その光は、男と女の身体を消し去り、精神を溶かしていく。


 男と女の存在は、光に混ざり合い、石碑の中へと旅立っていった。



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