第十五章 焔と必罰
焔と必罰(一)
公女に連れて来られた商店は、街の中心からやや外れたところにあった。軒先には年季の入った金属板がかかり、面に刻まれた工具の絵と年代が、職工の営む老舗だと来訪者に知らせる。
「妻から常々お話は聞いておりました。私からも心から御礼申し上げます」
店から出てきた公女の伴侶は領主家の者とは全く思えない庶民的な風情の青年であった。言葉を尽くしてセレンに礼を述べると、公女には後は任せて別口の用を済ませるようにと述べて見送る。短いやりとりでも夫婦の仲睦まじさはよく分かり、見ているだけで頬が緩んでくる。
青年はこの店の家族とは古馴染みだといい、クルサートルが用向きを伝えるとすぐに店内へ
「職工の技を外に伝えていただけるなら、遠方の方からのお越しはありがたく思います。もともとは店が無くて工場だけやってましたからねぇ」
商人はツテがあると好意的になる。おかげで店より先に溶解炉を見たいと言っても、店主は嫌な顔ひとつせずに軽く請け合った。ただし自分は店にいなければならないからと青年にセレンたちの案内を任せるあたり、本当に気心知れた仲であるようだ。
「ここの溶解炉については古くて不思議なものだということしか聞いていませんが、具体的にはどう不可解なのです?」
業務になるとクルサートルの対応は早い。工場に向かうため店から出るや、すぐに先ほどの疑問をぶつける。
「ひとつ、いつからあるのか分からない炉がありまして。使えないんですよ」
「使えない?」
「どういうことです」
クルサートルとセレンの問いが重なると、青年は困ったように首を掻いた。
「ご存知と思いますが、硝子細工などを作る際には材料を溶解炉に入れて溶かすでしょう。それが、問題の炉に入れても火が材料にうまく回ってくれないんですね。工芸細工ができない燃え方なんです。そこからすると、もともと炉だったかもわからないのですが」
金属や硝子の加工に使えないのに場所だけ取っているため、職工たちから邪魔だからどうにかしてくれ、と代々の領主が苦情を聞いているのだと青年は説明した。
「邪魔なら火を消してしまえばいいのでは?」
「それが、できないんですよ。水をかけても空気を遮断しても。さらに困ったことには、燃料が何かも分からない」
不可解でしょう、と青年は眉を下げた。学者たちも調査に入ったが解決策が見つからないと口を揃えて言う。
「ものを焼けないのにはもう一つ理由があるのですが、見ていただいた方が早いかと思います」
そう言って青年は道の先を指差した。そこには店よりもやや大きく、飾り気のない石造りの建物があった。ところどころ傷ついた石壁と壁を切り抜いて扉を嵌めただけに見える入り口が、職工たちを支えてきた長い歴史を感じさせる。木の門扉には鉄枠の鍵がつけられており、鍵穴の周囲には店の看板と同じ紋が彫られていた。
鍵を開けて中に入ると、外気よりも熱い空気が顔を撫でる。薄暗い室内を見渡すと、中央の作業台を挟んで左右に台座が、壁にはいくつもの鉄の扉がついているのが見えた。溶解炉だ。
燭台に灯りを点すと、青年は部屋の最奥でやや不恰好に窪んだ壁まで近づき二人を手招いた。
「こちらが例の炉です」
留め具を外された鉄扉がゆっくりと開く。途端に熱気が身体に当たり、鮮やかな橙の光が溢れ出した。流れ出した温風は確かなのに、焔が燃える際の独特な臭いや物の爆ぜる音はない。
「燃料がないというのは、こういうことですか」
クルサートルが驚愕を隠しきれずに呟くと、青年は頷いた。
「それだけならむしろ便利なのですが、厄介なのはこの内部です。ちょっとご覧になっていてください」
青年は炉から二、三歩離れると燭台を脇の台に置き、壁に立てかけてあった細長い棒を取り上げた。上を向いた棒の先端にはやや表面が燻んだいびつな球形の塊がついている。その先端を軽く撫でると、「これを借りましょう」と棒を斜めに倒し、溶解炉の入り口に向けた。
セレンが硝子かと尋ねると、青年は炉の中を見つめたまま肯定した。
「よく知られる硝子工芸の一つのやり方ですが、炉の中で硝子を溶かしながらこの棒を回して形を整え、取り出して冷却するのを繰り返していきます。途中で色粉を混ぜたりして。ですがこの炉では……」
ゆっくりと棒が炉の中に差し込まれる。焔を映し出して鮮やかに染まった硝子玉が、ちらつく火の舌に呑まれていく。
腕で温風から顔を護りながら、セレンとクルサートルは炉の内部で何が起こるのかと見守った。奥に入った硝子玉は焔の向こうになってもはや外からでは見えない。
「本来ならもう、棒の先にあった硝子が中で溶解して液状になっています。しかし」
言葉を切った直後、素早く水平の線を引くように棒が手前に引かれた。その拍子に起こった空気の流れで焔が煽られ棒もろとも炉から飛び出てこちらへ躍り出す。灼熱の溶解液が飛び出てきたら――焔の熱に触れたセレンの身体は反射的に一歩後ろへ飛び退っていた。
しかし、棒の先から滴り落ちる液もなければ、焼け溶けた硝子の独特な臭いもしない。
「ご覧ください」
指し示された先は焔による逆光で陰になっているが、それでもはっきりと分かる。半透明に濁った球体は、炉に入れる前とさほど変わらぬ姿で、面を透過した橙色の光に染まってそこにあった。
「硝子が、溶けていない?」
「ええ。炉の中心に物を入れてもほとんど変化が無いのです。これでは融点の高い資材の加工はできません」
セレンが思わず球体に手を近づけると、青年は棒を引いてそれを制した。それなりに熱は持っているということだ。
燃焼しているならこれだけ盛んな火の中で溶けないなど考えられない。クルサートルが警戒の眼差しを炉に向ける。
「使えないというのはこういう意味ですか。そのうえ焔が御せないとなると事故が心配ですね」
「仰る通りですが、幸いそういった事例は起きていないようです。ただ使えないというのはもう一つ理由があるんです」
青年はちょっと入れてみてください、とクルサートルに棒を手渡した。身振りで示されるまま再び炉の中に棒を入れていくと、外に残る棒の長さが先ほどと同じくらいになったところで、クルサートルの手が何かに突っかかったように微かに振れて止まる。
振り返ったクルサートルに青年が首を縦に振る。何が起こったのかは
「内部に何か、奥に入れるのを阻害する物があるのですね」
「そういうことです。多分小さい物ですが、それのせいでこの炉は邪魔でしかないということですよ。位置からすると炉の中心部分だと思うのですが、奥まで確かめられませんので分かりません」
その位置で硝子玉が一定時間留まっても溶解されずにいたとすると、内部構造としてある状況が考えられる。
「その阻害物も焔の影響を受けずにそこに在り続けるとすると、まさか――」
信じられない想いはセレンだけでなくクルサートルも同様だ。
炉の焔が壁に作り出す影が、青年が手にする燭台の火影と混じり合う。その影の中で、青年は頷いた。
「炉の内部で焔が空洞を作っているとしか考えられないのです」
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