第六部 選択と天啓
―*―*―*―
旧い聖堂の簡単な調査が終わり、今後の対処は領主館に持ち帰って決定することとなった。部下に以降の動きを采配し、館へ戻るために呼びつけた馬車に乗り込む。
市街中央へ近づくにつれて人通りが多くなり、整備された道の両脇に花が咲き誇る。大国カタピエの首都は、今日も歴代の繁栄を色褪せずに伝えている。
国の安寧が戦なしに未来永劫続くように――そう願って動いてきたのに、領主たる自分が己の感情で軌道を変えてしまった。
後悔はない。
しかし、向かいに座る姉の無言が恐ろしい。
身元が知れぬかの娘を共に見送り、今はいつもと変わらぬ無表情とは、推し量れない事態が待っていそうで不気味である。
「姉上」
しばらく我慢していたが、ついに沈黙を耐えきれなくなった。
「その」
無言を保ったまま、馬車の外からこちらに移された視線が痛い。
「怒らないのか」
「何を?」
分かっているのに聞くのかとも思うが、これは逃げられないという意味でもある。
観念するしかあるまい。
「我々の約束を、反故にした」
「ああそのこと」
返ってきたのは重大な告白に対するとは思えない軽い返答である。
どういう意図だと目を見開くと、姉は微笑した。
「構わないわよ。そちらが納得しているならそれで」
「私が? 姉上の望みでもあったではないか」
すると貴人の妖艶な美しさに、常ならばあり得ない慈愛が浮かぶ。
「いいのよ。私の望みは多分、叶うからね」
そしてゆったりと肘をつき、再び外の街並みを眺め始める。疑問を浮かべる弟とは逆に、その様は実に優雅である。
――初めから、可愛い弟が笑うならそれで良かったのさ。
カタピエ領主はたとえ長子でなくとも、代々男子が受け継いでいる。本人が嫌と言おうとも、男に生まれれば公国の最上位に就かなくてはならない。
あの約束は元より弟のために練った計画だ。気弱で戦に立てないくせに、大陸の数ある群雄を相手に、大国の生命を一手に担わなければならない運命を背負ってしまった弟が苦しまなくて済むように。
女の自分が代わってはやれない立場である。できるとしたら、その道を敷いてやることくらいだった。
――あんたが朗らかに笑っているのが結果なら、それでいいよ。我が弟。
難題をふっかけられた複雑な表情をしている弟を視界の端に入れると、穏やかな笑みが浮かぶ。
カタピエ領主邸は、もうすぐそこだ。
丘を下る途中にも数回、地鳴りがあった。あの娘が無事に帰り着くまで、大事が起こらないといい。
言葉には出さないが、姉と弟はともに同じ想いを抱いて、娘の帰途を祈っていた。
***
――またか。
寝台に横たえた身が地から来る微震に反応する。意識が戻ってから、もう何度目だろうか。体が思うように動かない分、自らの意志とは無関係に加えられる振動に余計に敏感になってしまう。
揺れの繰り返す間隔が短くなるにつれ、嫌な予感がいや増す。臓腑が揺さぶられるような吐き気はけして地鳴りのせいだけではないだろう。
眠りたくても眠れず、寝返りをうって無為に天井を見上げた。
すると、扉の向こうでよく通る声がある。
「秘書官様、セレン様がお帰りになりました」
その名に反応して、どくりと鼓動が打つ。
最も近くに欲する名前でありながら、いまは最も聞きたくなかった報告。
「分かった――いま行く」
寝台に起こす身がこの上なく重いのは、恐らくまだ抜けきらない毒だけが理由ではない。
願わくば、このまま顔を合わせず毒が身体を腐食すれば良かったものを。
ただ、逃げる道など卑怯な己に赦されるはずもない。
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