第3話 開会


「大体な、徹夜って職員のことを君たちは考えてるのかね、ここの労働規約はどうなっているんだ。」私の声は緊張で震えていた「もう少しゆっくりと時間をかけてやってくれたら良いんだよ。ここの職員の皆さんにこれからもお世話をかけなければならないのに、神様の私がそんな横暴を働いていい訳は無いじゃないか。ただ私は、このセンターがより良い形になってくれたらという思いで言っただけだ。それに要らない書類は省いて私の方でメモしたり、手書きしたりすればいいじゃない。今回の研修も私の自主性を育てるために、こうやって全部白紙になっているのだから、皆さんがいいと思った結果を私に口頭で説明してくれたらいいだけだ。」


 高木も気になっていたのか右端に座っていた席をひとつ奥に詰めた。そして女性の職員に席を勧めると、彼女は軽く会釈して座った。私はちらっと高木の方を見た。すると、高木は右手でガッツポーズをしてこちらを熱い視線で見ているのが分かった。私の前方中央に座っている小男の所長がもそっと立ち上がって頭を下げた「すみません、初めから神様にこんなに気を遣わせてしまってなんと申し上げていいのか。」男は目を潤ませながら書類の束をトントンと机で打って揃えていた。


 「あの、」と右端に座っていた女性職員が、立ち上がって場の雰囲気を変えるかのように進行を始めた。「これからここの職員の自己紹介を一人ひとりいたします。進行役はこの浅見がいたしますので、皆様、私がお名前をお呼びしましたら、立ち上がって自己紹介をよろしくお願い申し上げます。」


 職員たちは姿勢を正して正前を向いた。「まず私ですが、当センターの事務を務めています浅見美香と申します。」浅見美香などと言う前世で余りにも一般的な固有名詞に私は頭の中が真っ白になる感覚を覚えた。いやこちらへ来てからこういう感覚はずっとあったのだけれど、改めてこういう固有名詞を耳にすると自分がもうどこにいるのかさえも判然としない気持ちだった。浅見は歳の頃なら30歳位の私の好きなタイプだった。少し顔がぽっちゃりとして大きく澄んだ瞳と細長い指がなんとも魅力的だ。高く澄んだ声にも私は魅了されていた。神様になってもこのような欲望があるのを私は不思議に感じていた。


 浅見はマイクを手に進行を始めた。「まず中央に座っていますのが当センターの所長を務める平岩敬語でございます。」小男は再び立ち上がった。「平岩でございます。さまざまに不手際もありましたが、何卒今後ともよろしくお願いいたします。」私は平岩につられて会釈していた。「それでは次に…」中央から左に右にひとりずつ自己紹介があり、私はそのたびに軽い会釈をした


 「さて、ここで一度小休止したいと思います。10分間の休憩後、本日の日程を説明し、研修を始めさせていただきます。職員はいちど退席させていただきますが、神様はその場でお待ちいただければと思います。よろしくお願い申し上げます。」マイクを置くと会釈して浅見も退出していった。緊張がほぐれて私は白紙の束を数えていた。高木が飛んできて涙目になりながら私に言った。「神様、素晴らしかったです、本当に。」高木は泣いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る