幕間  『白の使者』

【ルールー 湿地地帯】


 ノエルの両親と別れた後、私は館長の命を受けブルシャン北東にある湿地帯の沼地付近を調査していた。リザードマンとゴブリンが縄張り争いをしている、との情報を受けたからだ。


 リザードマン、ゴブリン等の亜人系モンスターはそれぞれ独自の生態系を持っていて、群れで行動する。

 多種多様な種がいる魔族だが、亜人系モンスターは魔族として扱われていない。理由は簡単。世界の共通言語である『ことば』を話せないからだ。

 私は詳しいことを知らないけれど、『ことば』を話せて初めて一人格として認められるらしい。

 ただ、街の近くで起こったことは例えモンスター関連であっても後々王国に報告する義務があるらしく、私達職員が詳細を調べに向かわされる。


 適当に沼地を調査して、帰って報告。そして領事官内でゴロゴロして過ごす。そんな一日になる予定だった。


 私と同い年の同僚、ワルクシュミと二人で湿地帯に向かうと、モンスターの影も形もない。仕方ないので問題なしの報告書を書き、湿地帯を抜け平原を歩いていると、それに気が付いた。


 黒い甲虫の群れが、平原を覆ってる。見てすぐに抱いた感想はそれだ。

 ただ昆虫に比べて不気味なほど規則正しく並んで歩いている。

 ゆっくりと……その一つ一つの動きが完全に同調している。

 進軍している。私達の街に向かって。


 「ニンゲンダ」ワルクシュミが呟く。私はその意味を理解するのに時間が掛かった。

 それだけ有り得ないことだった。あんな群れ、平野を埋め付くすような大軍、一体どうやって魔族半島へ辿り着いたんだろう。


 ドラゴンが人間に負けた? ――私の脳裏を過ぎる不吉な思い。

 それはつまりノエルの身も危ないということ。あの子がドラゴンと子竜を見捨てるはずがない。まさか殺――

 嫌な想像を振り払う。今はとにかく、街のことを考えるべきだ。


 ブルシャンには防壁が存在するが、なんの役にも立たない。

 魔族達は唯の壁としてしか認識していない。仮に誰かが突入前の軍隊に気が付いたとしても、門を閉鎖することも出来ないだろう。


 なら街の中で戦うしかない。でもそれが可能な魔族が何人いるんだろう。私もそうだけど、戦闘経験がある魔族は少ない。

 一部の魔族はモンスター討伐等で魔法を戦闘用にアレンジしたりしているが、殆どの魔族にとって魔法とは生活を楽にする為に使うものだ。人間との戦いに使うなんて思慮の外だ。戦えるはずなんてない。


 思考を張り巡らせていると、それまで完璧に同調していた軍の動きに乱れが発生した。違う、乱されたんだ。

 ブルシャン上空を飛んでいた魔族達が人間の軍に気が付いたらしく、勇敢な何人かが軍隊へと飛んでいく。

 だが、先陣に到達する前に、その魔族達はことごとく落下していった。


「ひどい……」

 勇敢な魔族達は無数の矢を体中に受けていた。軍隊はそのまま何事もなかったかのように進軍を続けている。


 それを皮切りにして、後方に控えてた地を走る鳥に乗った部隊に動きがある。集団が細かく分断され、四方に散って行く。その速度は平均的な魔族の身体能力を大幅に超えていた。

 瞬くうちに一集団が私達の方へと近づいて来る。それを見てワルクシュミが叫び声を上げて沼地の方へ逃げだした。


 風を切る音が私を通り過ぎていく。いくつもの線の残像が私の横を通り過ぎていく。

 その線は同僚の体に次々と当たり動きを止める。なにかを呻きながらワルクシュミがうつぶせに倒れた。


 私は動けない。なにも感じない。

 さっきまで世間話をしていた相手が倒れている。血を流している。

 それなのに私はなにも感じてない。自分のことしか考えられない。

 頭を巡るのは、どうすれば助かるか、それだけだ。このまま通り過ぎてくれないか、そんな願いだけだ。


「動くな。抵抗すれば苦しむだけだぞ」

 鳥に乗った男が変な顔を付けた武器を私の方に向ける。口から矢尻が見えている。


「……死にたくない……です」

 震える体から無理矢理声を絞り出す。その間にも鳥に乗った男達が私の前に集まっていく。どんどん増えていく。

 最初の男がニヤニヤと私のことを見つめ、武器を構え直す。


 撃たれる、

 そう思った瞬間、黒い影が私を横切った。そして男の武器が消失していた。構えていた腕ごと。


 男は不思議そうな目で自分の失った部位を見つめている。そしてなにかを口走る前に、その口から上が斜めにズレた。

 鳥から転げ落ちる男に呼応して男達が次々に落鳥していく。なにか黒い影が、太陽光を剣で反射させながら、男達の隙間を駆け抜けている。



 背後から足音が聞こえてきた。



「ったく、大の大人が集まって、女の子を虐めるもんじゃないぜ」


 声が響いてきた。

 透き通るような、それでいて力強い声だ。


 兵隊達は逃げる間もなく絶命していく。百人はいたはずの男達が為す術なく命を落としていく。


「ガラハド、少し残せ。状況を把握する」


「はっ!」

 黒い影の動きが止まった。銀色の髪に漆黒の鎧を身につけた男が背後からの声に応える。


「戦争の後にまた戦争か。ターンブルも忙しいな」

 透き通る声の主が、いつの間にか私の隣に来ていた。細身だけど、引き締まった体つき。真っ白な髪がキラキラと太陽を反射している。仕立ての良い服に皮の胸板を付けている。


「ま、皇太子殿下救出ともなれば、がむしゃらにもなるよねぇ」

 その後ろにいた長い金髪の男が答える。豪華な刺繍が施されたローブを身につけている。


「ねぇ、ガラハド様がいらっしゃれば十分じゃありません? 私、要ります?」


「男ばっかりのむさ苦しい集まりになっちゃうからねぇ、僕としては歓迎したいな」

 丈の短いドレスに真っ赤なローブを羽織り、頭巾を被った女性に金髪の男が答える。


「むしろ俺が帰りたい。あの軍勢に四人って……なにが悲しくてこんな無茶やらきゃならないんだ。親父もちょっとは考えろよな」


「随分とご機嫌斜めだこと。ああ、そういえばお昼ご飯まだだったね。お腹でも空いてるのかな?」


「お前、俺が食い気だけで動いてるとでも思ってるのか?」


「祝賀会でもご飯ばっかり食べてた人がなにを言ってるんですの。周り引いてましたわよ?」


「いや、あんな豪華な飯は滅多に食えないか……なんか、デジャヴきた」

 白い髪の男は頭を抱えながら私の隣に座り込んだ。

 整った顔立ちだけど、どことなく意地悪そうな、悪戯っ子のような印象を受ける。


「ふぅん、魔族……って言っても可愛らしい奴もいるんだな」

 燃え上がるような真っ赤な瞳で、私の顔をのぞき込んで来る。肌はうっすらと日に焼けていて、どこか太陽を思わせる落ち着く微笑みを浮かべている。


「人間……? 敵じゃない?」

 分かってはいたけれど、聞かずにはいられなかった。


「心配するな。俺達は同盟国、ルスラン王国から来た。お前らと敵対する意思はない」

 ルスラン王国。館長の故郷で、一応は私の雇い主。


「ルスランの兵士さん?」

 私の問いかけに、白い髪の男は少しだけ声に出して笑い、違う、と前置きしてこう答えた。


「この妙な世界に生まれ変わった、ただの平凡な王子様だ」



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