焔と必罰(二)
室内は無音が支配していた。相変わらず最奥の炉から発せられる光と蝋燭の灯火のおかげで石壁は照らし出されているが、通常なら安堵するだろう明るい暖色も、本来ならあるべき音のない不気味な静寂の中では心を和ませる力もない。
再び冷えた硝子玉を撫でて、クルサートルは棒を壁に戻した。
「どう思う」
石壁が冷静な問いを撥ね返し、残響が緩やかに消えていく。
「多分、クルサートルの予想と同じだと思う」
公女の夫は、店での用務を済ませるから気が済むまで見ていてくださいと言って工場から出て行った。迎えに来るとしてもそう早くはないだろう。二人以外に人はおらず、遠回しな話は必要ない。
無言で向かい合ったまま、互いの心中が同じことを確かめる。
「――そうだとしても、問題はどうやって中の物を取り出すか、だな」
「状況からして間違いはないと見て良さそうだが、この焔が消せなければ取り出せないし、道具も役に立たないだろうな。恐らく昔から何度も職工たちは中に物を差し込んでいるんだろう」
先ほど手に伝わった感覚を思い出してクルサートルは拳を握った。物理的に動かせるならば、炉を使おうと思った時点で取り除かれているはずだ。聞いた話からすると、職工たちも何度も試みては失敗してきたと考えられる。
再び、二人はともに口をつぐんだ。
炉の中を見つめていると、鮮烈な光で次第に見つづけるのが辛くなってくる。セレンはしばし忘れていた瞬きをして火から壁へと目を逸らした。
飾りのない石壁に映った焔の影は、細長く帯状に伸びて緩やかに揺れる。あたかも水流のように。
それを見たとき、セレンの脳裏にアナトラの風景が浮かび上がった。
――水……
激流と耳を塞ぐ風の唸り、豪風と共に叩きつける雨粒。その中を駆け抜けたとき、自分とレリージェを守ったのは何だったか。
霧靄の中の一点で刹那的に光が明滅する――そんな感覚が走った。
「クルサートル、サキアの石を持っている?」
「サキア?」
不意に呼びかけられ、クルサートルは思索に沈んでいた顔を上げた。
「持ってはいるが、何か考えがあるのか」
懐から小さな布袋を取り出し結び目を解くと、クルサートルは中身を手のひらにあける。レリージェから預かった腕輪の中心に、卵型の玉が転がった。
「多分、石同士は反応を起こすと思う。ケントロクス聖堂の書物にもそんな逸話があったけれど、実際にアナトラの風の石とサキアの水の石は一緒になって力が増幅したみたいだった」
少なくともレリージェはそう言っていた。だからこそ風雨が柔らぎ、嵐を抜けて帰れたのだ。
「自然現象を考えると風と水は親和性がある気がする。川の流れや空気の質とかを考えると。もしそれで石同士が反応したのだとすると、逆はどうかな」
「逆? なるほど、そうか」
碧の瞳から疑問の陰が消える。そしてサキアの石を手のひらから取り上げ、炉の正面に立った。
クルサートルの腕がゆっくりと動き、三つ指に挟まれた宝玉が炉の入り口に近づけられていく。
あと僅かで焔と触れる――そう思った時、火の手が前方に舞った。
「――駄目か」
あわや焔に飲まれそうになるすれすれのところでクルサートルは右手を引いた。灼熱を感じた手首をもう片方の手で掴み、唇を噛む。
一方炉の方はといえば、こちらの気の沈みには構わず先と変わらぬ火勢を保ったままである。
「効果は無い、か……」
熱を帯びたサキアの石を悔しそうに握る。クルサートルが手に掛けたアナトラの腕輪と宝珠がぶつかり、小さな音を立てた。
風の石が輪に沿って穏やかに揺れる。緑の優しい色を見ていると、前の持ち主の澄んだ声が記憶の中でもう一度呼びかける。
「待って。私がやってみる」
――この珠にあるらしい力もわたくしが持っていた時にはセレン様がお持ちになった時ほどの奇跡を起こしたりしませんもの。
レリージェの言葉に思い上がるつもりはない。しかし、ほんの少しでも可能性があるのならば。
セレンは銀の玉を手で包みこみ、一度胸に当てた。握り締めた親指の爪が昔からつけていた首飾りとぶつかって揺れる。首元で触れあった玉が元の位置で鎮まるのを待って、深く息を吸う。
クルサートルが炉の前を空け、セレンを振り返った。一歩進み出るごとに手に伝わる鼓動が早くなる。
「相当熱い。無理はするなよ」
低い気遣いの言葉に頷くと、セレンは先ほどのクルサートルと同じように、玉を指先で挟んで焔に差し出した。
――四神の宝珠であるなら、どうかお応えください。
祈りと共に閉じた瞼を、再び開ける。
瞬きの間もなかった。
焔が炉の中で踊り苛烈な火花が散る。轟音が起こって橙色の火の舌が渦を巻いた。増幅した焔の中心に銀の閃光が走ったかと思うと、ほの白くなった火の中心にうっすらと青に輝くサキアの紋章が浮かび上がる。
横でクルサートルが息を呑んだのが分かった。
銀の外殻の中から水の珠が光を発しているのか。そうだとしても焔がそれを映し出すなどありえない。セレンは震えそうになる手指に全神経を集中させた。強い火の色と熱で瞼が閉じそうになるのを抑えて焔を見つめ続ける。
すると、先ほどまで不規則に見えていた火の動きが変わった。炉の内部で燃え盛っていた焔が一本の縄状に集束していっているのである。
ひと束となった焔は伝説にある火龍のごとく炉の内部で弧を描きながら一定方向へ流れ、次第に円を形作り始める。
「これは……」
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