第71話 日本史最大の闇 (7)ー中臣鎌足、その正体。

 「入鹿の息は絶え絶えになり、やがて消え失せました。それでも私はずっと背中に乗っていました。すると暫くして帝が帰って来られ、こちらを見て呆然としておられたのです。


 私は帝にも責任の一端があると思っていましたので、すぐ目を逸らしました。息子である皇子を蔑ろにして臣下である入鹿を寵愛していたことに、事件を生み出した一因があるからです。すると私の態度を見て悟られたのか、帝は私の側へ寄り、侍女に声を掛けられました。そして白布を持って来させると体を拭いて下さったのです。そして白布で私を包むと殿中へ運んで下さいました。


 その日の夜、中大兄皇子と中臣鎌足に率いられた部隊は蘇我宗家のある甘樫丘を取り囲みました。蝦夷は館に火を放ち、一族郎党は皆刺し違えて蘇我宗家は滅亡したのです。


 これが乙巳の変の顛末であり、皇極帝は即座に退位し、鎌足が担いだ軽皇子が即位します。孝徳天皇です。筋書き通りの結果ですよね。


 後に鎌足の子、藤原不比等ふじわらのふひとの時代になり、この事件は全くの美談として書き換えられたのです。しかし書き換えさせた正史である「日本書紀」にはこの事件に関して謎とも言える一文が見出されるのです。それは入鹿暗殺の直後、古人大兄皇子が自宅に駆け込んで家人に叫んだこの一言です。


韓人からひと鞍作臣くらつくりのおみを殺しつ、

我が心痛し」と。


朝鮮半島から来た男が入鹿を殺してしまった、私の心が痛む。


 鎌足の息子、不比等は権力の頂点に立ちました。藤原一族は朝廷の高位高官を独占し、政治を思うがままに牛耳ったのです。丁度大宝律令が制定され、彼にとって次の任務は漢文で正史を編纂することでした。それは大陸向けに文明国としての日本国成立を宣言する仕事だったのです。


 不比等は藤原氏の氏の長者であり、一族の権力基盤を守らなければならなかった。そうでないと折角制定した律令制度も崩壊してしまうからです。私にはこの男の立場はよくわかる。しかし案の定、そうするために彼は歴史の暗部を塗り潰そうとした。


 正史である「日本書紀」は太安万侶おおのやすまろが編纂したことになっていますが、それを常に監修していたのは藤原不比等なのです。


 不比等という名前の意味を見れば一目瞭然です。歴史の「史」、という文字は大和言葉では「フヒト」と読み下すのですよ。そして歴史を記述するのが「史部ふひとべ」。


 彼は沢山の書記官を使い、その仕事を厳しく監視しました。しかし書記官の中にも良心や正義感に溢れた者がいます。彼らの中に、何とかして歴史の真実を後世に伝えたいと踠いた者たちがいたのです。この「韓人」の件もそんな一例です。


 では「韓人」とは誰のことでしょう。それは実は中臣鎌足、後の藤原鎌足、のことなのです。そしてその正体は滅びようとしていた隣国、百済から密かに人質として日本に来て亡命状態にあった百済皇子、豊璋ほうしょうです。」


つづく

















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