敵の真意(八)

「確かにそれなら領地争いのように無駄な血が流れはしないけれど……次々に公女を娶るなんて真似をしたのは、あなたも戦禍の被害を避けたいと考えたからだと……?」

「そうだ――と言えたら格好が良いのだがな。だが私は自分が軍を率いてやり合うのは得意ではない。というか、自分の命を賭けるのははっきり言って恐ろしい」

 一国の領主とは思えない内容を、くうを仰ぎながら悪びれもせずに言う。

「反面、美姫を愛でるなら大歓迎だ。実際にいくらか楽しんだし」

「厚顔無恥もほどほどにしたらどうだ。自分の欲で泣かせたのは本当じゃないか」

「否定はできないな。だが貴女と会ったら全く空虚な快でしかなかったと思い知った。彼女らが束になったところで、貴女から得られる悦びは露ほども感じられまいよ」

 公女たちの代わりにきつく非難したつもりが、あまりに率直に返されてセレンは閉口した。よくこんな台詞を恥ずかしげもなく口にできるものだ。

 別にセレンにしてみればそう言われたところで嬉しくはない。ただ呆れと居心地の悪さが怒りを邪魔して糾弾し続けられなくなる。

「それに公女にしたって興味が湧いたら共寝はしたが、放っておいた娘たちも含めて冷遇したつもりはない」

「それで……」

 アナトラでレリージェと交わした会話が思い起こされる。なるほど、メリーノの手にかからずに逃げられたという公女たちがいたとの話がようやく腑に落ちた。

 メリーノはセレンが言葉を切ったのをどんな意味に取ったのか、「公女が貴女だったら絶対に逃しはしないさ」と心底惜しい目をして呟く。そんなことを言われてもどうしろというのだ。

 これだけ率直に気持ちを吐露できるのは羨ましい――ちらとそんな想いが頭をかすめたが、話の軌道を変えていかないと雲行きが悪くなりそうだ。

 言いたいことは山ほどある気がしたのだが、メリーノの言動のせいなのか、話の内容に混乱しているからなのか、なぜだか一つも出てこない。ここのところ冷静な思考が妨げられることばかりだ。

 半ば諦めのため息と共にセレンは吐き出した。

「暴動を起こさないためならば、そちらが言う策が有効な部分もあるかもしれないけれど。実際にカタピエ相手となれば公女を奪われても戦旗を揚げられる国はなかったわけだし」

「その点では我が祖先に感謝している。私は戦場に立ちたくないが、彼らが世を震撼させる戦歴を作ってくれたおかげで歴代領主が育てた軍事力だけちらつかせれば戦わずして諸国の剣をしまわせることができる。それに言い方はあれだが、属国にした後に彼らの国に不利益な政策は取っていない」

 何を成すにしろ、ことが大きければ大きいほどそれなりの代償は仕方ない。メリーノは先の言葉を繰り返す。

 理屈は通っている。だがセレンの胸中はまだもつれて燻る塊が残る。一国一人の公女と多数の戦死者の犠牲を並べると、どちらがましかなんて即断できるはずがない。

「――ならば、四神の珠はどうして」

 何とか思考の中から問うべき問題を探り出す。

「それは貴女が公女を連れ去るからだろう」

 いまさら聞くな、とメリーノはやや呆れ顔になった。

「後宮に入れては何者かによって公女は消える。これでは計画が立ち行かない。予備の策を、となったときに姉が辿り着いたのが四神の伝説だ」

「あの女性ひとも計画に加わっているのか」

「知略はほぼあの人だと言っていい。実行者である私の不利益にもならんだろうと」

 ということは公女の計画も彼女の立案なのだろうか。女性ながらにしてなんて方法を提案するのか。そして乗る方も乗る方だ。

 セレンは眩暈を覚えた。この好色馬鹿が、というクルサートルの罵言が聞こえる気がする。

 ただしメリーノはその困惑にはお構いなしである。

「最初は両方の策を平行でとっていたのだが、貴女に会ってしまったから。他の女など興味も無くなった。というか、相手にする気も起きなくてな。結局方法は一つに絞られたのだが」

 ふぅ、とひと息つくと姿勢を崩し、頬を緩めた。

「しかし方策を変えた後も、貴女にことごとく阻まれてしまった。私なりに自己の責務をとして目的を果たそうと努めたんだが。貴女を前にすると駄目だったようだ」

 純粋な疑問がセレンの顔に浮かび、それを見てメリーノは、こんな様子もいいな、と感じてしまった。自覚が無いのも困りものだが、きょとんとした無垢な表情を見られたのは幸運だ。

 確かに言われた通り、自分は変わったのだろう。

 個々別々な国々がまとまるまで、ある程度は強健な態度が必要だ。全土を統括する組織的な制度が成立するまでは、公女を奪った国々やカタピエに次ぐ列強の反発を抑えねばならない。

 そのために表向きは冷酷な領主を演じなければならなかったし、それで恨まれる覚悟はしたのだ。目指す統一体を実現するなら、悪役にもなってやろうと思った。計画を珠集めに転換してもことは同じだ。何人なにびとを前にしても厳格かつ強硬に、確実にカタピエが手に入れねばならないと。

「決意したはず、だったのだがな」

 思い返して自分に呆れ、しかし同時に可笑しくて笑えてくる。

 どこまでも己を思うように動けなくする女性だ。

 一度は高圧的に出て挑発してみたが、この女性は臆せず喉元に剣を当ててすり抜けて行った。二度目は彼女が邸に止まった喜びで仮面をつける余裕すら無かったが、甘い喜悦と引き換えにとんだしっぺ返しを喰らった。

 大国カタピエ主導の計画は何をおいても譲れない。彼女がどう転んでも手に入らないなら、もう一度相見あいまえても仮面を被り直せば良い。姉との約束で自分を戒めもした。

「慈悲のない公国領主でいようと思っても貴女相手には効かないし、それどころか崩れてしまう。どうしても自我が出てしまって演じきれん。さっきもそうだ」

 カタピエ領主という立場からすれば非常に困った状況なのだが、逆にここまでくると清々する。

「貴女と次に対峙したら、嫌われようが冷徹に跳ねつけて珠は我らが手に入れると覚悟していたつもりだったのだが。元々が臆病なんだ。嫌われる恐怖が強すぎてすぐ素が出たな。私は役者には向かんらしい」

 格好がつかなくて滑稽だ、と一人でくすくす笑っているメリーノを見て、セレンの中に引っ掛かっていた先の違和感が抜ける。 

 剣を交わした時の妙な感覚は、メリーノが纏う気が作り物だったからか。いくら表層を塗り固めても芯が弱ければ構えや太刀筋に隙ができる。作り上げたのが殺気のような強い感情であればあるほど、そこに嘘があればほつれやすい。

 セレンはメリーノがひとしきり笑い終わるのを待った。

「それが、あなたの真意か」

 当惑はまだ残る。納得しきれているわけでもないし、公女たちの件を全て赦せるのでもない。

 それなのに毒気を抜かれるのだ。この男は。

「正確に言えば私たちの真意だ。もう先代までのような血みどろの歴史に終止符を打ちたいという、今代カタピエ領主姉弟の。まあ一代で遥か昔の賢君だった祖先と同じになれるなど思っていないさ」

「分かった」

 達観した笑みに見えた。実際に実現したら、安寧はあるのかもしれない。しかし――

「でも、完全には賛成できない。人命を奪うのではなくても、やはり公女たちの悲しみは計り知れないし、誰かの犠牲の上に成り立つ平和は、私には悲しい」

 セレンは膝の上で拳を握った。

 代償を払わずに行うのは至難の業かもしれないけれど、その犠牲の上で自分は害を受けずに安穏としているなど、耐えられるだろうか。

「それに一国統治といっても、たとえ武力を使わなかったとしても他国を併合していけばきっとどこかで反発が生まれるのではないか。上部組織が好遇に努めても信頼を得るまでには時間がかかると思うし、公女を奪う方法では危険性も高い。実現性の程度は不確かだ」

「もっともだが、確かな方法なんてひとつも存在しない。ならばやってみる価値はある。それに人間の力だけでは不能であれ、大陸を統べる四神の珠の持ち主になれば、全土の統率も可能だと」

 そう語るメリーノの瞳は希望を湛えてきらきらしい。未知の将来を夢見る子供のようでもある。

 しかし果たして、多様な思想と文化と、それぞれ独自の歴史を持つ国々や教会が単一の組織としてまとまれるだろうか。

「自分とは違うものが上から下した決定が、必ずしも他の土壌に合うとは限らない。悲しいことだけれど、人が異物に馴染むのは時間がかかる」

 実に悲しい。だが月色の瞳ゆえに異端扱いされた経験から知る現実だ。他者として認識すれば排除するか、たとて運良く敬意を払って尊重してくれても、敬遠が混じる。

 異なる対象を自己の一部として扱えと言われても簡単には浸透してくれない。悲しいが、人の性でもあろう。

 差異が軋轢にならず貴く伝えられる方法――尊び受け入れる状態で共存できれば。

「抑圧を伴う統治は避けられるなら避けたいし、きっと避けることは可能だと――私は信じている」

 全ての人ではなくとも、ケントロクスで自分を受け入れてくれた人々がいた。どこの誰ともわからぬ異端児を、愛して慈しんでくれた存在があった。

 不可能ではないのだ。

 セレンは瞼を閉じ、再び開く。

 聖堂のおぼろな明かりの中で、月色の瞳が強く光る。

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