敵の真意(六)

 真摯に話を聞こうという姿勢を見せられては、セレンもそう無碍にできない。

 下手な疑念は人の道に悖るとミネルヴァから教えられてきたせいか、元々の気性なのか、激情がひとたび引いてしまうとなかなか戻らないのだ。

「襲撃者が毒矢を持っていた」

 クルサートルから甘いと嗜められそうだと、叱られた気分になりつつも正直に話してしまう。

「それで、私の大事な友人が……」

 息が詰まる。

「……射られた」

 言葉にするだけで、心臓が止まるのではと思うほど、痛みが走る。

 視線が膝に落ちる。じっとこちらを見ているメリーノの視線が分かるが、顔を上げられない。

 どれくらいそうしていたろう。

「そう、か」

 長い間のあと、ためらいがちな相槌があった。

「とても、大切なご友人なのだろうな」

 セレンはまだ俯きながら、返事の代わりに深く頷いた。

「それなら先の貴女の怒りも理解できる。私だって、もし貴女が蛮族に害されたと聞いたら何をもってしてもその者を斬ろうとするだろうよ」

 落ち着いてはいるが、決然とした物言いだ。実際にそうした相手が現れたかのごとく、厳しい目で空を見つめている。

 かけがえの無い人を失い、倫理に反した暴虐に憤怒するとは、「非情の領主」という通り名にそぐわない。

「なんだか、意外だな。さっきは私に剣を向けていたのに」

「それはそうだが……」

 メリーノは双眸を和らげ、頬を掻く。

「でもさっきも言っただろう。私は貴女を傷付けたくはないと。そうでなければ我知らず助けたりなどするか?」

 セレンの上に落ちかかった石彫の残骸を一瞥してから、メリーノは同意を求める眼差しを向けた。確かに「傷つけたくない」と言うのが利己的な欲からならば無条件でセレンを助ける真似はしなかったはずだ。

 自分の憤りが全くの勘違いだったのかと思うと、恥と後悔がないまぜになって居心地が悪い。

 自己の非は認めるべきだ。吐息に乗せて、濁り固まった感情を追い出す。

「誤解で罵ってしまったのならすまなかった。私はてっきり、あなたが以前のように色欲に満ちたままでいるのかと」

「いや、私は今この場でだってすぐにでも貴女を抱きたいとは思っているが――」

 言葉の内容に似合わず清々しく言ってのけてから、メリーノはセレンを見て口をへの字に曲げた。

「私も人並みに傷つくんだ……そんな腐敗物を見るような目で見るのはやめてくれないか」

 セレンはこれ以上ない速さで座ったまま端の壁まで後退あとじさり、警戒と侮蔑に満ちてメリーノに無言の非難を浴びせていた。

 しかしそんな様子も非難されている本人には、言うほどこたえていないようである。

「当たり前だろう、私も男だ。これ以上の好機があるか? 恋焦がれた女性と密室で二人きりになったら欲しない男がいるはずもない」

「そんな……あなたと同じに一つにまとめて括ったら世の男性全てに失礼だと思うが」

「そうだろうか。至って普通で健全だと思うが」

「少なくとも、私の身近にいる男性は違うと思う……」

「その男、精神的に大丈夫なのか」

 その言い方と顔が本気で心配しているらしいので、セレンはむしろ自分の一般認識がおかしいのだろうかとやや怖くなる。しかし思い当たる一番身近な男性を頭に浮かべてみても、ついぞメリーノの説明と結びつかない。

 さらにはそんな素振りが想像できないのは自分が相手だからかと思い至り、不覚にも気分がやや沈む。

 一方のメリーノはセレンの心情には気づかぬ体で独りごちた。

「もし本当に何も手を出さずに耐えられる輩がいたら、私は心底敬服するな」

 吐息と共に感嘆を述べると、メリーノは遠くを見る目で天井を仰ぐ。そして数秒、壁に当たる光を眺めてから、

「まあ……今回は私はそういう男にならないわけにはいかないだろうな」

 と諦念を吹っ切った口調で呟いた。そしてふと、疑問の視線に気づいてセレンの方へ向き直る。

「もしいま私が欲望のままにすれば、貴女は永久に離れてしまうだろう?」

 それは否定できない。セレンが返事をせずとも、メリーノは表情から肯定を読み取ったようだ。

「ならばやはりできないな。前も言わなかったか。私は貴女には嫌われたくない」

 そう述べるのは、邸でこわごわセレンと向き合ったメリーノに似ている。それに加えて憑いていたものが落ちたような感もあり、今まで出会ったメリーノのいずれとも違う。

 好意も欲情もあけすけにされるとうまく受け流せない。拒否も受諾もできずについ微妙な表情になってしまう。 

 相手の出方を窺いながら言葉を選ぶ必要すら感じられず、セレンはありのままを口にしていた。

「何だか……あなたは一番初めに会った時とは全然違うな。どんな娘だろうと相手の意に構わず我がものにする暴虐なカタピエ領主だと」

「随分だな。人を色魔のように言わないでくれないか」

「違うのか」

 当たり前だ、と言葉だけ憤慨してみせて、メリーノは微笑しながら続ける。

「貴女自身が望むのでなければやらないし、無理強いしたところでそんなものは私にとって無意味だ。むしろ拒絶されたままで貴女と寝るなど劫罰に等しい」

 言っていることはきわどいが、こうもすっぱり言い切るメリーノも初めてだ。セレンは憎悪が引いていくのを否応なく自覚する。

「やはり、変わったと思う。アンスル大陸各地の公女を次々に輿入れさせて、大陸を力づくで牛耳る覇権を狙っていたあなたとは」

 言いながら自分でも不思議なことに微笑混じりになる。相手の行いを許した気はないのだが、今のメリーノを前にすると苛烈な感情が生まれてこないのだ。

 だがセレンが穏やかな心地に変わるのとは逆に、メリーノの顔は驚きに一変した。

「牛耳る?」

 そして鸚鵡返しの言葉の続きは、セレンの顔からも笑みを消し去った。

「私たちは他国の自由を完全に奪うなど、はなから考えてもいないが?」

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