つばさ9 『ラーフィア山脈越え』

【帝国軍 ラーフィア山脈】    


 総司令アレクシス率いるターンブル軍本隊はラーフィア山脈の台地に全軍が足を踏み入れ、土を踏み締め草木を払い、一刻程走った頃に山嶺の向こう側へと辿り着いた。

 ラーフィア山脈の頂は一部を除きそれほど高くはないのだが、やはり装備一式を身につけ物資を運んでの山越えとなると、いつドラゴンが来るかもしれないという警戒と相まって兵士たちの体力をみるみる奪っていた。

 台地を抜け岩盤地帯を降り始めたところで、安堵の息が兵に伝染していく。


「まだだ。完全に越えるまで気を抜くな!」

 軍団長筆頭のオリヴィアはその空気を即座に感じ取り兵へ向かい叱責する。

 ガイウスが戦っているのであろう。ときたま鉄を引き裂くようなドラゴンの叫び声がこだまとなってこちらの方まで届いてきた。


「ガイウス……無理は承知で耐えてくれ」

 それに返答するがごとく、司令官アレクシスは独りごちる。ドラゴンを相手取るに一レギオンのみというのは誰の目から見ても不足としか思えなかったからだ。


「なあに、気にすることはありやしませン。今頃ヤツは自分の手柄のことで頭が一杯になってますぜ」

 アレクシスの右横に付く親衛隊長イヴォンが進言する。赤錆に覆われたような全身甲冑プレートメイルに身を包んだ細身の男だ。

 軍団長以上が付ける全身甲冑パレードアーマーは全てミスリルのみで作られている。鉄よりもはるかに軽く頑丈で錆や腐食など付くはずもないのだが、イヴォンはあえてざらついた触感の無骨な印象を与える装飾をほどこしていた。

 いわく『横に控える者は目立たない位が丁度いいんですぜ。その方が総大将が輝きやす』という理由なのだが、赤錆色の騎士などそう存在するものでもなく他から見ると目立つことこの上ない。


「見よ、イヴォン。見事な防壁だ。どう捉える?」

 進軍を続けながらアレクシスがイヴォンへと問いかけた。そこからは魔族の住む街とその周りの地形が一望できる。


「門を閉められたら、少しばかり厄介でしょうね。速攻をお勧めしやす」


「速攻? ではこのまま休まず突撃せよ、と言うのか?」


「ブルシャンは軍もなく人口も八千程度と聞きやす。碌な抵抗もできやしませン。何が起こったか分からないうちにパパッと終わらせちまいましょう」


「ふむ、一気に攻め込み制圧か。妥当なところだろうな……だが陣は引こう。兵には休息も必要だ」

 一見すると強固な防壁に囲まれた魔族の街ブルシャン。ここに六歳ほどのターンブル皇族らしき男子が保護されているという情報が入ったのは三ヶ月ほど前だった。


 奇しくもこの数ヶ月前、ターンブルでは皇后の嫡子である皇嗣こうし(跡継ぎの意)が次々と崩御ほうぎょしたばかりで、継承順位に従えば女帝。女帝を排するならば公爵。といった一歩間違えば今後の皇位継承問題が泥沼化する状況下だった。

 そんな中、庶出しょしゅつの子ではあるが継承権では最上位の男子。という太政官だぜいかん(宮内庁)としてはうってつけの人物が皇帝自身の口より明かされる。

 その男子は母親と共に帝国領を遠く離れ、敵国であるルスランの片田舎に住んでいるという。

 内密に太政官付の腕利きと同い年程度の侍女を迎えに寄越よこした所、そのまま鶏馬車ごと消息不明になってしまい頭を抱えているところでの吉報であった。

 だが吉報ではあったが保護されている場所が悪い。魔族の街、それも敵国ルスランの領事館内。なんとしてでも皇太子を救出するために、再び太政官の役人たちは頭を抱えるのだった。


 アレクシスがふと振り向くとオリヴィアが遠くを見つめ立ち止まっていた。


「どうかしたか? オリヴィア」


「いえ、あちら獅子の方向に闘技場コロシアムのような形状の地形がございまして


「ふむ……外側は断崖絶壁。道は一つのすり鉢状か。悪くはないな」

 オリヴィアの指差す方を見る。自然の要塞として考えるならば理想的な形状だ。おあつらえ向きに中に川まで流れている。

 アレクシスが知るよしもないが、今まさに奪還しようとしている子。それを助け出す為に魔族のツガイ二組とゴブリンたちが戦った因縁の地であった。


「本陣を敷くに当たって都合が良いのではないでしょうか?」

 敵防壁にほど近い、天然の砦を作り拠点とする。これが戦争であり、万全を期するならそれもいいのかもしれない。だが少し慎重すぎる。そのアレクシスの考えに同じ意見を持ったのか


「陣なンて適当にその辺の平野に敷けばいいンじゃねぇか? どうせ速攻ですぐカタが付くさぁ」

 イヴォンが鼻で笑って否定する。アレクシスもそこまで楽観的でもなかったが、同意見だった。


「そもそも速攻はともかく、総攻撃には私は賛成致しかねます」

 だが純白の騎士はそれに真っ向から意を唱える。奴隷からアレクシスが見いだした女であったが、わずか十数年で筆頭まで辿り着いた実力を持っている。事実アレクシスはこのオリヴィアという女に幾度となく窮地を救われてきた。発言を蔑ろにはできない。


「思うところがあるのならば言って見よ」


「恐れながら申し上げます。魔族には魔物と同じ予測できぬ力がございます。『魔法』と『種族特性』です。特に魔法は個が集団を相手取るに適したものも多いと聞いております。負けることはなくとも兵の犠牲は増えるでしょう。降伏を進めてみてはいかがでしょう」

 なるほどな。アレクシスは合点がてんがいき、心の中で相槌を打つ。発言を軽んじたからではない。オリヴィアの進言は、全てアレクシスの身を案じてのこと。それが分かったからだ。


「そんなにゆったりやってその間に殿下を隠されても困るンじゃねぇかね」


「ブルシャンに隠す理由が有るか?」


「そりゃあるさ。なンせ殿下がお住まいになられているところはルスラン管理だ。そンで、王国と魔族は同盟を組んでるってきてる。ルスランの為を思えばこちらには渡せンよ」

 自治体はともかく領事館内はルスランの領土と同じだ。強引に奪おうとすれば抵抗するだろう。もしかしたら自国の利の為に皇太子殿下に手をかけるかもしれない。


「『ことば』が通じるのであれば、こちらの正当性を主張してみるというのはどうだ?」

 アレクシスも和解案を出す。魔族たちと戦わずに済むのであればそれに超したことはない。


「無理でしょうねぇ。あちらさんから見たらあっしらはただの侵略者ですぜ。何を言ったって聞く耳持ちませンぜ」

 ブルシャンの街を殲滅する覚悟で突撃をかける。イヴォンはその考えを曲げなかった。それでもオリヴィアは食い下がる。


「私は閣下の身を案じているだけだ。シーカーガルのような力を持った魔族がいないとも限らん」

 シーカーガル。帝国領土内で突発的に発生した獣害だ。その被害は領土の村が丸々三つ、更に討伐隊を二度も滅ぼした。このモンスターの恐ろしいところは群れで行動し、その上時間は限られているが透明になる、という種族特性があった。

 闇夜に紛れ、音も立てずに群れで獲物に襲いかかる透明のモンスターはその名を欲しいままに轟かせ、殲滅に時間を要した。

 確かに似たような力を魔族が持ってない、とは言い切れなかった。いや、持っている魔族もいる、と思って行動した方が良いだろう。アレクシスは頭の中で計画を組み直す。


「では制圧第一波は第二軍エルヴェ第三軍ヴィクトル両名に任す。騎馬部隊キースは『星』の作成と分散して街の外にいる魔族を捕獲。第一軍オリヴィア第四軍クレールは私と共に平野に本陣を引き波状攻撃に備える。これでどうだ」

 ブルシャンの近くに本陣を張り、まず二部隊で突撃。一部隊を遊軍に。もう二部隊は守りを固める。そのまま制圧出来れば良し。魔族側の抵抗が強ければ本陣の部隊を順次突入させる。どちらの言い分も踏まえた妥協案だった。


「あっしらがいれば護りはそれで十分でしょうがね。まあ嬢ちゃんの心配も分かりますンでそれでいきますか」

 ただ、言い換えるならばどっちつかずとも言える。親衛隊長として、イヴォンは若干の不満を持ったが口には出さない。


「降り次第、平野に陣を張る! もう少しだ! 気合いを入れよ!」

 山嶺にアレクシスの良く通る声が響き渡る。その影で、イヴォンは小さく呟いた。

『少々うちの大将は優しすぎるねぇ。悪い方に進まなきゃいいンだけどな』

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