第19話 空手の師匠ー 宮城恵尚《みやぎけいしょう》登場


 

「あのもうひとついいかなぁ。」シュレネコはミルク皿から顔を上げると、少し首をかしげて言い聞かせるように話した。


「この研修所にはなぁ。もう1匹虎猫が飼われている。そいつも知能が高いやつなんだが、あいつの言うことだけは真に受けるなよ。七百猫しちももねこと言ってな、一万年近くこの世とあの世を行き来しているバケネコさ。でもあいつは食わせ者だからな。どうせ高木がそのうち君に紹介するだろうが、本当に注意しろな。」


 そう言い終わるとミルクを舐め終わり、ドアを開けるように言って、ゆっくりとどこかへ立ち去っていった。シュレネコが去ってから私は高木がくれた予定表にゆっくりと目を通した。明日はまず武道のトレーニングがニ時間予定されていた。高木の言う通り、少し遅い朝10時開始と言うスケジュールだった。


 昼休みが1時間あり、その後今日積み残した神様としての心構えについて講義が行われることになっていた。毎日午前中に当分の間武道が取り入れられているのは、どうやら何か敵対するものと戦わなければならない予感がした。


 午後は、宗教や歴史、哲学や物理などの講義やトレーニングが組まれていた。

「なかなか毎日キツそうだなぁ。」


 正直ついていけるのか不安もあったが、私の人生が冒険とチャレンジの連続だったので、楽観的な見通しで乗り切っていけるのではないかと考えていた。


 私は1週間の時間割を確認した後で、今後1年間のスケジュールについて薄い冊子のページを繰った。すると、1年以内に最終試験と言う予定がふたつ組まれていることに気がついた。最終試験に合格すると、どうやら神様の認定がいただける運びになっているようだった。


 冊子の最後に高木の言葉が記されていた。「最終試験の内容は今は言えませんが、少しハードな內容になっております。しかし、高木が担当として密にサポートいたしますので、ご安心なさって今後の学習を真面目に継続してください。

前世でも、業績を残されている花田さんなら、きっと乗り切れることを信じてやみません。   高木努 」


 私は少し安心した。高木をこれまでも信じてきてうまくいったじゃないか。これからもきっとうまくいくさ。私は夕食に用意されたアフタヌーンティーセットの紙パックからフィンガーサンドイッチをつまんだ。そしてマントルピースの上にあった洋酒セットから、小さなスコッチの瓶を取り、冷蔵庫の氷とともにオンザロックを作った。揺れるグラスを見つつ心地よい氷の音を聴きながらオンザロックを飲んでいると、うとうととしてそのままベッドの上に横たわり、そのまま寝入ってしまった。


 次の朝、目覚ましをかけ忘れて慌てるように飛び起きた。私はまだ6時にも届かない早朝であることに気がついた。カーテンを開けると鳥たちがさざめき、差し込んでくる朝日がとても眩しく感じられた。


 「いったいこの世界は雨が降らないのだろうか。毎日いい天気なのに水がこうやって不自由なく飲めるのはやはり前世とは違うのだ。」


と私は思った。真っ青な空には雲ひとつ浮かんでいない。爽やかそうな風が遠くの木々を揺らしている。芝生の中を2匹の犬が戯れ合って回転運動をしている。今日は一体どんな日になるのだろうか、そういうと昨日はこの大げさな衣装のままで寝入ってしまった。冠は床の上に落ちているし、木靴はベッドのあたりに散乱している。しかし衣冠束帯は上質のシルクでできているのでシワひとつついていなかった。私は洗面所の鏡の前で冠をかぶって衣装をただした。そしてルームサービスを呼んで、トーストとコーヒーの軽い朝食をとった。


 まだ十分に時間がある。私はもう一度予定表をじっくりと点検し、選択になっている講義にチェックマークを入れて高木に報告する用意をしていた。とりあえず神道の神様になるので、芸術は東洋美術史の方が役に立つのではと思い、そちらを選択した。


 武道の授業では、様々な選択項目があり、私は剣道や合気道、古武道などを選択した。空手と居合道は必修科目になっていた。きっと実戦に役にたつのだろう。


 時間になって「よし」と気合を入れると私はセンター1階にある武道場へ向かった。武道場は最初の研修が行われた会議場を左手に少し歩いた先にあった。ドアを開けると中は広々としており、一面にマットが敷き詰められていた。


 前方に道着を着たニコニコ微笑む白いひげの好々爺が立っていた。

「よくいらっしゃいましたな。花田様。」と老人は穏やかに言った。「まずはその先にある私の小部屋でその大層なお衣装を脱ぎ、道着にお着替えなさい。高木さんからあなたのサイズについては伺っておりますよ。」


 私を促すときれいに整理整頓された部屋の小さな机に私の白い道着と白い帯が置かれていた。私は着ていた着物をきれいにたたみ、道着に着替えた。老師の後には、二本の掛け軸がかけられていた。端正な楷書で書かれていたそれは、左から


「空手無先手、 右には「先正其心」とあった。


「空手に先手無し、まずその心を正せ。」


なるほどと私は思った。


つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る