焔と必罰(四)

 白刃越しに相対する奇襲者は覆面をつけて相貌が分からない。確かなのは険のある瞳から感じられる憎悪に近い感情だけである。

 呼吸を取り戻しがてら、セレンは皮肉に笑ってクルサートルを横目で見る。

「知る顔か?」

「記憶にないな」

「恨みを買う覚えは?」

「山ほどある」

 冗談を言っていても仕方ない。短剣に圧をかけて相手を押し返すと、セレンはその反動を使って後ろへ飛び退すさった。不意打ちを受けた不安定な体勢を立て直し次の一撃を払うと、同じく追撃を返したクルサートルと背中合わせになる。

「工場の中には入れたくないが」

「同感だ」

 神聖な場所が傷つけられるのはもちろん、そうでなくとも職工の作業場が荒らされる事態は避けたい。

 立ち位置を変える間も無く、後ろに退いた相手が再び突きを繰り出してくる。地と水平に迫る剣をセレンの短刀が下から打ち上げ、その拍子に空いた脇腹をクルサートルが剣の面で強打する。後ろに控えたもう一人は倒れかかってくる相方に一瞬蹈鞴たたらを踏んだが、すぐに得物の標的を二人に定め直した。

 身を寄せた状態では剣と身体の可動域が限られてしまう。このままでは防御に徹することになりかねない。

「散らすか」

「分かった」

 会話を切ると、クルサートルが後ろ手に工場の扉を勢いよく閉じた。それを合図にセレンが左手に走り襲撃者の目を惹きつける。二人組のうち片方がセレンを狙って踏み込み、その相方の行動にもう一方が目を逸らした隙に、クルサートルの肘鉄がしたたかに男の肩を打った。

 一対一に持ち込めば味方を攻撃しないよう気を払う必要もないし、この程度の腕ならセレンとクルサートルの相手ではない。

 だが、できれば無為な血を流さずに済ませたい。

「ひとつ聞く」

 闇雲に続けられる剣戟をかわしながらセレンは問うた。

「あなたたちの狙いは何だ」

 メリーノの姉がいたとなるとまず考えられるのはカタピエ公国の刺客か。それなら返答次第で取るべき手段が変わってくる。脱走した自分が標的なら一時的に捕まってクルサートルを解放させるし、珠を求めて来たならみすみす彼らを自由にはできない。先ほどのクルサートルとの会話が聞かれていたとすれば尚更だ。

 しかし案の定、凛と張った声に返ってくるのは空を切る音だけである。素直に答えるような人間なら初めから覆面などしていまい。こうなれば実力行使に出るしかない。

 首もろとも上体を振って剣をよけ、かがみ気味に相手の脇へ短刀を繰り出す。難なくかわされるが想定内だ。撹乱できればいい。セレンはそのまま真横に倒れて地に手を突くと、そこを支点に大きく側転した。

 弧を描いて着地すると、計算通り標的を失った相手の攻撃がぶれる。こちらに向いた剣先が辿る筋を見定め、セレンは着地した足首をバネに跳躍した。

「命を取るつもりはない」

 払われた剣がやや離れた場所で地に落ちる。襲撃者の首筋に短剣を当てたまま、セレンは金属音の残響に自分の声を重ねた。視界の隅には、同じく相手を壁へ追い詰めたクルサートルの姿と、壁面に不恰好に寄りかかった剣がある。持ち主の手から外れたのだろう。

「私たちは血を流すために剣を持っているのではない。もしあなたたちが上の命令で動いているのなら、あなたたちを咎めるのは違うと思う」

 下手人となるのは大抵の場合、下の者だ。強者は自分で手を汚さない。もしカタピエ国の衛士が屋敷でセレンに語った内容から推測される通り、メリーノが国外多方面に向けた勢力を緩めていないのならば平気で部下を使うだろう。自らは望まぬ命令でも、圧政を敷く領主に逆らえる人間は少ない。

「返答次第で私たちも剣をしまうし、あなたたちの処遇も考える。できれば話してくれないか」

 誠意が伝わるよう一語一語をはっきりと発音する。最後まで述べ終わったら相手の目を正面から見つめ、無言で待った。

 数秒の後か。男の肩が緊張を緩めるのが分かり、苦渋を浮かべていた目に諦念が浮かぶ。

「……分かった」

 覆面の下から発せられた返答はくぐもってはいたが、間違いなく聞こえた。セレンは深く息を吸い、吐き出すのと共に礼を述べる。瞳の中に抵抗の意志が見えないのをもう一度確かめ、相手の首に当てていた短剣を外すべく柄を上げる——そうしようとしたはずだった。

「セレン!」

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 手首に激しい痛みが走り握っていた柄が手からこぼれ落ちる。強い衝撃を感じた直後、自分の意図に反し視界が大きく揺れた。流れていく映像の中でたった今解放しようとした男が身を翻すのとクルサートルが駆け寄るのがほぼ同時に映り込み、かと思うと次の瞬間には脇から勢いよく押し飛ばされてたまらず地に手を突く。

 手のひらが受けた烈しい痛みを飲み込み振り返ると、急に視界に影が射した。

「クルサートル!」

 目の前でクルサートルの体が、セレンを守るような姿勢から崩れるように傾いでいった。

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