第四章 深き友愛
深き友愛(一)
ケントロクス一帯に一晩降り続いた雨は過ぎ去り、湿気を孕んだ風が街の中を抜ける。西へ顔を向けると遠くの空にはまだ靄がかかっているが、雨雲は完全に市から遠ざかった。黒い塊が覆うあたりはセントポスか。とはいえ、聖堂の立つ高い丘は、ケントロクスからは靄に隔たれて見えない。
修道院の庭にはところどころ水溜まりができて、雨上がりの空を映し出していた。夕暮れ近くなって子供たちも帰ると敷地内には朝と同じ静けさが戻り、聞こえるのは巣に戻ろうと鳴き交わす鳥の声ばかりになる。
しかし今日は彼らの
「セレン!」
「なっ」
呼び鈴も鳴らさず住居棟に駆け込んだクルサートルにセレンは正面からぶつかった。蹄の音が聞こえたため扉を開けようと出てきたら正面衝突したというわけだ。
「無事か……」
セレンを抱き止めた姿勢のまま、クルサートルが安堵の息を吐く。逆にセレンの方はいきなり肩を掴まれた驚きと困惑とで焦って身を
「なんだってそんなに慌ててるんだ。クルサートルらしくもない」
息を荒げて抗議するが、クルサートルは真っ赤になったセレンを気にするでも自分の行動を詫びるでもなく、開け放したままだった扉を後ろ手に閉めた。
「会議中にテッレから戻ったと報告を寄越しただろう。しかも聖堂内でメリーノに出くわしたと。そんな情報に加えて俺の会議が終わったら修道院に来いと言われれば何かあったと思うのが当然だ。セレン自身が教庁に改めて来るのではないとか」
クルサートルは慣れた所作で上着を玄関の壁にかけると、セレンと並んで廊を居室へ進んだ。
「ともかく、見たところ大きな怪我はないようで良かった」
「怪我はって……そんな心配させたのか」
「当たり前だ。セレンを負傷させるとあっては今までメリーノを見くびりすぎたということだからな。今後の動きを改める必要がある」
「どうせ……そんな理由だろうな」
表すつもりのなかった落胆が声になる。ふいとそっぽを向いたセレンの背を見ながら、クルサートルは意味深な苦笑を浮かべた。しかし思うところを言うつもりはない。セレンが気づく前に笑みを消し、職務中と同じ態度に切り替える。
「ミネルヴァ先生は」
「いまはケントロクス修道院会の集会に行かれている。夜までかかると」
言いながらセレンは奥の調理場へ向かった。茶碗を二つ取り出して、普段はあまり使わない茶葉をそれらに入れる。日が傾き冷えてきたからちょうど湯を沸かしたばかりだったのだ。乾燥した茶葉に湯を注ぐと、種実に似た香ばしい香りが立ち昇って部屋の空気を和らげた。
「それでは、体に問題がないなら教庁ではなくこちらに呼ばれた理由を聞こうか」
木机についたクルサートルは、茶器が運ばれてくるのを待って切り出した。盆を置いたセレンもクルサートルの対面の椅子を引く。修道院なら他の官吏の気配を気にせずに話せる。
「テッレの聖堂に見たことのない四神の絵があった。
「宗教図像は地域差があるからな。さすがにケントロクスもアンスル全土に伝わる図像は把握していない。セレンや俺が知らない類の
一息入れたのち、クルサートルの双眸が鋭く光る。
「メリーノの動向と関わるところか」
「恐らく」
月の色に似た瞳も、深い碧の瞳を真っ向から受け止めた。
「もしかしたらメリーノも、四神の珠を探しているのかもしれない」
「なんだって?」
茶器を口に運んでいたクルサートルの手が宙空で止まる。
「公女との姻戚ではなく珠による支配を?」
「可能性だけれど。小国のセルビトゥを選んだのは、公女よりも珠が狙いと考えられないかと」
セレンはテッレの聖堂に描かれた壁画の図像を説明する。
「四神はそれぞれ大陸の各地に珠を授けているように見えた。水の神が珠を置いていたのが大陸北西沿岸部。ちょうどこの辺りだ」
クルサートルが来る前に見ていたアンスルの地図を卓の中央に広げ、その左上を指で叩く。セルビトゥ領に当たる海沿いの地だ。
しかしクルサートルは指差された箇所の周りをなぞり、疑わしげに顔をしかめた。
「だがその絵の大陸は実際のアンスルとは違う形だったのだろう? しかもセルビトゥは歴史も浅い弱小国だ。神が珠を授けたのがセルビトゥだという保証がどこに」
「公国の徽章が描かれていた」
確信のこもった声音にクルサートルが口を
「セルビトゥ自体の建国は歴史的に見れば確かに最近かもしれないけれど、その前の国があるだろう。天井画に描かれた徽章は、サキア国」
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