第53話  徳川家康ー諦めない心のレッスン(3)



 岡崎の領地は今川に支配されたので、わしの家臣たちの苦労も人並みではなかった。戦さになる度に前線に送られて、命を失ったり、怪我をしたりするものも多かった。たとえ戦に勝ったとしても恩賞は何もない。今川が全部持っていくのじゃ。だから、重臣たちでさえ野に出て百姓仕事に精を出したのじゃ。


 しかしな、百姓たちと一緒に汗を流して田畑で働いたことで民の暮らしがよくわかり、また民と心を一にすることができたのじゃ。


 いつか民の暮らしを良くし、そして皆が命の奪い合いをせずともいいような太平の世を作りたい。徳川の家臣団は、皆、心からそう願った。三河武士が辛抱強く、そして勇敢さで知られるようになったのは、地を這うようなこの苦労のおかげじゃ。


 今川義元が桶狭間の戦いで戦死し、わしはやっと岡崎の城に帰ることができた。そこからがまた苦労の連続じゃ。今川の領国、遠江を手に入れて浜松に城を築いたのはよかったのだが、今川がいなくなったのを一番喜んだのが甲斐の武田信玄じゃ。甲州軍学の名にあるように信玄は戦さの天才で、泣く子も黙る武将であった。


 たちまち東三河に攻め込んできた信玄は、なんとわしの居城、浜松城を素通りして京へ上ろうとしたのじゃ。庭先を土足で踏み荒らされるのは武門の名折れ、しかも織田方には裏切りと映り、徳川はいずれにせよ滅ぼされるのがオチじゃ。わしは家臣と決心を固め、三方原で信玄を迎え撃った。


 この時ほど心胆寒かった事はなかった。何せ敵は黒々と塊り、まるで地響きのような唸り声をあげて押し寄せてくる。わしらの方は総崩れとなり、討ち死にも覚悟の状況となった。しかし、家臣たちはわしに進言したのじゃ。


 「何があっても、百にひとつ、千にひとつを信じて、生き延びましょう。逃げに逃げて、浜松の城へまずは帰って行きましょう。」


 どんなに危機的な状況でも命があればまた、何かできることがある。自分に宿る命の力を最後まで信じることじゃ。おかげで浜松まで逃げ帰ったわしの命を信玄は取ろうとはしなかった。花田殿、よいか、たとえもうダメだ、これでは勝てない、と思い至っても、百にひとつ、千にひとつの光明はどこかにあるはず。それを諦めたり、捨てたりすることこそ負けと言うこと。


 そして自分の周囲にいて支えてくれる者たちの教えをよく聞くことじゃ。幸い花田殿にはここにこのような側近がいるではないか。そしてまだ他にも何人か支えてくれる者もいるであろう。そのような者たちを大切にして、いつも頼りにすることじゃ、わかるかな。」



つづく



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