縁の吉兆(四)
娘の興奮した語調や身振りは人目につきやすい。セレンはそのまま勢い込んで話し続けそうな娘を宥め、クルサートルはすぐさま道の両端に視線を走らせた。やや先の左手に小道があり、見たところ人が出てくる気配もない。二人は「大通りの真ん中では通行人に邪魔だから」という理由をつけて、娘を小道へ誘った。
通りから入ったところは塀の向こうに育った巨木の陰になり、大通り側からも見えにくそうだ。小道に入ったところで足を止めると、娘は落ち着き場所を得たと早速嬉々として話を再開する。
「ずっともう一度お会いしたいと思っていたんです。あの時のお礼をいま一度申し上げなくてはと思うのに、お顔を見ることもできないのですもの。その節は本当にありがとうございました。もうたまらなく怖くて死のうかと思っていたのに」
語っている内容はかなりきわどいのであるが、娘の目は喜色に満ちている。これはセレンが原因だろうとクルサートルは推測したが、輝いた目で見つめられている当の本人は全く気づいていないようだ。
「お連れしたセルビトゥ公国の教会にいらっしゃるのだと思っていました。お国に帰られてからずっとそこだと」
言いながらセレンが同意を求めて視線を寄越すので、クルサートルも頷いた。メリーノに無理に輿入れさせられたセルビトゥの公女をセレンがカタピエ公国領主邸から救い出したのち、セルビトゥへはしばらくの間教庁から神官が観察のため派遣されていた。
しかしメリーノが方針を変えたらしいと分かり、もはやセルビトゥを再び標的にする兆しも無いとなっては、ケントロクスからの干渉も控えた方が良い。他国に勘繰られないためにも先頃神官の派遣を中断し、公女のその後の動向もこれ以上は監視不要としていた。
公女は疑問符を浮かべる二人に向かってはにかむ。
「わたし、つい先日結婚しまして。もうあの国の人間ではありませんの」
「それは……」
「おめでとうございます。それで、お聞きして宜しければお相手は」
何を言えばいいのか言葉に詰まったセレンの後をすぐにクルサートルが受けた。聞ける情報があるかもしれない、と目配せする。
その様子には気づかず、公女は幸せを全面に表して破顔する。
「この国の領主様の弟君です」
***
「セレン様に助けていただいて、わたし決めたんです。自分の好きなように生きてやれって」
二人に先立って歩きながら、公女は快活に身の上を語る。
「それまでずっと自分の意見も持たずに憂き目を見るのは運命だと嘆くばかりだったけれど、本当は運命でもなんでもなくて、お父様の言う通りにして自分の希望すら持ってなかったって気がつきましたの」
もうだいぶ時を経た過去を述懐するような語り口だ。しかし「そこにですわ」、とひと言挟むと、公女は途端に熱っぽい目で早口になった。
「セレン様が颯爽と現れて! 毅然としてあのカタピエ公に断罪を下した時の凛としたお声の響きがずっと耳に残りましたの! そのおかげでわたしもお父様の意向ですとか政治なんてうっちゃって自分で生きるんだわと決めたのです。そう思ったら……」
横で聞いているクルサートルは、次代の責任を分かち持つ公国領主の娘が政治を投げ出すのもどうなのか、と思いはしたが、言ったところで益にならないのでやめておいた。ただ、ここまで性別問わずそこかしこで人気が出てしまうセレンも危ういなと、どうにも純粋に感心できない名状し難い感情に駆られる。
一方、当のセレンはあまりに熱烈な賛美を浴びせられて薄ら笑いを顔に貼り付けている。だが悲しきかな、公女は相手の当惑も気に留めずに熱弁をふるい続けた。
「それで、わたしもセレン様のように芯のある女性になるべく! 勉学に励んだところ経済学が面白くて、商人の方々とお付き合いするうちに夫と出会いまして」
話を聞けば、フラメーリは先代の長男が現領主を務め、次男は役人として主に商業政策面を司っているという。貿易関係の用務でセルビトゥにたびたび訪れた際に、街中に出て実地学習に励んでいた公女と懇意になったらしい。そこからなぜ婚約に、と問えば、「お父様を気にしさえしなければ何の壁もありませんわ」と飄々と経緯を説明した。端的に言えば駆け落ちである。
結局、娘の結婚相手が穏健なフラメーリであること、セルビトゥには公女の兄弟姉妹が残っていることを理由に、初めは公女の結婚宣言を受け入れようとしなかったセルビトゥ公も最終的には折れた。とはいえ公女が父親への相談前に世話になっていた教会の修道士を後見人として婚約をしてしまい、後からセルビトゥ公へ事後許可を請い願ったというのだから、フラメーリ公一家も気の毒である。
その大胆な行動を受け容れた懐の広い伴侶が、ちょうど職工組合関係の業務でセレンとクルサートルの探していた宝飾店に赴いているという。その店に行きたいと話したら「是非とも!」と案内を買って出てくれたのだった。
話すうちに三人はもう先ほどの栄えた区画に戻っていた。「セレン様はつい人に道を譲るから進めなくなるんですわ」と笑いながらも、公女はなるべく大通りを避けて人が少ない狭い道を選んでくれる。回り道ではあるが、往きよりもだいぶ移動は速い。
「夫なら顔もききますし。あの工場ならご興味を持たれるのもわかりますわ。なんといっても不思議な古い溶解炉もありますもの」
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