契る友誼(二)
石の床を靴底が打つ。等間隔で起きる音の振動が重なり合い、聖堂内を波紋のごとく満たしていった。余裕のある足取りはメリーノの演技なのか、それとも本当に方法を掴んでいるからなのか。
セレンがいる最奥の壇の下までメリーノが来ると振動の増幅は止み、肌に触れる空気が再び緊張を帯び始める。静寂が完全に戻ると思われた直前、刹那的に一迅の風が立った。
「カタピエ領内だ。先を許されないことは無いな?」
風を起こした剣を手にメリーノは壇上に登った。この高圧的な態度をすぐに作れるのも領主である彼のもう一つの顔なのだろう。侵入犯である以上、セレンに否定権は無い。
黙認を得てメリーノは水盤の正面で立ち止まった。上着の袖を引くと、壁の微かな膨らみを確かめるように撫でる。飴色の目が細められ、口の端に笑みが浮かぶ――次の瞬間、甲高い打撃音が亀裂のごとく静寂に切り込む。
「――駄目か」
痺れが手首から腕の方までじわじわと浸食してくる。メリーノは剣を握った右手首をもう片方の手で握った。
「文字通り、太刀打ちできないとはこのことか」
跳ね返された剣を降ろし、先ほどの笑みを自嘲に変えて石壁を見遣る。
「……『
白い石面には傷一つついていない。それを目視してから、メリーノは壁を正面から上に見上げて吟じた。感情は読み取れないが、独り言というよりも天に向かって問うように聞こえる。
「その言葉は?」
「カタピエの古い書庫で見つかった文言だ」
一歩離れて佇んでいたセレンを振り返る。
「いままで目も向けなかった古地図の端にあってな。単なる覚書のような粗末な走り書きで誰が書いたのかも分からないが。他にも断片的な記述をつなぎ合わせてここに辿り着いた」
諦め混じりの苦笑を浮かべつつ、メリーノは水盤と平行に剣を掲げた。刀身の中程に金で記されたカタピエの紋章が天井に向かって閃く。
眩しそうに眉を寄せると、メリーノは乱暴に剣を下へ降ろした。
「カタピエの主の至宝というなら歴代領主に受け継がれるこの剣くらいなものだ。これが意味を成さないとなると他に方法など知らんぞ」
どうするのかと問いたげな視線をセレンに寄越しつつメリーノは水盤の前を空ける。剣はまだ鞘に戻されずにメリーノの手で弄ばれていたが、セレンはそちらに見向きもしない。ただ正面から水盤に向かい合い、白壁を見つめているだけである。
メリーノが痺れを切らして話しかけようとしたとき、音もなくセレンの体が動いた。
引かれた線の上を歩くようにぶれもなく水盤の間際に近づく。すぐそばに立っていたメリーノは、周囲の他のものなどまるで存在していないような雰囲気に気圧され、我知らず一歩退いた。
月と同じ色の瞳に白壁が映り、まっさらな壁にセレンの影が映る。
――主が何を意味するのか。
そんなことは分からない。ただ身の内で理由もない静かな昂りが生じているのは確かだ。
重みを感じる右手を胸元に当てる。手首で揺れたアナトラの宝玉を、捨てられた時から肌身離さずに持っていた御守りの首飾りと共にもう片方の手で包み込み、深く呼吸をする。
心臓の律動は、いつになく穏やかで規則正しい。
――大丈夫。
珠は明るく澄んで、レリージェの潔さを思い出させる。彼女がセレンに神体を託した信頼が、今のセレンに落ち着きを与えていた。
風は岩を削り、砂土を動かす。
神が呼応するのならば応えるはずだ。
若葉を思わせる緑の色が、白壁に近づいて円を描き出す。セレンは石壁が緩やかに隆起した中心に珠をそっと触れさせた。
まるで水滴が落ちたようだった。
珠が当たった一点を円心として、幾重もの輪が周囲へ広がっていく。いや、正確には輪が描かれているのではない。壁の表面が砂状に変わり、水盤の上へ砂が水流のように流れ落ちている。膨らんでいた壁面は今や奥に向かって空洞を作り出し、その内側で砂が美しく螺旋を描いて円錐を成していく。そして数秒もしないうちに砂の線が次第にひとところに集束し、音もなく流れが止まった。
刹那の間があったかどうか。
円錐の最奥を成した点が、ゆっくりと弧を描きながらこちらに向かって近づいてきた。どうやら内部は緩やかな傾斜がついているらしい。円錐の壁を巡りながら転がるそれは、暗い洞の中にあるのにも拘らず白日に照らされた水滴のように煌めいて、あたかも蛍が遊ぶがごとく軽やかに滑り落ちる。そして入り口のすぐ手前で大きく一回転すると、セレンの手のひらへ勢いよく飛び込んだ。
弾みもせず、しかし軽やかに。おいでと呼ばれたように。
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