魔族と人間6 『死闘』

【ロキ】

 紅蓮の業火が収縮し、俺に目掛け迫ってくる。

 サキュバスの憎しみが具現化し、俺を燃やし尽くそうと迫ってくる。


「……こんなもの!」

 俺は既に剣を抜いていた。

 業火の塊が俺に届く前に、剣先を地面へと突き立てた。


 爆炎が俺を包み込んだ。


「なにを……した!? なにをしたッ!?」

 顔を歪めたサキュバスが俺に向かって吠えてきた。

 うるさい。今すぐにでも首を撥ねてやるから、黙って待っていろ。


「『聖域の剣エクスカリバー』。お前の炎は俺には届かない」

 淡く白いもやのようなフィールドに俺は包み込まれていた。

 ノエルの放った業火はフィールドに吸収され、既に跡形もなく拡散している。


 『聖域の剣エクスカリバー』。過去、俺がとある貴族から詫びの品として受け取った、魔導具だ。

 一定範囲に白いフィールドを発生させ、使用者の許可した存在以外は決して侵入ができないという代物だ。

 一件無敵に近い力だが、無効化できるダメージ量に制限がある。

 簡単に言うと回数制限つきのバリアだ。

 事実、ノエルの炎魔法を受け、フィールドはかなり小さくなっている。

 もって後五回といったところだろうな。十分だ。

 俺は腰に付けた袋から魔石を取り出す。

 これが、最後の奥の手だ。


「サキュバス、俺は長い人生の中で初めて、本気で誰かを憎んでいる。……苦しんで死ね!」


「うるさい! 王子だかなんだか知らないけど、偉そうにするな!」

 行政区の広場、そのあらゆるところから炎の柱が吹き上がった。



【ノエル】

 怒りと悲しみが魔力の流れを潤滑にし、私の心から溢れてくる。


「どこ!? どこに隠れたの!?」

 私の火炎弾を打ち消した白い男は、包まれていた白く輝く光が消えるとともにその姿を消していた。

 手に持っていた魔石が輝いていたから、リレフのようになにか魔法を使ったんだ。

 人間のくせに、魔族の力を使ったんだ。


「だったら……あんたがそのつもりなら!」

 私は両手を輝かせ手当たり次第に魔力を放出する。目に見える範囲、全てが私の武器だ。

 私の見える範囲のいろんなところから、火柱が吹き上がる。


「!!」

 背中に悪寒が走った。

 咄嗟にしゃがみ込むと私の頭があった上空を剣閃が走っていく、私の髪がはらはらと散っていく。


「馬鹿にするな!!」

 振り向きざま放った火炎弾は空を駆け、建物にあたり爆風を上げる。

 いない、いない!! どこに行ったの!?


「――!!」

 再び背中に気配を感じ、両手を輝かせる。炎を地面に向け噴射させ、宙を回転する。

 私の背中があったところに剣閃が煌めいていた。

 ――見えた! そこか!


 剣閃めがけ、憎しみを魔力に変え、特大の火炎弾を放つ。

 私の背丈を遙かに超える業火の塊。私でも見たことがないほど強力な火炎弾だ。


 ――けれど。


「……無駄だと言っているだろう」

 王子には届かない。

 白く輝く光が王子の周りを包み、火炎弾を霧散させていく。


「この卑怯者!」

 さっきから、隠れて、私の背後ばかり狙って。

 大人しく殺されてしまえ!


「卑怯はどちらだ!!」

 王子の顔が歪み、再び魔石を輝かせる。また隠れる気? だったら――


「だったら――あなたがそのつもりなら――」

 私の魔力が溢れてくる。

 心底、他人を憎んだら、私はこんなにまで強くなれるんだ。


 強力な魔力の流れが、体中に伝わるのを感じる。憎しみが、私の全てに駆け巡っていった。



【ロキ】

 サキュバスの身体が輝いている。

 歪んだ表情が、細い身体が、白い光に包まれていく。


「なにをする気だ……魔族」

 ぎりり、と奥歯を噛みしめる。なにか分からない。分からないが嫌な予感が俺の身体を駆け巡る。


「あなた達が――人間が来なければ、私は、私は幸せになれた!!」

 サキュバスの身体が一段と輝いた。その瞬間、あふれ出すように体中から炎が吹き上がる。その炎はサキュバスの体中をまとい肥大していく。


 ――まずい、広範囲攻撃だ。


 そう思う前に、俺の足は広場を駆けていた。

 サキュバスの身体から噴き上がった炎は球体になり、女を中心にどんどん膨れ上がっている。

 俺の持つ『視念』の魔石は元々緊急時に使うためのものだ。一定時間、特定の相手が視る情景と同じものが頭の中に浮かんでくる。相手が何に注視しているのかも分かるので、敵の思考を読んで行動する俺にはピッタリの魔石だった。

 お世辞にも戦闘用ではないが、一対一ならば、先ほどのように敵の死角に入ることも容易にできる。

 だが、俺自身は透明化しているわけでも、存在が消えているわけでもない。当然、敵の攻撃はそのまま俺に届いてしまう。


 五発は持つと思っていた『聖域』も、さっきの攻撃でかなりの量を削られている。最悪、押し切られるかもしれない。

 一度、距離を離して――


「――嘘だろ、おい」

 背後を振り返ると、サキュバスは広場から姿を消していた。

 変わりに炎の球体が宙を浮いていた。


「逃げるな! お父さんをかえせ!!」

 女の叫び声と共に、巨大な炎の球体が俺に襲いかかってきた。

 ――早い。


「突撃かよ!」

 腰に帯刀していた聖域の剣エクスカリバーを地面に突き立てる。

 出し惜しみしている場合じゃない!


 爆風が聖域の周りに吹き荒れた。

 地面が抉れ、広場に置かれた椅子が、噴水が次々に破壊されていく。


 凶悪な威力を放つ炎は膨れ上がり弾けるように消し飛んだ。

 地面は深く抉れ、クレーターが出来上がっている。

 至る所から噴煙を上げるクレーターの中心に、サキュバスがしゃがみ込んでいた。

 ……大きく肩で呼吸をしている。息が上がっているのか?



【ノエル】

 顔を上げた瞬間、白い髪の男が襲いかかってきた。

 剣を掲げ、私を切ろうと飛びかかってくる。


 まずい、魔力が乱れている。さっきの攻撃で、火炎弾が討てない。


「――だったら!」


「――なっ!?」

 男の驚愕する顔が近づく。

 私が男に飛びかかったからだ。ここで逃げてもまた隠れられるだけだ。だったらここで終わらせる。


 宙でぶつかり合った私たちは転がるように倒れ込む。

 男の持った剣が地面に転がり、お互いにマウントをとろうと動き回る。

 土に塗れて揉み合いが続く。そして――


「……なんでよ、なにしてんの?」

 いつのまにか、私が上になっていた。

 王子の両手を押さえつけ、腰で王子の動きを止めていた。


 そして、王子は、瞼を閉じていた。


「……ちゃんと、私を見てよ。私たち、戦ってるんだよ」


「……悪いが、それは聞けない相談だ」


「私を見ろ! 目を開けろ! 『私の目を見ろッ!!』」

 この男を服従させたい。

 お父さんを奪ったこの男は許せない。人間の尊厳を奪って、殺したい。


「……ガラハドと同じように、俺の心にも、一人の女が住んでいる。誰であっても、この気持ちは犯させない」


「奇遇ね。私もいるよ、そんな相手。ずっとずっと、私の心の中に居てくれる相手。その人が居てくれたから、私はずっと頑張ることができた」


「ならば分かる筈だ。相手を想う気持ちがどれだけ尊いか。思い出が、どれほど自分を幸せにするか。それを奪うな。サキュバス」


「王子様らしい名言ね。……そう。幸せね。幸せを望むんだ。幸せでいたい気持ちがあったんだ。……ふざけんなッ!」

 なに、この後に及んでかっこつけてんの。

 お父さんを殺しといて、なんでそんな平気な顔してるの!?


「魔族の、私の幸せを奪っておいて、なに言ってんの!? かえせ! 返せッ!! 私たちの幸せを返せ!!」

 行政区の広場に平手打ちの音が連鎖する。王子の頬が赤く張れていく。

 私から流れ落ちる大粒の涙が、王子の顔を濡らしていく。


「――殺せ」

 王子が低く落ち着いた声を絞り出してきた。その声は心の奥底に入り込み、私の意思に関係無く、身体が勝手に動きを止める。


「殺せ。この気持ちを無くすくらいならば、想いを無くすくらいならば、死んだほうがマシだ」

 その言葉で、身体に宿していた激情がすっと、おさまる。


 そう。そっか。この局面で、まだ女の子のこと、考えてるの。

 死に際に、そんなに大事に想う相手がいるんだ。

 ふぅん……誰か知らないけど、その子は幸せね。


 ……馬鹿じゃないの。

 だったら――言われなくても!


「あなたと、あなたの幸せを奪う。永遠にね」

 戻ってきた魔力の循環に感覚を委ねる。

 私は光る右手を王子の前に掲げた。


【ロキ】

 紅蓮の炎が吹き荒れた。

 爆風で、俺とサキュバスの身体が地面を転がる。


 サキュバスが腕を掲げた瞬間を狙い、俺は女の腕を掴み上げた。

 手のひらから放たれた業火が俺を横切り、背後で爆風を上げる。


 ギリギリのタイミングだった。一歩間違えれば、死んでいたな。


「サキュバス、俺の幸せはお前には奪えない。俺の本当の幸せはとうに俺の手から離れているからだ」

 爆風により距離が開いた隙を見て、落ちていた剣を拾い上げ、サキュバスの足元を見る。

 サキュバスの発言で、推測が確信に変わった。コイツが他人の心を塗りつぶす条件は恐らく……目を合わせることだ。

 目を合わせると、惑わされる。だからもう、顔は絶対に見ない。

 どうせ、この女は歪んだ醜悪な表情をしているのだろうがな。


「それでも、俺はこの気持ちを胸にずっと生きてきた。俺の大事にするものはただ一つ、この気持ちだけだ。それを奪おうとするお前は、やはり“悪”だな」

 つばさへの想い。それは、新しく生まれ変わった今であっても変わらず残っている。

 十六年間ずっと、俺の中には、俺の心にはつばさがいる。

 俺の唯一の宝物だ。

 この気持ちは、絶対に塗り替えさせない。


「ガラハドは正義の心を持っていた。悪を絶対に許さない騎士道を持っていた」

 サキュバスはなにも言わない。

 俺をどう殺すか、それだけを考えているんだろう。

 なにを言っても届かないかもしれない。だが、それでも続ける。


「奴は悪を行わない。ガラハドがお前の親を殺したのならば、それは『正しい行動』だったはずだ」

 ぎりり、と大きな歯軋りの音が聞こえてきた。

 サキュバスの両手が輝く。だが、俺は構わず続ける。


「お前は“悪”だ。邪悪な存在だ。お前の親もそうだったはずだ。だからガラハドは行動したんだ」


「もう一度、言ってみろ……」

 低く、冷えきった声が届く。サキュバスの身体が輝いていく。


「何度でも言う! お前の親は“悪”だった! だから断罪した。お前と同じ、邪悪な存在だったからだ!」


「あんたが……あんたがお父さんを語るな! なにも知らないくせに!」

 体中から炎が噴き上がる。それは回転しサキュバスの身体を包み込む。

 そうだ。それでいい。

 これが、俺の最後の策略だ。


 炎を球体に変え、身にまとったサキュバスは飛び上がり、空高く浮かび上がる。

 『聖域の剣エクスカリバー』を地面に突き立て、フィールドを広げる。

 もうかなり小さくなってしまったが、もう一度、この攻撃をしのげればそれでいい。


 空高く舞っていた炎の球体が、急速に落下する。

 凶悪な炎の塊が俺に向け突撃してきた。

 爆風が、憎悪の炎が具現化し辺りを包み込む。


 フィールドがガリガリ減っていく。ギリギリだったが、なんとか持ちそうだ。

 凶暴な威力の炎だが、コレをしのげれば、唯一のチャンスがある。

 爆炎の中心には、サキュバスが居る。

 隙を見せたサキュバスが居る。


 俺は炎が弱まった瞬間を狙い、聖域を解除した。

 ――熱い。

 熱風が俺の顔を駆け抜ける。呼吸をすれば、喉が焼けるだろう。

 持ってくれよ。

 この一撃だけ、この一撃だけ持てば――


「――。」

 その瞬間、俺の周りの全てがスローモーションに映し出された。

 俺の感覚だけが暴走している。

 そのお陰で俺は、全てを把握できた。


 爆炎の中心には、サキュバスはいなかった。

 サキュバスは空にいた。


 俺に向け、光る右手を掲げていた。


 ……なるほどな。

 コイツ、俺が隙を狙って攻撃を仕掛けることを読んでやがった。

 先ほど自分が見せてしまった隙を、逆に利用しやがった。

 突撃の瞬間、炎の球体から抜け出て、俺に狙いを定めやがった。


 敵を切ろうと剣を掲げた俺を。

 隙だらけの瞬間を狙って。


「――そうか」

 全てを悟った瞬間、俺の心は落ち着きを取り戻していた。

 全てを受け入れた。


 最後の最後で俺はこの女のことを侮ってしまった。

 この魔族は……このノエルという名のサキュバスは戦いに慣れている。

 恐らく、俺の知らないところで、沢山の修羅場を潜ってきたのだろう。


 そして勝ってきた。


 この女は、強い心を持っている。強い意志を持っている。

 だから、俺は――


「……俺の、負けだ」

 サキュバスから放たれた業火の塊が、俺の身体を包み込んだ。



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