神様立志編
第1話 始まり
あの世に行って三途の川を渡った時に1人の白髪の男に呼び止められた。「あなたねー。今度こっちに来た人は。」男はニコニコ笑いながらも、鋭い眼光を持ち、そのキラキラ光る眼球の中には光が神々しく差しているのが分かった。「そうですよ。」と私は答えた「あなたね。あなたは今度こちらで神様になったのだよ。」私は息をのんだ。「神様、神様って一体どういうことですか?」「あのね神社とか教会とかあるでしょう、そのトップと言うことだよ。」と男は言った「それであなたはどういう方ですか?」私かそう言うと、男は着ていた白い衣の懐から1枚の白い名刺を取り出して、私に渡した。
「神様エージェント高木務。」高木務と言うあまりに現世的な名前に私はますます訳が分からわからなくなった。一体神様エージェントって何のことなんだ。私は前世でも様々な人から馬鹿にされたことがあるが、この世に来てまでこんな扱いを受けているのではないだろうか。「神様になった人にオリエンテーションするのが私の役目でね。」と男は言った。「世の中には神様とか神様の使いとか伝道者とかなのって言うやからがごまんといるが、9割の奴らはろくでもないインチキなのでね。」と男は言った。そして懐からシガレットケースを取り出すと、細めのタバコに火をつけ、ふうっ、とふかした。何か空に舞い上がる煙がそれなりに神々しく見えてくるのが不思議で仕方ない。
「それでね。」と男はふかしかけの煙草を地面に落として足で火を揉み消した。こんな不道徳な振る舞いが「神様エージェント」と名乗る男にできることがなおも不思議だ。私は彼の足元をまじまじと見つめた。「君にはこれから神様オリエンテーションを受けてもらうことになった。」と男は私の目を見つめながら言った。「神様オリエンテーション?」、私はますます頭の中が空っぽになる気分で繰り返した。男の瞳の中では、ますますキラキラとした光が充満しているようだった。
「そうだよ。神様オリ。」神様オリと言う名称がますます私の頭の中を空洞化させたようだった。まるで何か私立の進学校へ受かって保護者と一緒に緊張していくようなニュアンスだ。新しい運動靴や、印刷したての匂いのする新品のテキストや、重い問題集や記入しないといけない誓約書、それらを袋詰めされて、教師に「これから頑張ってくださいよ。」と肩でも叩かれて校門を出ていくときの風景が頭をよぎった。
「神様オリ。」と男は繰り返した。「これから研修会場までこの車に乗って行こう。」と男は私の前方100メートル位先のところに止まっている黒塗りのセダンを指差した。側には同じく、黒塗りの制服に身を包んだ運転手がまんじりともせずに立ち尽くしていた。もうどうでもいいかと私は思った、どうせもう生きてはいないのだから、苦痛に喘ぐこともなかろう。それに神様ならひょっとして良い扱いをされることもあるかもしれない。お供え物だって神様には届いているはずだし、食べ物もふんだんにご馳走が食べられるはずだ。私は歩き出していた。
「前世でもさまざまに新しい仕事で戸惑ったこともあったけれど何とかなったじゃないか。それに他の神様だって助けてくれるに決まっている。何せ神様だから見捨てたりはしないはずだ。」あれこれ考えているうちに私は車に乗り込んでいた。運転手は何も言わずに前だけを見て砂地だけが広がる平原の中に真っすぐ走る一本道を運転し続けた。すると、突如霞んで前方に、まるでギリシャの神殿のような白い建物がおぼろげに見えてきた。
「研修センター。」と助手席の高木は言った「もうすぐですよ。みんな待っていますのでね。」高木はうれしそうに私に微笑んだ。そして助手席の下から運転手と同じような黒服に着替え始めた。そしてそうしながら運転手に向かって言った。「横山くん、奥さん元気?」「ええ。」横山と呼ばれたその男は30歳位の細身で背の高い好青年だった。「元気ですよ。今日はまた朝からおいしい卵トーストを作ってくれましてね。」「いいなぁ卵トースト、奥さん料理うまいもんなぁ。」全く現世的な話に拍子抜けしていると車はスロープをゆっくりと登りながら正面の車寄せに着いた。
白いエンタシスと言うのだろうか、巨大な柱が何本もある前で黒服の男たちが何人も出てきてドアを丁寧に開けた。「ようこそお越しくださいました、神様。」男たちは右手を胸につけ、頭を下げて恭順の意を示していた私は車から降ろされると高木を先頭に長く白いピカピカの廊下を前方へ歩き出した。眩しい光が一面にさして、本当に皇帝の宮殿とはこういうところかもしれないと思った。このような場所をいちど前にテレビで見たことがあると私は思った。
「クレムリン。」私の脳裏に浮かんだ言葉を思わず消し去ろうと務めた。以前テレビでニュースのプーチンが大広間に出てくるシーンがまざまざと浮かんだからだ。前を歩く高木がちょうどそれらしく見える。堂々とした足取り周囲への手による軽い挨拶、そして黒服。赤い絨毯の廊下は果てしなく続く。そして突如右へと高木は進路を取った。右の廊下を少し進むと、その大きな部屋の白い扉はあった。両側から黒服の男たちが素早く扉を開けると高木を先頭に私は部屋の中に入っていった。前に長テーブルが置かれ、まるで入社面接のように5メートル位離れたところに小さなテーブルと椅子が置かれている。高木が恭しく、私に手招きすると言った。「神様、さぁお座り下さい。」その椅子が私をのものらしかった。
「ご気分は大丈夫ですか。」 「ええ。」丁寧な物言いに私も相手に敬意を示し始めていた。「ご心配なきよう、万事私たちの言う通りに最初やってください。」と高木は言った。前の大きなテーブルの上に黒く大きな箱が置かれていた。1人の黒服が恭しく持ち上げながらそれを私のテーブルのほうに持ってくるとゆっくりとテーブルに置いた。「これにお着替えください。」
私は衣装ケースの蓋を開けると何やら帽子のようなものと少し紫がかった黒い着物のような衣装を手で触った。それは今まで身に付けたことのない上品なシルクのような手触りの着物だった。その下には下着のような白い衣と長い木片のようなものが手に触れた。「衣冠束帯ですよ。」と高木は言った。「ほら、歴史の教科書で源頼朝とか徳川家康とかが肖像画で着ている。あれですよ。」 私はすぐにそれを理解した。「あの神主の人もきているあれ?」高木は大笑いしながら手を前で振った。「神主ってあなた神様なんですよ。神主の人は白いのを着ているでしょう。あなたは最高位の正一位なのでこの紫色なんですよ。」
「正一位?」 私は思わずその歴史上としか言えない用語を繰り返していた。日本史は得意だった。律令制度のトップの位、太政大臣とか関白と同じ位のはずだ。「あなたはね。」と高木は言った。「律令制度では天皇陛下に告ぐ位なんですよ。」そして言葉をとぎって言った。「神様だしさぁ。」 私はその衣装に着替えることになった「ここで、ですか?」私はこの大広間より自分が心の準備をするために、小さな更衣室が欲しかった。それでその旨を高木に言うと、高木はうなずいて笑った「もちろんですよさぁ、こちらへお越し下さい。」と手招きすると、前方の白い扉を2人の男たちが再び素早く開けた。そして私は再び廊下へ出て前方にある小さな白い部屋に案内された「お茶でも飲みながらゆっくりどうぞ。時間はたっぷり用意されていますから。」高木は紅茶を上品にカップに注いだ。
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