神の恩寵(四)

「セレン!」

 主人の声がするや否や、役人たちは列を作りながら左右に割れた。その間を息を切らして駆け寄ると、メリーノは部下をひと睨みしてセレンを掴む手をのけさせる。

「どうしてまた……何のために戻ってきたんだ」

「セントポスへ行く」

 間髪入れない返答にメリーノは絶句する。

 両者が黙ったのを好機と、傍に立った役人が「この者がケントロクス教会から来たと」と、まだ疑い露わにセレンを横目に見た。

 その一言で、メリーノの頭の中に残っていた蒙昧とした疑問がたちどころに霧散する。

「やはり、神の子だったのか……」

 初めて会った時、月を背に神の名を口にした姿が鮮やかに脳裏に蘇る。たったいま目の前で、鬼気迫る面持ちで自分を見上げる娘が、ただ独りでカタピエ宮に公女を救いに来たあの時の剣士の姿と重なる。

 戦慄を覚える神々しさは紛い物ではなかったか。

 メリーノの感嘆は口の中に留まり、セレンには聞こえなかったようだ。切羽詰まった要求がメリーノの意識を引き戻す。

「一刻を争う。セントポスへの道を行かせてくれ」

「だがあの状況は見えているだろう。いかなケントロクスの者とはいえあそこに行くのは」

「だが行かなければいけない。この惨状を終わらせる」

 凛と通る声が決然と告げ、銀の双眸がメリーノを射抜いた。カタピエ宮で、テッレで、いにしえの聖堂で見せたのと変わらぬ、揺るぎない意志がそこにある。

「……私が止めても、貴女は聞かないだろうな」

 まっすぐな視線としばし向き合ったのち、メリーノは苦笑とともに吐き出した。

「いいだろう。それならば護衛を」

「一人で行く。皆は安全なところに早く退避を」

「馬鹿な」

 さすがに今度はメリーノも驚愕の叫びを禁じえなかった。

「あれが見えているのか!? 身を滅ぼすのと同じだぞ!」

「私には珠がある」

 声を荒げたメリーノとは逆に、セレンは毅然たる態度を崩さず、右腕にもう片方の手を重ねた。細い手首をめぐる輪の上で、澄んだ緑色の小さな珠が光る。

 若い草葉と同じ清らかな輝きは、荒々しい風と市内から聞こえる阿鼻叫喚の中にも拘らず、目にした者の内に安らぎを生んだ。まるでどんな邪力をもってしても不動であり続けるという、奇妙だが確たる感覚を。

「……分かった」

 抗い難い力に、メリーノにはもはや異を唱えることができなかった。

「ただ、ひとつだけ条件がある」

 セレンの顔が安堵に緩んだのを見て即座に言い添える。これだけはどうしても約束してもらわねば通せない。

「必ず、無事で戻ると」

「――承知した」

 粛々たる表情に、これまで見たことのなかった挑戦的な笑みが浮かんだ。敵に対して見せるのとは違う、信頼に対する答えの笑み。

 改めて思う――何度でも知らない顔を見せ、どこまでも魅力的な女性だと。

 メリーノは居並ぶ役人に向き直り、朗々と申し渡す。

「速やかにセントポスへの道を開けるよう手配を! 我が友人を確実に聖地へ至らせよ!」

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