第二部 太古の伝説

—*—*—*—

 ――この部屋は、やたら雑音が多いな。

 耳腔が不快に震えるのを認めて、クルサートルは大理石の長机の表面を指で弾いた。かといってそんな僅かな空気の揺れで会議室の澱んだ気を払えるわけでもない。

 眼球だけ動かし、居並ぶ面々をざっと見渡す。端までいかないうちに視界の外から甲高い声があった。

「だから早く各公国にケントロクスからの人間を派遣してはどうかと言うのです」

 壁を飾る織物もなければ床を覆う絨毯もない。発言した役人の声はそのまま壁や調度品にぶつかり、室内を無駄に飾る金属が共鳴する。先の雑音が消えないうちにまた新たな金属音が立ち、跳ね返って互いにぶつかり不純物となって鼓膜に入ってくる。

 さっきからその繰り返しだ。

「先にも沿岸部で津波があったでしょう。公国内で対処したというが指示が遅いと不満もあったというではないですか。ケントロクス主導で救援すれば迅速に」

 声高な批判が金属に跳ね返される。微震が起こり空気に亀裂が走る。

「当然、必要なほど酷ければ救援を向かわせる。しかし公国や教会自治区の運営はそれぞれだ。ケントロクスからはあくまで補助に止める」

「集権で統率を取ればよろしいとは思わないのですか」

 裏のある役人たちの発言は、やたらと耳に喧しい。窓枠の金縁がキィンと細く鳴ったように聞こえた。これが純然たる配慮だったらこんな耳障りな騒音を感じはしないだろうに。

 確かに役人の言うことも一理ある。中央が規律を作って全体を統率すれば速やかに運ぶ事柄もあるだろう。ただ大陸各地に存在する国々やそれぞれの教会自治区には独自の文化と歴史があり、その歴史に沿った行政が敷かれている。積み重ねられた営みへ外部者が大きな顔をして踏み入るのは不敬甚だしい。

 しかも口先で援助を盾に語られる提案の真意は、字面だけ人道的な文言で覆っても見え透いている。

「ケントロクスが他国に入るとしたら、上に立つ組織としてではない。救援も先方の意向と指示を尊重して最善策を提案する。その方針は変わらない」

 いい加減に黙って雑音を聞き流すのも嫌気がさしてきたが、まだ懲りない人間はいた。

「ならばせめて教会自治区は」

「自治区という言葉の意味がわかっていてなお言うことがあるなら聞く」

 敢えて続きを掻き消すと、その場の全員が口をつぐんだ。ただ会議室内に漂う気はさらに濁り、反論と葛藤が渦巻いているようだ。

 こんな場所にいつまでもいられるものか。

「沿岸部の状況はもう良くなったと聞く。事後の援助は先日、先方と交わした計画に従う。議題は以上だ」

 まだ何か言いたげな視線が鬱陶しく背中にまとわりつく。クルサートルは意識的に音を立てて扉を閉め、それらの無言の主張を断ち切った。

 扉一枚隔てただけなのに、しんと静まり返った廊下に出た途端に耳が安らぐ。信頼どころか信用もできない輩ばかりが、どうして信仰を謳う組織を動かしているのだろうか。

 ——俺も人のことが言えるか、わからないが。

 空を眺めて嘆息する。圧迫されて自由にならなかった五感が部屋を出てやっと取り戻された気がする。ここに立っていても仕方がない。奥の自室へ向かおうとすると、教庁入り口の方から近づく影があった。

「秘書官、会議は終わられましたか。ひとつご連絡が」

 教庁の表で市民その他の訪問人を遇する役人だ。業務時間にこの奥まった部屋にはそうそう来ない役職であるが、恐らく会議終了を待っていたのだろう。

「どうした」

「セレン様がいらっしゃいました」

「セレンが?」

「はい。戻られたそうです。少々道中のことも聞いておりますのでまずはそれを」

 薄汚い空気の中で詰まっていた喉に風が通る。今日まともに呼吸をしたのは、今が初めてではないか。

「用件を聞こう。そうしたらすぐに出かける」

 澄んだ月の光はどこか鈴の音を連想させる。彼女の話す報告なら身を楽にして聞ける——言葉にできる理由もなく、そう信じる自分がいた。

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