敵の真意(五)
ゴトッという音のあと、硬質な金属音が高らかに鳴りわたった。目を閉じたまま身を固くして揺れが完全に収まるのを待つと、残響の中でぱらぱらと軽い音が頭上から降ってくる。
強かに打ち付けられた背中や尻が段々と感覚を取り戻してくる。痛みからきた痺れが次第に薄れ、セレンは瞼を開いた。視界の端で、数歩先に落ちた短剣がくるくると石床を滑って石塊に当たる。その拍子に床に転がった石彫の花から花弁が剥がれ落ちた。
「――なぜ助けた」
半身を起こし、わずかもない位置でもう一つの石塊の横に倒れた男へ問う。
「それは、そちらの方ではないのか」
床に手をついて起き上がると、メリーノは苦笑した。
「見事な短剣使いだな。あの一瞬の
感心しながら頭上を仰ぎ、そして床に転がった石彫を見遣る。先にあった地鳴りよりも大きな揺れを感じたと思ったら、欄干上の彫刻が割れてメリーノに向かって落ちるのが目に入ったのだ。
咄嗟に短剣をぶつけて落下の軌道をずらしたが、セレンの真上の欄干上でも飾り彫刻が崩れて落下してきていたらしい。メリーノのそばに転がる石は、彼に突き飛ばされなければセレンを強打していただろう。
「あれだけ激昂していた相手に救われるとは思わなかった。こちらが何を言っても切り掛かってきたのに」
「それは、ただ……考えるより前に動いていたから、私にもよく分からない」
セレンは歯切れ悪くなるのが分かりながら答えを選ぶ。反射的に短剣を投げたので半分は嘘ではない。
しかし本当のことを言えば、泣きそうなほど悲痛に叫んだメリーノの顔を見てしまったのが理由だという自覚はあった。
他に言いようがあるかと探していると「不思議な人だな、貴女は」と愛おしそうに言われるのでさらに落ち着かない気分になる。
「しかし助かったはいいが、出られなくなってしまったな」
薄暗さを増した空間をぐるりと見渡してメリーノが呟く。彼の背後にあったはずの入り口はいまや石の山で塞がれていた。扉を囲んでいた石組の内側は、表層以上に劣化していたらしい。
セレンが返事も頷きもせず黙っていると、「少し話をしないか」とメリーノが切り出した。
「私の部下が後から来る手筈になっているからしばらくすれば出られると思うが……それまで先のようなやりあいを続けるのも避けたい。どう転んでも後味が悪い」
困ったような笑いを向けられて、セレンは半ば放心状態で頷いた。頭が一気に冷やされたいま、異論は浮かばない。
それに怒りで失っていた理性が戻ってくると、目の前にいるメリーノからはもはや聖堂に入ってきた時の冷えた威圧感が消えている。むしろ領主邸でセレンを遇した時のやや頼りなげな雰囲気に近い。
「提案を呑もう」
セレンは服にかかった石の粒を払って座り直した。するとメリーノは安堵の色を浮かべて、自らもそばの台座に腰掛ける。
「まず、先に誤解を解きたいのだが」
一息ついてメリーノは膝の上で指を組んだ。
「姉とフラメーリで会ったのか」
「いや」
どうやら本当にフラメーリでの姉の動きに通じていないらしい。
「会ったというと違う。あの令嬢は見かけただけで話はしていない。しかしカタピエの手の者と思える人たちに襲われた」
「それはおかしい」
疑うのが難しいくらい率直な驚きがメリーノの声と顔に現れる。
「姉は一人で行ったのだが?」
「たった一人で? 供もなく? 普通あるか?」
今度はセレンが驚く番である。まさか大国の領主令嬢が随伴なしで他国に出かけるなんてことがあるだろうか。
しかしメリーノは決まり悪そうに首の裏を掻いた。
「もっともな意見だがあの人は普通ではないのでな……いまのカタピエ領主家の令嬢があまり外に知られていないのは知っているだろうか」
セレンは頷いた。クルサートルから聞いた話だ。
「あの人は本当に変わった人で。諸外国に顔が知られていないのをいいことに出かけたいと思ったらふらっとどこかに行ってしまう。今回フラメーリに行ったのも、新流行の宝飾品が贔屓にしている店に出たから見たいと。私がフラメーリより先の南岸へ視察に行く関係で途中までは一緒だったが、視察団から一人で抜けていった」
本当に参った、とメリーノは顔半分を手で覆いながら説明する。あまりに予想外な理由に、セレンは思わず問いを重ねていた。
「買い物のために? 一人も伴もつけずに?」
「誰かついてくるとうるさくてかなわない、だそうだ」
「カタピエにもその店は行商に来るのでは……」
「現地の方が品揃えがいいのと、気晴らしにたまに国外に出たくなるのだと」
「そんな理由で……」
「俄かには信じられないだろうよ。だが、私にとっても残念だが事実だ。その証拠に姉以外、我が公国領主家の護衛につくような輩は一人も検問を通っていない」
文字通りセレンは開いた口が塞がらなかった。まさか大国領主家の人間がそんな気の向くままに他国の繁華街を闊歩しているなど一体誰が想像できるだろう。
呆れと驚きが混じってセレンが言葉も継げずにいると、メリーノが「気持ちはわかる」という視線を寄越す。そしてすぐに真剣な面持ちに変わった。
「フラメーリで何があったのか、聞いてもいいだろうか」
「覆面の者たちに襲われた。その前にあなたの姉を見たから……」
なるほど、とメリーノは顎に手を当てる。
「それでカタピエが襲ったと思われたわけか。だがもし我が国の者の仕業だとしたら領主である私の許可無しの行動であるし、それどころか私の意に反する重罪だ」
予想しないほど強い断言で、無意識にセレンの体がびくりと震えた。
「ちなみに姉上なら万が一でもそんな分かりやすい手は使わん。あの人が誰かを排そうとしたら、もっと巧妙緻密で絶対に裏が取れず、なおかつ確実に相手を仕留める方法をとる」
これまた聞く者の否定を許さない確信を持って、ただし非常に面倒そうに宣言される。
こうもメリーノが認識していない事情だとすると、一体下手人は誰なのか。
他に心当たりも無い、そう述べるメリーノの顔にも嘘は窺えない。それにもし姉の仕業であったとしたら、もう少しまともな嘘をつくだろう。
「だが貴女はそれだけであそこまで激する人ではない気がする――何か、あったのか」
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