敵の真意(七)
「どういうことだ。カタピエは公女や四神の珠を使って自国の覇権と独裁を狙っているのではないのか」
たったいま耳にした発言が信じられずに語調が強くなる。対してメリーノは柔和で頼りなげな雰囲気を崩さず、「覇権、まあ、そうだな」と考えながら言葉を探した。
「確かにそういう言い方もできるだろう。カタピエによる大陸全土の統治だからな。文字通りの意味では正しい。だが我々が目指しているのは暴虐な専制とは違う」
「しかし罪のない公女たちを輿入れさせた結果、何人もが泣いてきたのは見ているだろう!? それがどうして自由を奪わないことになる!」
思わずセレンは声を荒げたが、メリーノは咎める視線を真っ向から受け止めてもなお淡々と続けた。
「一人の犠牲もなくというのは何をやるにしろ無理だろう。公女たちには悪いが、彼女らは犠牲を最小限にするために必要な代償だ。先の目的のためを果たすための」
「そんな平然と……」
セルビトゥの公女のほか、自分が救ってきた娘たちの悲痛に満ちた瞳を思い出すとメリーノの説明は妄言にしか聞こえない。あれが最小限の代償と言ってもセレンには納得できなかった。
何人もが流した涙は嘘ではないのだ。一瞬前まで忘れていた憤りがまたも込み上げる。
「専制ではないというなら、先の目的というのは何なんだ」
どう考えても非道だ。何をもって説明しようというのか。
しかし激しさを増すセレンの詰問に、静かで、なおかつ揺らぎのない答えが返る。
それは静謐な聖堂で厳粛に響いた。
「平和だよ」
飴色の眼に宿るのは、強い決意と覚悟か。
澄んだ声は聞き間違いの余地もなく、瞳には虚勢も欺瞞もない。
「それで、平和……なんて」
衝撃が強すぎて最後の方ははっきりした発語にならなかった。ただセレンの心境は伝わったのだろう。確認の意と取れる深い頷きを返す。
「そうだ。それも安寧を維持する絶対的統率力の下での、揺るぎ難い平和だよ」
何を言わんとしているのか、まだセレンは理解しきれない。メリーノは指を組んだ手の上に顎を乗せ、説明の姿勢に入った。
「今のアンスル大陸は実に酷い状況だろう。いや、『今』というよりも以前からの悲惨な事柄が積み上がっていると言った方がいいか。どの国も自国の勢力拡大を狙い、大陸のどこかしらで暴動や戦乱が絶えない」
それには歴代のカタピエ領主も大いに加担してきたわけだが、と苦々しく加える。
「たとえ戦になっていないとしても水面化のせめぎ合いや暗殺なんてものは珍しくないと聞いているし、諸国の状態を見ていれば実際そうなのだろう。おかげで中立国も表面的には安泰に見えて、常に隣国のご機嫌とりだ」
諸外国の関係はセレンも教庁や教会の遣いでケントロクス外に赴くときに見聞きしている。日常の生活空間に触れるだけではそこまで戦々恐々とした空気はないが、検問や公的機関を訪れた際に、外部者に対する詮議と警戒が強いのは身をもって経験してきた。
自分の見た目もあるのだろうとは思っていたが、確かにそれだけでは説明できないような敵意を受けることもある。
しかも大陸内に起きている権力争いは、国と国の間だけではない。
「教会関係が唯一諍いのない場だと思われているが、ケントロクスのような教会の中枢の座を巡って教会内部でも抗争があるという」
クルサートルが忌み嫌い、常に警戒の目を走らせて状態悪化を防ごうと尽力している件だ。諸外国まで内部事情が知れているとあっては、セレンが知る以上に現状は緊迫しているということか。
自分が教会関係者であるとメリーノに知れていいかは分からない。黙していると、メリーノはそれを傾聴と取ったのか、さらに先を続けた。
「おまけに記録書を開いてみれば、そうやって勢力争いが大陸全土に及んでいくにつれて自然災害が多発し妙な気候変動まで起きている。ここのところそれらも急激に増加しているように感じる。さっきの地鳴りだってそうだ。まるで火山活動のような」
そう言われれば、アナトラで起きた豪雨もその一種だ。それ以前にも異様な天候は頻繁に報告され、ケントロクス教庁から救援に向かう人員が多かった。
それも各国間の関係悪化につながる原因だ。セレンがそう思ったのと同じく、メリーノも同じことを説く。
「そうやって多数の国や自治体が互いに牽制し合い、闘争に発展し、その度に混乱と惨事が起きている。教会は教会で統率者の座の奪い合いになりかねない。要するに大陸内は独立体があまりにバラバラに存在しすぎているんだ。だが、もし大陸がひとつの国だったらどうなる?」
メリーノは顔をやや上げ、飴色の瞳がセレンをひたと捉える。
何を言おうとしているのか、理解不能だった相手の意図が見えてくる。
「一国統治による闘争の払拭か」
「そういうことだ。中央集権化により大陸を一つにして組織すれば、現在多数の勢力間で行われている領土争いやそこから派生する害は抑えられる。もちろん文化的差異などは考慮して残さねばならないが、少なくとも医療福祉や教育、食糧需給などを一本化して大陸全土で補いあえば、土地の肥沃や力の落差からくる貧困その他の問題は是正できるだろう」
言いたいことはセレンにも納得できる部分がある。確かに現状では国の力関係が邪魔して困窮している人々に支援を自由に送ることはできない。中立を謳う教会でさえ、たとえ援助の手であっても他国への干渉は制限されているのだ。
緊張した大陸の状況から異物を忌む傾向が強くなっているのも、差し伸べようとする援助を拒否する大きな原因だ。
それによって救えない人々がいるのは本当だし、何よりもセレン自身が幼い頃にケントロクスに捨て置かれた時、クルサートルが大人たちに訴えてくれなければそちら側に回るところだったのだ。語られた内容が実現すれば、セレンのような子供は減るだろう。
しかし、それでも解せない点がある。
「だが平和を望むと言うならなぜ公女たちを不幸に陥れる真似をした? それこそ真逆の行為ではないのか」
彼女たちの心痛はセレンの記憶にもまだ新しい。望まずに国を離れ、もしかしたら愛する人からも別れざるを得なかったかもしれないのに。
セレンの辛辣な語調が嫌悪を含んでいたからか、メリーノがやや目を逸らす。
「平和の実現は現状から一足飛びに行えるほど簡単ではない。大陸全土を一つにするならまずは諸国をカタピエの下に置く必要があるだろう。初段階で他国の恨みを買うことくらい承知の上だ。しかし、私は戦をするのは御免だ」
「まさか……彼女たちが最小限の犠牲というのは……」
戦乱を避け、なおかつ諸外国をカタピエに取り込む方法――公女をカタピエ領主後宮に入れてしまえばそれは叶う。
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