偽の誠意(二)
しばらく走ると両側の壁の色が変わった。ここまでの廊の派手な装飾は無くなり、落ち着いた紅だ。いかにも主人の休息の空間といった具合か。しかし一見簡素に見えながらも、その実、金箔銀箔が細い線に沿ってふんだんに使われているあたり、華美を好むカタピエの主人らしい。
吹き抜けに至り廊が弧を描く。向かう先は以前、セルビトゥほか何人もの公女を逃した棟とは違う。彼女らの居室は複合建築を成す宮廷内でこことは真反対に位置していたはずだ。
――彼女たちはどうでもいいようなことを。
テッレでメリーノが明かした腹の内は事実だったのだ。
広大な宮廷の端と端を繋ぐ廊がどれだけ長いか。形だけは愛する女性に与えられるべき身分で彼女たちを宮廷へ連れてきておきながら、相手の心が分かる距離で真の愛情を注ごうなど、はなから思っていないのは明らかだ。
口の中に苦いものを感じて、セレンは唇を噛んだ。
反吐の出そうな感情が突き上げるのを殺そうとさらに足を速めて先へ急ぐ。地階を見下ろしながら吹き抜けを過ぎると廊は再びまっすぐになり、金細工で飾られた扉が悠々と間隔を開けて並んでいた。この通路にメリーノの私室があるのは間違いないが、果たして狙いの部屋はどこにあるのか。
足を緩め、後方から誰も来ないのを確認してひとつめの扉に耳をつけた。中で物音はない。試みに取手を回してみるが虚しく抵抗が返ってくるだけだった。宮廷内といえど主人の留守中に鍵がかかっているのは当然だ。入るのを許されるとすれば、この居室棟まで来るのを認められた者に限られるだろう。
――本当に人のいい相手に行き当たって良かったな。
彼女には悪いが、と付け加えつつ、セレンは手袋をはめた右手を開いた。じゃらん、と金属音が鳴り、鍵束が現れる。侍女が落として散乱した小物入れの中身から拝借したものだ。
いくつも連なる鍵の中から、鍵穴に合いそうな細い真鍮の一本を選び出す。差し込んで花型の持ち手を右に回せば、思った通りの手応えが返ってきた。
音を立てぬよう扉を押し開けると、茜色に染まった白い絨毯が目に入った。
部屋の中はどうやら物置きのようだ。いや、物置きという言葉で表すには調度品も壁紙も豪奢だが、寝台や文机もなく、生活空間には似つかわしくない。ただ壁に沿っていくつもの引き出しを持つ箪笥が並んでいる。箪笥と箪笥の間、大きな硝子窓から陽射しが届かない壁際には、銀の縁取りを持つ鏡台と姿見があった。衣装替えのために作られた間だ。
居室とは別にこのような部屋が設られているあたり、自他ともに絢爛豪華に飾るのが好きなメリーノの性格を窺わせる。縁取りには瑪瑙が嵌め込まれ、取手は水晶という造りの箪笥そのものが、普通の民家なら一つあれば他の家財全て合わせた値を上回る装飾品だ。そんな調度品がいくつも置かれているのだから異常である。
この部屋が数代使われているなら、奢侈に走る今代の気質はもはや遺伝性か。ほとほと呆れる。
だが、身を着飾る部屋こそ狙いの場所だ。
セレンはざっと室内を見回す。どの箪笥にも鍵穴らしきものはないと確認し、小物に適する浅めの引き出しを探す。
――こうした場所に保管しているとは限らないが。
テッレで見た天井画を思い起こす。水を司る神がセルビトゥへ与えていた珠は海の青。古くより珠は一般的に魔除けや一族の継承権の証などの機能を授けられているが、そうしたものが丸裸のまま伝わることは少ない。大抵の場合、装飾品に加工されて子孫に受け継がれる。サキア、またはセルビトゥもその方法をとったと考えるのが妥当だろう。
以前に忍び込んだ時、メリーノがそれらしき宝飾を着けていた記憶はない。しかし目に見えぬ位置に肌身離さず持っていてもおかしくない。
それは承知の上だが、初手で真っ向からメリーノに相対したくはない。
――なるべくメリーノには接触しない方がいい。特にセレンは。
いつもより低いクルサートルの声が頭の中に響く。自分ならば安全だと言ったではないかと訊くと、クルサートルは「命の危険は無いだろうが」と言ったきり答えなかった。
それなら何の懸念があるのか知らないが、セレンもメリーノに会わないで済むならそれに越したことはない。
最初に開けた引き出しは外れだ。そのまま右の箪笥に移り、装飾具にちょうど良いと思われるところから開けていく。手袋、腕輪、飾り紐と種類ごとに整理されているが、青の宝玉がついた装身具の類ではない。
――やはり部屋には置かない、か?
高い位置の引き出しを押し戻し、膝を折る。ほとんど期待も持たず、鏡台の引き出しに手をかける。銀縁を押さえ、花型を作るつまみをそっと引くと、やはりこちらもすんなり動いた。
中はほぼ空である。だが、引き出した勢いで弾んだ物があった。別珍で覆われた小箱だった。その布の色は、まるでテッレの教会で見た神話画にあったような、深海を想像させる深い深い藍色。
鼓動が次第に高鳴るのを覚え、手が小箱へ伸びる。
「そこで何をしている」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます