第20話  空手に先手なし



 私には柔道の経験があった。和食の修行をしていた頃、精神修養のためにある道場で師匠と一緒に汗を流したたことがあったのだ。


 柔道の師は言った。

「柔道は相手の力を借りる武道なのです。柔よく剛を制す、自分の力ではなくて、相手の力を利用するのですよ。」


 空手もきっとそうなのだろう、自分から何かを仕掛けるのではなく、相手に仕掛けさせて、それを受けて自分が利用するのだ。私はそう思った。老師は私にどんな方法でもいいので自分をマットに沈めてみなさいと言った。


 「本当ならね、もっと基本からやるのですけれど、神様養成プログラムでは実践トレーニングを主としているので、少しはしょった練習をするのです。」


と、彼は申し訳なさそうに言った。私は考えた。ここで自分から仕掛けてもどうせ相手に力を利用されて、一瞬のうちにマットに叩きつけられるだろう。それなら相手の周りをぐるぐる回って苛立たせるのはどうだろう。師匠はたまりかねて私の方へ仕掛けるに違いない。そこをなんとかうまく崩せないものか。


 私は師の方を絶えず見ながら距離をとって、駆け足で回転し続けた。師はニコニコ笑いながら私の姿を追い続けている。負けないぞと私は思った。回り続けているとだんだん足が不安定になり、少し足がもつれた。その一瞬だった。師は「エイっ」と叫ぶと私のふらついた足を払ってマットに叩きつけた。


「はーっ、はーっ」


 私は肩で息をしながら師を見つめた。

「せ、先生。」

「なんですかな?」

 

師匠はまだ微笑んでいる。


「この軸には、空手には先手がない、そう書いてありますよね。」「あーその通りですよ。君」

「ではなぜ先生は先に仕掛けてきたのですか?」

「あはははは。」師は豪快に笑った。

「仕掛けたって、仕掛けたのは君の方だろう。」

「 え、まぁそう言われればそうですが。」


 師匠はまだマットの上で横座りしている私に対し、かがんで顔を近づけた。


「いいかね。君、花田さんでしたね。先手とは相手が先に何か誘いをかけてくることなんだよ。私はその誘いをよく見極める。そして相手の誘いを自分のコントロール下に置くんだよ。君はぐるぐる回って疲れ果て、私の思うがままになった。そこの弱みを突いて、私は後から仕掛けたんだ。これを剣道では「後の先」と言うんじゃよ。


 相手に打たせたい場所へ導いておいて、バランスが崩れたところをこちらが利用する。先手なし、と言うことは後手はありということじゃ。相手の誘いには必ずスキがある。君も何か争いに巻き込まれた時は相手の誘いに最初乗ってやることだ。わかるかな。」


 「はい。」


 師匠は私の肩をポンポンと叩いた。


 「そしてな、もう一つの軸に書いてあること、これが重要じゃ、まず、その心を正せ。相手の誘いに乗るのはいいが、相手のコントロール下におかれてはいかん。その時大切なのは、自分の心じゃ。自分の心を正しく保ってこそ敵を自分のコントロール下におけるのですよ。」


 私は空手の奥深さを知ると同時に、この武道の授業が神様業の大きな役に立つだろうと予想した。実際私は後にこのレッスンの真の意味を知ることになる。



つづく

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