募る思慕(二)

 嵐が過ぎた後の深呼吸を誘う空気とは対照的に、教庁の奥に位置する秘書官室は入室者の気を張らせる。揃いも揃って根が真面目な人間が二人も揃えば仕方ないのかもしれないが。

「なんだかあっさり二つ目の珠が手に入ってしまったな」

「あっさりと言うことはないだろう。あれだけの豪雨を抜けてきて」

 クルサートルが嗜めるが、セレンはまだぼうっとしたまま珠に魅入っていた。

 布越しの陽の光に宝玉を当てると、緑色が柔らかな若草色に変わる。手首に沿った慣れない金属の感触がくすぐったい。落とさないようにとアナトラからそのまま着けて戻ってきたが、粛々たる宝は人の手には重い。

 そっと腕から外し、傷をつけぬよう卓に置いた。

「こうなると残りは二つ、ということになったな」

 つつ、と木目に描かれた淡い円をなぞってクルサートルが囁いた。珠がそうさせるのか、答えるセレンの声も低くなる。

「うん。これを返すと約束したからには早く見つけないと。他の二つの在処がわからないけれど……」

 朗らかな相貌の修道女は、奥に火柱のような力を宿した眼差しでセレンにこの至宝を授けた。表面的にはあっさりと預けるのを許したが、あの短い時間にレリージェが相当強い想いで決意を固めたのは、真正面から向き合っていたセレンには分かる。

 かたちあるものに信仰の拠り所を求めるのは人の性だ。たとえ物自体に力が無かったとしても、五感に捉えられない相手は蒙昧としすぎていて自らを預けるには不安が大きすぎる。

「州長はあまり神体に執着しているようではなかったが?」

「アナトラで最高位に立つ修道院はレリージェのいた女子修道院だろう。恐らく珠の力は歴代の女性修道院長にだけ、表に出さずに伝えられてきたのではないかな。クルサートルは立場的にも教会内部に詳しいけれど、教会自治区みたいに教会が中心にない土地だと神職以外は儀礼や祭器にそこまで詳しくないよ」

 ケントロクスの教会から派遣されて方々へ赴いた際に見聞きした各地の実態とミネルヴァから説かれた知識を伝えると、クルサートルは「そんなものか」と納得する。ケントロクス教庁は信仰を強要する立場にはないのでクルサートルの態度は妥当ではあるのだが、若い秘書官をやっかむうるさい老齢の神官がいたら、四神を祀る官の最高位にいる者が憤りもせず何を言うかと、ここぞと小言を並べそうだ。

「しかしアナトラにあるとは思わなかったな。サキアと違ってそこまで教会中央との繋がりがある土地でもない」

 サキアの手かがりになった天井画を思い浮かべてみても、アナトラの位置に目を引く描写は無かった。

「珠が転がり込む可能性は多分にあるぞ」

 セレンは首を捻るが、クルサートルの反応は逆だった。執務机に近寄り、筆立てから細く巻いた紙を取り上げる。

「アナトラはアンスル中央部に至る巡礼路が三つ合流する」

 閉じ紐が解かれて羊皮紙がぱらりと乾いた音を立てた。

 古地図上のアンスル大陸には、現在敷かれている道はほとんどなく、地名で確認できるのもセントポスやケントロクスの他はカタピエのような大国が目立つ。その中に、色褪せた線の密集する点がまばらにあった。

 褐色の線は集まったところから一つになってアンスル中央近くに伸びている。その行き着く先は全て同じ。教会の頂点、セントポスに向かう巡礼の道だ。

「そうか……そういえばサキアも海からの巡礼の起点だったっけ。もう今は巡礼も相当信心深い修道士でもやらないけど。確か危険も多いとかで廃止されたのだったか」

「修道院を回ってセントポスに来たところで願いが叶うわけでもないと言うんだろう」

 クルサートルはふいと視線を逸らした。にべもなく言うと古地図を卓に降ろし、眉間に皺を寄せてそれを睨む。

「現在は神職者だって面の皮一枚剥げば俗物だ。教会自治区の人間だろうと例外ではない。むしろ教会の名を盾にとるからタチが悪い。アナトラの修道女の方がよほどまともだろうよ」

 睨めつけた相手は教庁内外にいる者たちだろうか。時折りセレンもクルサートルからこの手の話を聞かされている。ミネルヴァのそばにいると想像もつかないが、いまや天の力をわかつ四神の下にいるのは自分たちだと謳って、歴史の中で力を影響力を増してきた教会自治区の一部までもが他国の勢力争いに与している。セントポスへの巡礼が廃止された頃からますます主張を強くする自治区も増え、ケントロクスが自治区同士の睨み合いにまで注意を払わねばならなくなったという。

 レリージェも言っていたが、手を取るべき時に互いの胎の内を探り合う人間たち。不穏な災害の連続と、倫理を唱えるのと矛盾して激しくなる勢力争いとの間に関連はあるのだろうか。人と自然と両方に起こる世の乱れを思い、セレンの頭に根拠のない考えが浮かぶ。

「もしかして、この御神体もかつては教会自治区のどこかが持っていたとか」

「かなり古くから修道院に伝わるとすれば元からあった可能性もあるが、教会の腐敗がいつからかなんて分からないからな。アナトラなら珠がどこかから持ち込まれても不思議じゃない。むしろ珠を保護しようと思えば都合がいい」

 確かに大陸の中でもアナトラはそこまで目立った動きはしない。自由州の性格上、教会自治区の干渉も受けなければ、各国間の煩わしい問題にも巻き込まれにくい。

 腕輪に嵌め込まれた珠は小さく、力を発したのが嘘だと思ってしまう。ただ厳かな佇まいはそのままで、自ら発光していると錯覚しそうになる。

 クルサートルは目を細めてそれを見守る。その様は聖物を前に畏るのではなく、危険物を警戒する態度だ。

「これで半分だ。残りを早々に見つけ出したい。幸いこいつは先に手に入れられたから良かったとはいえサキアの件がある。どこからどうやって情報を仕入れているのか知らないが、あのカタピエの馬鹿がアナトラも視野に入れていたとしたら……」

 カタピエの名前が耳に入ったとき、セレンの肩がびくりと強張った。

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