敵の真意(三)
「ここ、か……」
地面が不自然に平らかになった場所である。
セレンは上がった呼吸と高鳴る心臓を鎮めようと、敢えて口に出した。
そこには、岩肌に嵌まった銅製の扉があった。造形美のためか耐久性のためなのか、明らかに人工的に積み重ねられた石組が扉を囲んでせり出し、入り口に屋根を作っている。石組は所々にひび割れや欠けがあってともすれば崩れそうだ。恐らくこれまで幾度となく襲った風雨から扉を護ってきた功を示すのだろう。
石組の影になった扉は経年劣化のためか黒褐色に変色してしまっているが、近寄ると教会の祈りが刻印されているのが分かる。書体はセレンが知る中でもかなり古い系統だ。
先ほどまで目を潤していたカタピエの色彩豊かな市街も、密集した木々に阻まれて見えなくなった。遠目の利く野鳥であろうと街の方からここは分かるまい。そうして人が通わなくなってから、無知に護られてひっそりと佇み、幾代もの時を超えてここに在り続けてきたのか。
セレンは鼓動が次第に早くなる胸に手を当て、息を止めて扉を押した。
呼吸をするのすらためらわれるほど、静寂が余すところなく支配していた。
冷えた空気は恒久の時間を感じさせ、外界から入った身には異質だ。いや、異質なのは自分であって、この空間に従うよう言葉なく命を下されているようだ。
それでも止まるわけにはいかない。粛然たる間に異物として入ることに畏れながら踏み出す。
「わ……」
我知らず嘆息が漏れ、発した感嘆が波紋のごとく広がる。
そこには朴訥とした入り口からは想像しがたい見事な聖堂があったのである。
見上げた天井はいくつもの石の助骨が交差して錐形を成し、幾何学的造形美を作り出している。そして錐の先へ目を凝らすと、その中心がほの明るく照らされ、彩色紋様が施されているのが見てとれた。
光がどこから入るのかと見回してみても、背の届く位置には入り口以外に開口部は見当たらない。きっと天井近くに採光窓があるのだろう。そのおかげで柔らかな光が霞のように落ち、まるで唯一無二の場の神聖さを護るかと思われた、
瞬きも忘れて、セレンは誘われるように足を進めた。重なり合って立つ細い石柱には彫刻の蔓草が巻かれ、交差する梁の根元で花が開く。さらに上には縄模様の彫りが施された欄干が通り、その上で石の動植物が遊んでいた。ただそれらも入り口の石組と同じくそこかしこにひび割れが見え、すでに欄干上に剥がれ落ちた石片も多い。崩れるのも時間の問題か。
――古くはここも祈りの場だったのか……
大陸中央のセントポスへ至る道には、似たような聖堂が他にもあったのかもしれない。もしくはセントポスの機能がケントロクス教区に移る前には、ここを含む現カタピエ領もセントポスの一部だったのだろうか。
堂内の円柱や壁の装飾は一歩踏み出すごとに見え方が変わる。床の石はあちこち削れ、柱にも汚れがあるものの、それらは悠久の時を経てきた尊い証拠として目に映る。
漂う空気に威圧されながら縦列する円柱の間を奥へと進む。すると身廊の突き当たりで床が一段高くなっており、最奥の壁に水盤のようなものがあるのに気づく。盤の上部の壁もやや膨らんでいると思うのは目の錯覚か。
糸で引き寄せられている――そうとしか形容できない。無心のままに体が最奥へと動いていく。そして水盤のある一段高い円陣へ登ると、セレンは目を見開いた。
――これは……?
水盤はちょうど半円が壁から迫り出した形で、その上は確かに遠目から察した通り隆起している。だが単に石壁が丸みを帯びているだけだ。
石に含まれる結晶の粒がほのかな明かりを受けて星屑のように輝く。
セレンの手は不思議とその壁に吸い寄せられていった。指先が壁と同じ明かりの輪に入り、もう結晶に触れる――
しかしその寸前、聴覚が微弱な空気の振動を捉える。カツン、という硬質な音と何かが動く気配。
反射的に指が止まり、短剣の柄を掴んで振り返った。
「貴女は――」
入り口を塞ぐ、背の高い人影。逆光で顔が暗いが、驚愕の声は記憶にしかと残る。
「メリーノ……」
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