第五章 偽の誠意
偽の誠意(一)
大陸中央に近い商業と政治の中枢、カタピエ公国首都。富と権力が集中する絢爛豪華な都は、公国歴代の主の人となりを表すようである。
市門から街の中心部へ延びる街路は馬車が行きやすいよう整備され、等間隔で地面に嵌め込まれた道標が広い街に配された要所の所在を教える。どの道に立っても例外なく指し示されるのは、街の中央。すなわち、国を統べるメリーノ公の居城。
栄華極まる地の領主である。その屋敷を飾るのは光を受けて様々に色を変える貝殻の破片。海遠きこの国がいかに交易盛んかを物語る。だが見事な装飾も、ぐるりと屋敷の周りを囲む塀で外からは一部しか見えない。あくまでも己のため、そして門を通された賓客のためだけに誂えられたものであり、門前には主を守る衛士が睨みを効かせている――
「はぁああ」
「えらく大仰な欠伸だな」
――効かせているはずなのだが、今日の衛士の
欠伸を噛み殺した衛士は、他に標的もなし、無表情に正面を向き続ける相方を横目で睨んだ。
「小煩く言うなよ。退屈だと思わないのか? 立ってるだけなんざ」
「衛士の仕事はそういうものだろう。むしろ立ってるだけでなくなったら大事だぞ」
「そりゃそうだけどよ」
手持ち無沙汰な右手の槍を上下しつつ、衛士は茜色に染まり始めた空を仰ぎ見る。一羽の鴉が頭上を悠々と飛んでいった。
「せっかくこの上なくでかい就職口があると思って応募したのに、入ってみたらこのザマだぞ。おまえも狙いは一緒じゃないのか」
巣に帰るのだろう。ひと声の啼き声が晴れた空に間延びして聞こえる。呑気なものだ。
「公国領主の屋敷勤めとなれば肩書きとしては申し分ない、報酬も弾むだけではなく名誉栄誉も……か」
「分かってんじゃん。確かに給料はいいけど、じゃあ何やってんのかって家族や知り合いに聞かれたらただ門の前に立ってるとか情けなくね? ご主人サマの守りたいモノはここでなくて屋敷の奥らしいし」
「へえ、そうなのか。それなら確かに言い分も一理ある」
相変わらず門前の道を見据えたまま、愚痴不満を続ける同僚に対して共感も反対もない相槌が打たれる。
だがひょっとしたら愚痴を言い合い憂さ晴らしも、と次の反応を待つ相棒の淡い期待はあっさり破られた。
「でもだからこそ門衛は重要なのだろう。下手な人間を通さないことだし、城内の事件で客人による反行が疑われたら誰を通したかという記録は最も重要になる。そのモノとやらがどこの何かは知らないが」
「なんだよう。合わせてくれてもいいじゃんよ。珍しい装飾品って噂だぞ。ならせめてしまってある奥の間とかさあ。もっとこう、恰好のつく仕事をさぁ……ちっぽけな飾り物がどれだけ価値あるかなんて庶民の俺は知りゃしないけど」
「私は労働に見合う衣食住が確保されれば職務内容は問わないな――さて」
口を尖らす門衛に淡々と告げる途中で、刻を告げる塔の鐘が鳴り渡る。門衛の一人は槍を下げ、くるりと回れ右をした。
「その職務も私の分は終わりだ。夕番を呼んでくるよ。そっちは日没過ぎまでだろう」
「いいなぁもう夕
「疲れた分だけ食事も美味しくなるさ。それではお先に」
「あいよ、お疲れさん。まあ適当な人がいたら、門よりモノの警備を増やせって言っておいてくれや」
すたすたと立ち去る背中に、いましがたまでの相棒は門衛らしからず情けなく嘆願する。どうせ冷たく一掃されると期待もしていなかったが、「誰かいたらな」と意外にも情がこもった返事がある。
やはり人を表面だけで理解したと思ってはいけない。つまらなそうに見えて案外、付き合いやすい奴かもしれない。
***
屋敷の中に戻った衛士は、上層階へ伸びる階段を前に足を止めた。
次の当番衛士が待機しているはずの休憩所は地下にある。前の番が交替を呼びに行くのが慣例だが。
「放っておいてもちゃんと行くだろう」
そもそも規律に厳しい家だ。定められた時間に行かないなどありえまい。それに、見張りが遅れるならそれも結構だ。
衛士は階段を覆う臙脂の絨毯に片足を載せた。段の先に人影は見えず、上階はしずまりかえっている。
衛士団に宛てがわれた居室は地階にある。
四方を見回してから、衛士は段に敷かれた絨毯を踏みしめた。
二つ階層を上がると、事務的部署ばかりの地階とは異なり、どこかしら空気に生活感が感じられる。そろそろ食事時であるため煮炊きの匂いが漂っているせいだろうか。
窓から見える風景から位置関係を探りながら、衛士は居室が集まると思われる方向へ足を進めた。敷地の表に作られた衛士の訓練場を右手に見つけ、次の分かれ道を左に折れる。
「あらあなた、ここで何しているの」
角を曲がるや否や、後方から突然声がかかった。振り向くとたったいま通り過ぎた部屋の扉が開き、寝具とおぼしき大きな布を抱えた侍女がこちらを見ている。
「こんにちは。お仕事お疲れ様です。お洗濯ものですか」
「そうだけれど、あなたは? いまの時間に旦那様はいらっしゃらないわよ。それに衛士団の部屋なら下でしょう」
衛士は踏み出しかけていた足を戻し、侍女を正面から迎えた。衛士の質問には答えず、侍女は質問を畳み掛けながら近づいてくる。
「あら、失礼ながら見たことのないお顔ね……あっ」
侍女はいかにも怪しい、と衛士の顔を下から覗き込んだが、すぐに思いついたと顔を明るくした。
「もしかして新しく入った方ね! この間、警備強化だって大量採用がされたとかいう」
声を弾ませる侍女に、衛士は胸に手を当てて礼儀正しく腰を折った。
「ええ。新入りです。よろしくお願いいたします」
「ここに来るなんてどうかしたの? 聞いていないかもだけれど、こっちの棟は勝手に入ると怒られちゃうわよ。旦那様のお部屋に近いから。私はここが長いからお部屋のお世話を任されているんだけどね」
相手の素性がわかると、侍女は先ほどの態度から一変、面倒見の良さそうな人柄を露わに先輩風を吹かせて諭す。すると衛士はその対応に甘えるように表情を崩した。
「昼過ぎの会議決定で旦那様の私室にも警備を一人置くということで、初任に当たったのですけれども。場所はお聞きしていたものの、恥ずかしながらどちらだったか、と。時間までに行かなくてはいけないのですが」
「あら、そうなの? それじゃ急がなきゃいけないわね」
「ええ。こちらをまっすぐ、で合っていると思うのですが」
心底困っていると苦笑いすると、侍女は疑いをかけらも見せずに弟でも見るような優しい眼差しを向けた。
「あっているけれど行きすぎちゃだめよ。次の角を右にいって、その次を左に奥まで。ここは規律に厳しいから急がないと。案内しましょうか?」
「良かった! 方向は間違っていなかったのですね」
衛士は侍女の言葉に心からほっとしたと破顔した。そのあまりに美麗な面貌が自分に笑いかけるのを目にした瞬間、侍女は目を見張った。無意識のうちに手から力が抜けて仕事用の小物入れが滑り落ち、音を立てて床に中身が散らばる。
その衝撃で侍女の意識も引き戻されたが、彼女が動くよりも前に衛士はさっと屈んで散乱した小物を拾い集めるや、立ち上がって侍女の手に小物入れを戻してあげた。
「お仕事のお邪魔をするわけにはいきません。そこまで教えていただけましたら大丈夫です。お優しい方に会えて良かった。また邸内でお会いできますように」
にこやかに礼をとると、「急ぎますね」と足早に廊下の向こうへ去っていく。ただ、別れの言葉は侍女の耳にまともに入っていなかった。
ただひたすらに、小さくなる後ろ姿が消えてしばらく経つまで、呪いにかかったようにその場に立ち尽くしていた。
案内の通り廊下を進んだ衛士は、角を曲がりきったところで足を止め、長靴からなにやら引き抜くと、今度は駆け足になった。首元を締める上衣の留め具を一つ外して呼吸を楽にする。
「居室を探し回る手間が省けたな」
靴に仕込んだ短剣を左手に納める。門衛の獲物と違い、馴染んだ手触りはやはり落ち着く。
目深に被っていたお仕着せの帽子は視界の邪魔だ。つばをぐいと上へ押し上げると、黒の布地の下で白銀の瞳が光った。
――睨んだ通りの場所にあるといいが。
夕闇が迫っている。闇に紛れて逃げるにはいい頃合いだ。
長い廊下の先を見据え、セレンは先へと急いだ。
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