敵の真意(四)

 雲が動いたのか。メリーノの頬が陽に照らされる。瞳にあるのは、単なる驚きか。

「こんなところで貴女に会うとは……」

 束の間の陽光は去り、再び影になった表情は読めない。だが――

「できることなら、貴女にはいて欲しくなかった」

 どことなく悲哀を帯びて聞こえるはなぜなのか。

 再びメリーノが黙した後、固く重い靴音だけがゆっくりとセレンに近づく。帯剣はしているが、見える限り両手はまだ空だ。セレンは靴に仕込んだ短剣をすぐ抜けるよう腰を落とした。

 長剣がやっと届くだろう位置まで来て、メリーノが立ち止まる。

「ひとつ、訊きたい」

 細く、長い呼吸があった。

「貴女の狙いは、やはり四神の珠か」

 その声を耳にした途端、セレンの全身に緊張が走った。

 感情の無い声音は初めて邂逅した時の冷酷非情な領主とは違う。あの時は愉悦に溺れる人の興があった。

 だがいま、歴史の中で眠った聖堂の鎮静を壊すのは別人だ。屋敷にセレンを招き入れた時の戸惑うほど気遣いのこもったメリーノでもない。

 脱け殻――いや、それも違う。

「返答が無いのは肯定と捉える」

 低い宣言に、不可解な響きが混じる。これはまるで、諦念のような。

 答えずにいると、ようやく次の言葉があった。

「珠を求めてここにいるなら私も然るべき方法に出なければならない」

 淡々とした宣告に、ふと身をかすめた感覚が別のものになる。表面に現れた殺気がぴりりと肌を刺した。

 まだ何か、裏に秘められている違和感が残るのは否めない。だが少なくとも、正面から向けられた意思に名をつけるなら、敵意だ。

 柄から現れた長い刀身が宙に線を引く。

 剣を交わしたのは一度だけだ。メリーノの腕のほどが分からない。セレンは間合いを見極めつつ隠した短剣に触れた。

 前回会った時からの豹変に驚きはするが、臆する理由はない。カタピエが芯から変わるなど有り得なかっただけの話だ。

「この聖堂で私を切るか」

「カタピエから四神の珠を奪うというなら私も譲れない。だが貴女が私に従ってくれるのなら何もしない――そこをどいてくれるか」

 一つ一つ確かめるように言葉が紡がれていく。自身が冷静になっていくのを客観的に認識しながら、セレンはメリーノを攻撃の射程に入れた。

 邸を抜け出たときには、メリーノが改心したなら無駄な争いは無益だと、剣を使うのがためらわれたのだ。しかし相手の真意が分かれば慈悲は必要ない。

「断る、と言ったら?」

「……やむを得ない」

 微かな鋼の閃きが薄暗がりで弧を描いた。

 鋭い金属音が堂に木霊する。

「速いな。変わらない」

「変わらないのはあなたの方だ」

 メリーノの剣を払い、セレンは再び迎撃の姿勢に直る。躊躇なく切先を向けるとは、目的遂行のために手段を選ばない証拠だ。

 いまさら驚きは無い、そう言い聞かせながらも無視できない落胆が胸の隅を突く。所詮は愚かな君主のままだったとは。

 自分に対するまやかしの優しさに人間味を感じ、騙すことに罪悪感を覚えながら邸から逃げたことが苦々しい。

「わずかでも思った自分が愚かだった。あなたはこんなものを出さずに済む人間になったのかと」

「私だって貴女の美しい肌を傷つけずに済むならそうしたい。我が邸で迎え入れた時のように」

 どうせ嘘なのだろう。この男の手に掛かった数々の公女と同様、駒にされそうになったとは恥でしかない。

 自嘲が込み上げてくるが、同じ轍は踏まない。

「無傷のままあなたに弄ばれるくらいなら傷の方を選ぶ」

 冷徹に言い放つと、メリーノの剣が宙で振れた。かと思えば小さな嘆息が呟きとなって漏れる。

「頼む――と言っても、私が頼んだところで貴女は聞く耳を持たないかもしれないな」

 ——……何だ?

 囁きの中に雑音に似たものを感じ、セレンはメリーノの顔を窺う。感情を含まないように聞こえた語調がどこかおかしい。滔々と話すメリーノはセレンに話しかけるというより独り言を続けているようで、そこに温かみや激しい憎悪が無いのは確かだ。

「そう頑なになられると……分かってはもらえないのか。悔やまれるな」

 ——感情が無い? いや……

 相手の挙動を見逃すまいと注視したまま、違和感につけるべき名を探す。表層にある無は、無感情とは何か違う。空虚、というのは近いが、それもまたそぐわない。

 しかし、セレンの思考もそこまでだった。

「傷つけずに貴女を止まらせる毒を、いま持っているべきだった」

 その一言を聞いた瞬間、セレンの身の内で火種が爆ぜる。

「何をいまさら」

 我知らず出た嘲笑が堂内の気を乱す。セレンは短剣を翻して刃の先をメリーノに向けた。

「すでに使っておいて、戯言ざれごとを」

「使う?」

「どうして」

 もはやメリーノの言葉など聞こえない。わずかに生じた隙を捉え、考えるより先にセレンは相手の右脇に向かって切り込んでいた。

「それならいま言う通り私に毒を当てれば良かったのに」

 鋭い鋼の音が鼓膜を突き、その痛覚に動かされるようにセレンは刀身を再度メリーノへ向ける。

「動けなくするならあの時も私にすれば」

 「待て」という制止すら聴取できず、そのまま下から相手の懐に飛び込んだ。冷静になったはずの頭にはいまや思考の断片すら無い。ただひたすらに言葉にならない憤りが体を突き動かす。

 短剣を受け止めた刃の向こうでメリーノが平然と述べた。

「私自身は貴女にまだ何もしていないはずだ」

の手は下していないと? 上辺だけの弁明は聞きたくない。あなたの姉はフラメーリにいただろう」

「姉上? 確かに姉はフラメーリに行ったが」

 もう間違いではない。街で見たのがメリーノの姉なら、自分たちを襲撃したのはやはりカタピエ国の者だ。

 あのとき、クルサートルを撃ったのも。

「……なんで、私ではなく」

 再度振った剣を止められ、撃ち合った抵抗で後ろに飛ばされる。水盤に背中を強かに打たれて小さな呻きが出る。だが身が受けた衝撃よりも胸の内に込み上げて渦巻く憤りが勝り、痛みすら感じない。

 自分の目の前で傾いだ姿と閉じたままの瞼が脳裏に蘇る。呼び続けても返事がない、あのとてつもない恐怖が全身を包む。

「……目的のためなら、あなたは何をしてもいいと思っているのか」

 声が震える。目を背けたくなる醜い感情が、押し殺そうとしても湧き出て止まらない。

 こんな状態は経験したことがない。激した感情は無益だと教えられてきて、自我を抑える術は心得ているはずなのに、自分が自分ではなくなったように言うことを聞かない。

 今はメリーノの方が落ち着いてすら見える。

「何か成すのに犠牲はつきものだ。それは否定しない――だが言っただろう。私は貴女を傷つけずに済むならそうしたいと。何か思い違いがあるのでは無いのか」

「思い違いではなく根本的な考え方の違いだろう」

 一瞬、睨め付けたメリーノの瞳が揺らいだように見えた。

 しかし所詮は錯覚に違いない。もう騙されるものか。

「犠牲を構わないとどうして言えるのか理解しかねる。覇権のために人の想いを蹂躙し心身共に傷つけて。引くなら、だと?」

 笑わせる、とセレンは吐き捨てた。

 歯向かうなら切るか、無傷で手籠にするか、その二択。

「あなたは何も変わっていなかった」

 目的のためであるなら——

「偽りの温情を言いながら、結局は平気で私を廃そうとしている」

「違う!」

 絞り出すような悲鳴がセレンの叫びに重なった。撃たれたような感覚と共に目の前の陰が晴れる。

「貴女は分かっていないのか!?」

 憎悪から無意識に張られた膜が落ち、メリーノの姿が鮮明に目に映る。つい数秒前まで冷徹で無表情に見えたメリーノの顔が薄明かりの中で歪んだ。

「誰が……平気でなどいられると……私がいまここで、どれだけの……」

 息を詰まらせた叫びは次第に震えて切れ切れになりながら、しかし異様なほど強く耳に刺さる。

 先に感じて黙殺した違和感が再び現れ、形を取りそうになる。

「メリー……」

 セレンは短剣を下げた――下げようとした。

 途端、足裏からの強い打撃が骨を伝わり臓腑まで揺るがし、真っ直ぐ立つのすら許さず上体が折れる。食いしばった歯が振動で痛んでたまらず呻いた。

 同じような低い唸りが前方から聞こえ、何とか瞼を開けて顔を上げる。

 自分と相手の目が同時に見開いた。

「――危ない!」

 短剣が手から離れた直後、強烈な痛みと共にセレンの体が宙に浮いた。

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