縁の吉兆(三)

 どんなに栄えた都市でも祈りの場には静寂が好まれる。フラメーリ公国首都も例外に漏れず、教会と市内中央を繋ぐ道は人通りが減って、周囲に気配らずとも難なく二人並んで歩いていけた。

 ただし、二人の間には大通りにいた時とは別の意味で微妙な空気が漂っていた。

「ここは外れだったか」

「聖物の中にそれらしいものは一つもなかったな」

 示し合わせるわけでもないのに、二人同時に溜息が漏れる。

 フラメーリ公国も教会関係者の信仰心は並のようだったが、そもそも教会内に聖物や儀礼用の道具類が実に少なかった。案内をしてくれた修道士が説くには、事物をもって神を讃える文化は無いのだという。四神の珠について直には聞けないので探りを入れてみたが、教会が把握している限りそれらしき物はなさそうだった。

「公国領主邸に行った方もあまり期待は持てないだろうな」

「カタピエ勢より早回りできたかと思ったけれど逆に無駄足を取ったね」

「一旦ケントロクスに戻って、早いところ次の標的に移った方がいいかもしれない」

 総帥秘書官が領主邸に赴くのは政治的事情ゆえに避けた方が良い。そちらへの訪問はクルサートルの側近に任せ、調査が済んだら投宿した旅館で落ち合う予定だった。収穫があればケントロクス教庁に珠を一時的に預けてもらえるか交渉に入るし、そうでなければ帰路に着くのみだ。

 領主と面会の約束を取り付けられた時間が遅かったため、セレンとクルサートルは部下たちよりも早くに教会へ赴いた。この分では自分たちの方が先に旅館に着くだろう。

「しかし宿にいてもやることがないな。時間を潰すにも他の仕事の道具は置いてきてしまったし」

「領主邸での話がわからないことには次の策も練れないな。街中で情報でも――」

 そこまで述べて、セレンは「あ」と声をあげて立ち止まった。

「どうした」

「あ、うん。一つ用事を忘れてて。大したことではないからもし時間が余るならでいいんだけど」

 もし、と言われても実際に時間は余っている。いいから言ってみろと先を促されると、セレンは遠慮がちにクルサートルを仰ぎ見た。

「フィロから新しく取引先になった店を見てきて欲しいって言われていて」

「仕事での遠征でセレンにそんな暇があると思っているのか、あの能天気娘は」

「気晴らしにもなるってフィロなりの気遣いだよ。今回はクルサートルも一緒に回るから私一人の時より余裕があると思ったのではないかな。仕立てた服に合わせる飾りのためらしくて、宝飾品店だそうだけれど」

 そこまで聞いてクルサートルは眉を顰めた。セレンは気が付いていないだろうが、フィロの狙いがあからさますぎる。耳飾りを土産に渡した後も、次はもっと然るべき文言を加えてセレンが解るようにちゃんと渡せだの、宝飾品なら耳飾りなんて中途半端なものを贈るなだの、街で顔を合わせた時に仕立て屋ならではの細かい点に至るまで説教を浴びせられるという散々な目に遭ったのだ。しかもこちらから何も言っていないのに、である。

 今回の件も帰ってからのフィロの追究が面倒臭い。そう思ったのが顔に出ていたのか、セレンの瞳が翳った。これもまたまずい。そう落胆させるつもりもない。

 寄り道をしても側近の帰りには十分間に合うし、茶店で落ち着く気分でもない。

「いいよ。行こう。場所は?」

「聞いていない。かなり古い溶鉱炉がある工場こうばもついていて有名だから、店の名前を言えばすぐ分かるって。誰かその辺りの人に訊いてみる」

「あいつはどこまで適当なんだ」

 本人が聞いたら激昂しそうだと密かに思いながら、セレンは道の先に顔を向ける。すると、ちょうど前の十字路を足早に横切ろうとしている女性が目に入った。比較的身分も良さそうで旅荷物らしき鞄もない。地元民だろう。

「すみません、ちょっとお訊きしたいのですけれど」

「はい? 私で分かれば……」

 まだ若い娘である。セレンが小走りに近づいて声をかけると、人好きのする笑顔で振り返った。

 しかしセレンと目が合った途端、娘の目は一瞬で見開き、「あっ!」という大音声の叫びがクルサートルの耳に勢いよく突き刺さる。叫びは娘のものだけではない。彼女が口をあんぐり開けて凝視している先には咄嗟に口を塞いだセレンがおり、こちらもまた目を丸くして娘を見返していた。

 理由は問うまでもない。この顔はクルサートルにも覚えがある。

 娘はセレンに向かって深く頭を下げると、前のめりになりつつ勢いよく話し出す。

「あの時は本当に助けていただいてありがとうございます! まさか、まさかあなたにまたお会いできるなんて」

「ちょっと待ってください、お聞きしたいのはこちらの方で。だってあなたは」

 セレンが言いかけ、クルサートルと目を見合わせともにざっと辺りを見回す。差し当たり周囲の目がこちらに向いていないのを確かめると、二人の口から異口同音に問いが出た。

「セルビトゥにいるはずでは」

 セレンがカタピエ公国領主邸から救い出した、セルビトゥの公女だった。

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