深き友愛(三)

 テッレの件を話し終え、教庁の蔵書の閲覧予定などを立てて話が一区切りすると、用事はあらかた済んだ、とクルサートルが書類鞄に手をかけた。しかしそこへすかさず止めが入る。

「今日はクルサートルもすぐには帰らないで欲しい」

 空になったクルサートルの器に茶を注ぎ足しながら、目の前で顔に疑問を浮かべる客人を「当たり前だ」と斜めに見る。

「せっかく来るのなら夕飯も食べていくようにとミネルヴァ先生が。いつもいつも慌しくて最近はまともに話もしていないと嘆いていらしたよ」

 総帥直属秘書官は教会を統率する中央省庁幹部としてだけではなく、ケントロクスの施政も受け持つ。他の役人とは比べ物にならない業務量であり、クルサートルが聖堂へ訪れたのも気づけばかなり久しくなっていた。

 ほとんど祖母代わりのミネルヴァにそう言われてしまうとクルサートルも弱い。顔を合わせれば小言が待っているのだろうが。

「先生のその嘆きはどちらかというと非難だな。ここで帰ったらさらに俺の分が悪くなるのと同義か」

「承知しているなら逃げないことだな」

 セレンは久しぶりに見る幼馴染の困り顔を面白がりながら、円卓の端に寄せていた砂糖壺を中央へ滑らせる。

「ここまで来てミネルヴァ先生から逃げるのは至難の業だ。座って寛いでいったらいい。今回の外回りもどうせ大して寝ないでこなしてきたんだろうから、土産話でも……」

 そう言って腰を上げ、自分は夕飯の支度をしようと調理場の方へ向かおうとする。

 しかし卓から離れようとしたセレンの右手が、宙で止まった。

「なに」

 掴まれた手を振り払うでもなく、首だけを回して椅子から立ち上がったクルサートルを待つ。当の本人は打ち明ける秘め事があるような笑いを浮かべてセレンの脇まで来ると、先ほど卓越しに握ったセレンの手を開いて何かを載せた。

「なに、これ」

 クルサートルの手がセレンの手のひらから離れる。そこに現れたのは、小さな木箱だった。

「物を贈られた人間の反応じゃないな」

「贈る?」

「土産だよ」

「土産? クルサートルが? 私に?」

 心底意外だとセレンは目を丸くした。贈り物を受けた手のひらは、動きを忘れてその場で固まっている。

「そこまで疑問を畳み掛けられるのはどういうわけなんだ。さすがにへこむぞ」

 言葉とは逆に、クルサートルはむしろ困惑するセレンの反応を面白がっている。いいから開けろと促されるままに、セレンは指の長さの半分もない小箱の蓋を開いた。

 箱の中にあったのは一対の耳飾りだった。綿をくるんだ藍色の布に丸みを帯びた銀細工が横たわる。球形の飾りには細かくのみが入れられ、鳥の羽根を思わせる意匠が刻まれていた。

 そして一際ひときわ目を引くのは、中央に嵌められた極小の珠。

 あまりの美しさにセレンは呼吸を忘れた。

「この間の出張では余裕があったから。宿場街にあった店で見つけた。近隣の山々から天然石が産出されるらしく、石細工の職工が割と多いと聞く」

 芯に深い紅色を宿した石は植物の種ほどの大きさもない。しかし無数の角が細かく施されているらしく、照明の光をきらきらしく四方へ散らしている。

 クルサートルは飾りを布から摘み上げると、小箱を退けてセレンの手のひらに銀の対を直に置いた。

「悪いがそんなに高価な代物ではない。だが土産話の種くらいにはなるだろう?」

「なんでまた、私に?」

 教会に勤める者たちの身なりは基本的に質素であり、宝飾はおろか、衣服の生地さえ手頃な値段の麻や綿が中心だ。身につける数少ない装飾品といえば祈りにまつわる品に限られる。

 セレンは修道女ではないが、装いはやはり彼らと似たようなものだった。いまだって白の上着に足首近くまでの簡素な貫頭衣を重ね、色も娘にそぐう華やいだ暖色ではなく、落ち着いた樹の幹の色である。

「そのくらい着けていても別に怒られないだろう。修道院住まいだからといって服装規定があるわけでもないし、街の娘らしい格好をしてもいいんじゃないか」

 セレンが紅い宝玉に目を釘付けにしたまま全く動かないので、クルサートルはそんなに驚くことでもない、と続ける。だが、その言葉でふっとセレンの視線が揺らいだ。

「私が前に言ったことを、気にしているのか」

 夜闇の中、剣を携え暗躍しているセレンに対峙した者は、少なからぬ確率で初見で男と間違える。長身なのも原因だろう。

「男装まがい」というクルサートルの軽口に難を示したのはついこの間だ。

 その時のやり取りを思い返し、そこまで酷いかと鬱々と沈みそうになる。

 だが、即座に返ってきたのは「馬鹿、違う」と笑い混じりの否定だった。

「普通に考えて似合うだろう、セレンに」

 そう耳元で囁くと、クルサートルはセレンのもう片方の手に小箱を握らせて身を離した。

「銀細工ならその首飾りも合うし、セレンなら映える。そう思っただけだ」

 再びクルサートルが椅子に腰を下ろすのを背後に感じながらも、いつもは研ぎ澄まされているセレンの聴覚が、いまはうまく働かない。

 ケントロクスに来たときから肌身離さずつけている首飾りを縋る思いで握りしめる。

 否応なく高鳴る鼓動を止められない。

 耳に残る息遣いが、肌にまとわりつくようで。

「ありがとう……」

 やっと出た言葉は、耳を澄ませていても聞こえるかどうか。

 卓上で古書を開く紙擦れの音が立った。

 文字を追い始めたクルサートルの口元が、わずかにほころんだ。

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