募る思慕(四)
かぐわしい茶葉の香りを孕んだ湯気が空気を温めていく。鼻腔に入れば気を和らげ、呼吸をいささか楽にする。
ほう、と小さく吐息すると、ことりと目の前に平皿が置かれた。
「さ、どうぞっ。どれもあたしのお薦めだから」
つい、とフィロは皿をセレンの方へ滑らせた。白肌のような陶器の皿には色とりどりの茶菓子がこれでもかと載っている。
「遠慮なく全部食べちゃっていいわよ」
「全部って、それは悪いよ」
「いいのよ。新規取引先開拓のために買ったものでもあるし。どのみち残ったら袋詰めしてセレンにお持ち帰りしてもらうんだからいま食べても後で食べても一緒でしょ」
もう決定事項として述べるので、セレンは苦笑しつつも皿から鮮やかな紅の焼き菓子をひとつ摘み上げる。高温で焼き乾燥させた卵白の砂糖菓子だ。舌に載せて軽く噛むと、熟れた果実の甘い酸味が広がった。
「それで、あの馬鹿が何をしたって?」
「あの馬鹿って……私はまだ何も言っていないのだけれど」
「あら。セレンが明るく頬を染めるのも、そう浮かない顔をするのも、原因はあの馬鹿しかいないと思うけど?」
見透かされているなぁとセレンは内心で自分に呆れた。常は本人の前でなくても礼儀をわきまえているフィロが「あの馬鹿」という呼称を使う相手は一人しかいない。
複雑な想いで茶器を両手で包み込む。器越しに伝わる熱が冷えた指先をじわりと温めた。
「で、どうしたの? 教庁に帰ってきてからそう経たないでしょう。向こうで何かあったの?」
セレンは頷いた。アナトラ行きはフィオが促したし、教庁秘書官の帰還はケントロクスの皆が知るところだ。アナトラに向かう直前に会っているのだから、この間に起こったことが原因だと推測するのは当然である。
ただメリーノが絡んだ暗躍をフィロに話すわけにはいかない。どう説明しようかと、セレンは言葉を選んだ。
「なんだか……分からなくて。クルサートルの気持ちが」
「あれが胎の中で何考えてるかなんてわかる人間がいたら相当な曲者よ」
すぐさま容赦ない返事がある。八割がた本心だろうが、セレンの気を軽くしようとの心遣いも分かって「ひどい言われようだ」と笑みを作る余裕が生まれる。
「確かに自分の本音を簡単には曝け出さないだろうけど、いつも理性的なのは絶対だと思っている。なのに……」
「なのに?」
間近に感じたクルサートルの冷えた怒りが思い出され、ぞくりと身体を震わす。セレンは茶器に当てた指に力を入れた。
「なんというか、怖くて」
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