契る友誼(四)

 メリーノと姉は聖堂内の調査と崩れた石門の処理を伴ってきた部下に任せ、セレンを送ると言って丘を下った。日は動いて天頂からやや傾いた位置にある。馬を飛ばせば日が落ちる前にはケントロクスに辿り着けるだろう。

 街の入り口付近まで来て、セレンは足を止めた。砂利の音に気が付いたのか、前を歩く姉弟も振り返る。

 似た顔が二つ、セレンの顔を見つめる。

 無条件での帰郷の承諾だけを取り付けて、ろくに会話もせずにここまで下りてきてしまった。果たして本当にこのままカタピエ領から出してくれるだろうか。

 メリーノだけならばこんな疑念もなかろうが、今は姉が共にいる。いまさらながらの懸念にやや強張った頬を動かし、セレンは意を決して口を開いた。

 だが、こちらよりも先に向こうから問いがある。

「ここまででいいのか」

 何を言われたのか一瞬分からなかった。

「お嬢さんが足を止めたから。送るのはここまでで十分?」

 姉が補足する。咎める調子もなく、ごく当たり前の質問という顔だ。セレンが頷くと、メリーノは手短に市街を抜ける最短の道を説明し、姉は「気をつけなね」と軽く肩を叩く。

 やや拍子抜けしつつも、二人の様子は不思議とすとんと納得できる。カタピエの真意を知ったあとだからだろうか。カタピエ領にいて初めて、不快や不信を伴わない晴れやかな気持ちに満たされる。

 セレンが礼を述べると、メリーノの面持ちがふと神妙になった。

「また、会えるだろうか」

「それは……運が巡れば」

 四神の珠が集まった以上、カタピエに足を踏み入れる機会があるかどうかはセレンにも知れない。答えにはなっていない気がしたが、メリーノは頬をほころばせた。

「それなら運が巡るのを待とう。運が来るのに待ちきれなければ自分で作りに行くさ」

 自信ありげな宣言をするあたり、この人物の性根は弱気なのか強気なのか分からない。どちらも素のメリーノなのだろう。

 セレンはそう落とし込むことにして「それでは」と足を踏み出した。すると、「待て」と背中に制止がかかる。振り返ると、メリーノが遠慮がちに一歩前へ進み出た。

「珠を渡す条件というわけではないのだが……」

 やはり大国。ただでは済まなかったか。先に頭を掠めた懸念であるとはいえ途端に焦燥感がつき上げる。

 相手を睨め付け覚悟しながら待つ。

 するとメリーノは、ためらいを全面に表しながら途切れ途切れに言葉を続けた。

「ただひとつだけ願いを言ってもいいだろうか——その」

 まだ言いにくそうに、数秒間が空く。

「名前を、呼んでも」

 いいだろうか、と問いの終わりは尻すぼみになって、やっと聞こえるくらいだ。

「なんだ。そんなことか」

 そういえば名乗っていなかったな、と思い出す。張り詰めた緊張が無駄だと分かれば途端に肩の力が抜けた。

 隠密も終わるし、元より素性の分からぬ自分の身だ。名前を言うくらいは構わないだろう。

 それにもうメリーノには少しの邪心も感じられない。理屈ではない。感覚だ。

 しかし感覚は時に、いかなる論理よりも正確だ。

「いいよ、メリーノ。セレン、という」

「セレン、か」

 口の中で大事そうに繰り返すと、メリーノは顔を上げた。

「早く帰還できるよう行くがいい。道中、気をつけて。検問には領主の名前を出せば良い」

「了解した。助かる」

「健闘を。大丈夫、きっとご友人は無事だ。そう祈る——セレン」

「――ありがとう」

 そう言うと今度こそ踵を返し、セレンは勢いよく駆け出した。

 長い黒髪が風に靡かれて空に舞う。それも次第に遠ざかっていくのを呆然と見送りながら、ややもしてメリーノは目頭を覆った。

 ――まずいな……

 締まりなく頬が緩んできそうで手を口元へ滑らせる。顔全体に熱が生まれるのを無視できるはずもない。

 ――あんな……笑い方もするとは……

 自分の激励を素直に受け止め、弾けるように笑んだのだ。常に毅然として高潔に見えた女性が、年相応の娘の顔で無垢な明るい笑顔を見せた。

 これまでとはまた別の理由で、自分が再び彼女にのが分かってしまう。

 自分にはついぞ向けられなかった彼女の顔だ。

 ――大切な友人、か。

 自分が望むのは友人の立場ではない。しかしこれだけ彼女に大切に思われる友が羨ましくもなる。

 ――一体どんな人物なのだろうな。

 彼女の理性を失わせ怒りに駆り立てたのも、いまのような想像もしなかった可愛らしい笑顔にさせたのもその友人か。

 一度会ってみたいものだと、メリーノはしみじみと空を見上げた。

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