契る友誼(三)
肌が受けた微かな刺激でセレンは初めて我に返った。目の前で繰り広げられた繊細で美しい動きに、いつの間にかぼうっと見入ってしまっていたらしい。
手の上にころんと載る小さな珠は土の層を思わせる渋い深みのある黄色で、艶やかな表面は濃色であるがゆえにこそかえって光が強く反射する。丸みを帯びて手に馴染む珠は、自ずから熱を発しているのではないかと疑うほど温かくて、畏れ多い存在であるはずなのに安堵を与えた。
「それが神の珠か」
ふと耳に聞こえたメリーノの驚嘆にセレンは顔を上げた。いつの間にか水盤の上の壁にできた円錐状の空洞は、浅い窪みに変わっている。触るのもなぜだか憚られて、セレンは小さく一礼して水盤から離れた。
「初めて会った時に貴女は神の子かと思ったが、まさか神の主だったとは」
「それは違うけれど――賭けは私が勝ったみたいだね」
冗談とも本気ともつかない発言に苦笑して、セレンは手中の珠をメリーノに向け、こちらが得ると仕草で示す。すると先ほど水盤に面した際の不敵さが嘘と思えるほど、メリーノはこざっぱりと承諾した。
「もしそれを私が手に入れたところで、どのみちカタピエ側にはその後どうすることもできないさ」
「どういうことだ?」
カシャンと小気味良い音を立てて剣がしまわれる。金に輝くカタピエの紋章が鞘の中に消えた。
「セルビトゥの珠は貴女に奪われたし、恐らくは貴女の腕にあるそれも、だろう? となると私は貴女から珠を力づくで奪わねばならないわけだが……残念ながら私にはそれができそうもないので」
先ほども言っただろう、とメリーノはやや恥ずかしげに笑んだ。高圧的な態度かと思えばすぐにそれが崩れる。大勢の部下を震え上がらせていながら素を出すとこうとは、この人間は他人と本心で向き合うと弱いのだろう。
メリーノの目標を知ってしまった上に、こうも覇気が抜けると敵愾心も削がれるというものだ。
「本当に貰っていいのか」
「男に二言は無い――少なくともいまは」
「正直だな」
反射的に呆れが口に出る。だが他国を策略に陥れるだけの頭はあるはずなのだから、見栄も張らないということは嘘がないと読みかえられるだろう。
緊張が解けて一気に疲労感が襲ってくる。セレンはさっきまでの緊張のせいか熱を持って重くなった頭をもたげ、聖堂内をぐるりと見渡した。
「しかし珠が現れてくれたはいいが、ここから出られないと」
「私としてはここで貴女とずっと二人きりでも全く構わないが。むしろそちらの方が」
「御免
恥も躊躇もない物言いに全身が粟立ち即座に言い捨てる。少なくとも奴の色欲は本物だ。身の危険を感じ、セレンはメリーノに背を向けて入り口の方へ歩き出した。相手は腐ってもメリーノ、距離は取るべきである。
それに自分は一刻も早くクルサートルのところへ帰らねばならない――帰りたい。
珠が土を統べる四神の持物であれば入り口を塞いでいる石も制御できるかもしれない。逸る心は珠を手に入れたあとなら落ち着くと思ったのに、さっきよりずっと鼓動が速い。
積み重なった石を前に、珠を握りしめた手を開く。
「これで開け……」
言いかけたとき、石の向こうから人の声や鈍器がぶつかるような物理音が聞こえてきた。何かと耳をつける間もなく巨大な打撃音と共に石の山が揺れ、やや突き出た部分が内側へ動く。それが数回、今度はどがんと豪勢に破壊音を立てて、石の塊がセレンの方へ崩れ落ちてきた。
「おや」
急激に目の前が明るくなって目が眩んだ。後ろに飛び退って手で頭を庇っていたら、ぱらぱらと小石が落ちる音に混じって聞き知った声がする。
「開けない方が良かったかしらね。お二人で仲睦まじくしてるところ邪魔だった?」
「いえ、一刻も早く開けたかった。感謝します」
霧靄のように起こった埃の向こうで面白そうな顔をしている貴人に頭を下げると、セレンは石くれを跨いで外に出た。爽やかな空気が肺に入り込んでようやくまともに息がつける気がする。
大きく伸びをして深呼吸しながら横を過ぎるセレンを見送り、ほの暗い聖堂の中から恨みがましい目を向けている弟を一瞥して、姉はやれやれと肩を落とした。
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