偽の誠意(四)
「やっと、見られた」
外れた剣を降ろし、メリーノは横に飛び退いたセレンの方へ首を回す。
明らかに拒絶と取れる反応を受けたというのに、先ほどよりもメリーノの顔に現れる喜悦が強まった。
「私の言動に揺らいだおまえは初めて見る。嬉しいじゃないか。毅然としたおまえも好きだが、今のような感情露わな顔ももっと見たい」
記憶に無い異様な喉の渇きに襲われる。普段なら襲いかかる刀があれば受けている。
だが、できなかった。我知らず身体が逃げていた。
理由の分からぬ感覚に、セレンは無理やり声帯を震わせる。
「あれだけの数の女性たちを、不幸にしておいて……私みたいな者までとは。節操がないのもいい加減に」
「他の女などどうでも良い」
鋭い一声がセレンの口を噤ませる。相対するメリーノの表情から笑みが失せ、視線が鋭利な刃のごとくセレンの瞳を捉えた。
背筋に冷たいものが走る。先ほどまで相手を視線で捕えていたはずなのに、今度はこちらの
目の前にいるのは本当にあのメリーノなのか。
「珠……は」
自分でも意図せぬ問いが口をついて出た。
「珠?」
「かの珠は、どこに」
焦燥感がセレンの思考とは別の力で口を動かしていた。理性が「迂闊な問いを」と叱咤するが、全身がこの場に拒絶を訴える。
「まさか」
身を縛る見えない糸が緩んだ。メリーノの視線が一瞬揺らぎ、瞳孔がわずかに開く。
「おまえもあの珠を集めて——」
笑みを崩した唇からこぼれ出た言葉に、散逸したセレンの思考が再び焦点を結ぶ。四肢の感覚が甦り、体を踏み込みの姿勢で固め、撃ちかかる軌道を思い描く。
その刹那にメリーノの顔から驚愕は消え、先とは異なる、どこか作り物めいた微笑が浮かんでいた。
「――なるほど。例の珠に賭けようと考えるのは私だけではなかったわけだ。気が合うとも言えるな? ならそんなところを探さずとも、私の元へ来ればいいものを」
含みのある物言いで、メリーノは自分の正面から避けたセレンの方へ向き直る。
長身を飾るそれらしき珠は無いか足元から目を走らせる。靴先の金具、腰を締める帯、首から胸に落ちる卵型の銀の首飾り、そして――両の耳元で光る、蒼の石。
セレンの視線が一点で止まったのに気がつき、メリーノは耳元へ手をやる。
「欲しいか」
手のひらの上で輝く水の色は、吸い込まれそうなほど深く、神秘すら感じさせる。
「他にはけして渡せないが、おまえにならばやっても良い」
揶揄いを含む先ほどの語調とは一変した甘美な誘い。それでもなお真っ向から睨めつけたままセレンが間を詰める。裏はないと言うつもりか、メリーノは剣の柄から手を離した。
「望むなら叶えようじゃないか――ただし」
剣が絨毯に落ち、鈍い音が立つ。
「常に凛々しいおまえが、私の腕の中で抑えようも無く壊れていくのを見せてくれるというなら」
挑発、そして狂気じみた恍惚。熱を帯びた視線がセレンの全身をじっとりと舐め回す。
「この手で抱いたら、その冷静な姿はどんなに美しく乱れていくのだろうな」
歪んだ自信に満ち溢れた笑み。
だが、それも一呼吸の間ももたなかった。
息を止めたのは、今度はメリーノの方である。
「――これでも私も女なので、装飾具くらいつける」
抜き身の刃がメリーノの首筋を冷やす。強張った視線の先に、セレンの姿はない。
腕の中にと望んだ相手は、間近で極限まで冷えきった眼差しを向けていた。
「
唾を飲み込む音がセレンの耳に入り、すぐそばで喉仏が震えた。
喉元に触れた短剣はセレンが手首の角度を変えれば簡単にメリーノの脈を断ち切るだろう。
刀身の面の中で蒼の珠が揺れ、輝きを放つ。
「愚公とはいえ仮にも戦略政略に長けた者が、そんなところに至宝を着けるとは思えない」
刀の背を当てた肌の一点を支点にして、切先が首飾りの金具に引っかかる。卵型の飾りが鎖骨の上に浮き、銀面に切り取られた意匠の奥から微光が漏れ出た。
メリーノがかすかな痛覚を感じた時には、もうそこに飾りは無かった。ほぼ同時に、首に触れていた鋼の冷たさと共に、絹衣を隔ててそこにあった体温が離れたのに気がつく。
「歪んだ言葉やモノで人は動かないぞ、メリーノ公」
澄んだ声は扉の方からか。振り返ると月色の瞳がこちらを一瞥し、ひと結びにした髪が宙に翻る。
「少なくとも、私は靡かない」
畏怖すら与える月の色が、呪縛のように一瞬で相手の動きを封じる。
実際にはものの数秒だっただろう。
だがその力が解けた時にはもう、セレンの姿はどこにもなかった。
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