第69話 日本史最大の闇 (5)ー 邪魔者は順番に消す
そして、実際に殺害に向かったのは
ところが、生駒山周辺の民家に身を隠しているところを敵方に察知されてしまいます。皇子はこう言います。
「これでは周辺の住民に迷惑がかかり、彼らが犠牲になってしまう。私たちは斑鳩の地へ帰り、運命のなすがままになるしか仕方がない。」
仏教を奉じる皇子のなんと純真無垢な言葉でしょう。それに泥を塗るかのように、若草伽藍に帰り着いた彼らを待っていたのは、巨勢徳太や土師娑婆の殺人部隊だったのです。皇子は伽藍に火を放ち、一族25人は共に刺し違えて絶命されたのです。
このような惨殺は、日本史上でも悪質極まりない事件です。武力を背景にした戦国大名ならいざ知らず、仏の道を極め、人心を安んじようとしておられた皇子達の一族は暴力の前に消滅させられたのですよ。
そしてこの事件の首謀者は、軽皇子と彼を扇動した中臣鎌足、後の藤原鎌足なのです。蘇我入鹿は殺害には行っていませんでしたが、謀議に加わったことで当然非難を受けることになりました。
殺害が実行された時、入鹿は邸で周章狼狽しておりました。
「どうしよう、私は直接行っていないので、大丈夫だろうか?」
と私に言うので、父親に相談しろと言ってやったのです。父親の居室へから帰ってきた時、彼は青ざめた顔で目も虚ろでした。
「どうしたのじゃ。」と私が尋ねると、蝦夷から厳しい叱責を買ったと言うのです。
「お前と言う馬鹿息子は何と言う企てに加わってくれたものじゃ!お前の命はもう危ういし、私まで巻き添えになるやもしれぬ。この愚か者め!」
と一喝されたということでした。蝦夷は絶大な権力を握っていましたが、常識人でもあったのです。しかし、権力の中央にいた彼ら父子は、中臣鎌足と言う正体不明の男に首謀者として祀りあげててしまったのです。
鎌足が次に企んだのが入鹿の暗殺でした。邪魔者は消す。そこで仲間に引き入れたのが
実は皇極天皇と入鹿は男女関係にあったのです。入鹿は育ちの良い貴族らしい顔立ちで、豪奢な衣装も着こなして帝に気にいられていました。優柔不断で鼠のように臆病な入鹿が権力の頂点に入られたのも、皇極天皇の寵愛を一身に受けていたからなのです。
帝の息子である中大兄皇子はそれを知らないわけはありません。皇子の入鹿に対する憎悪と嫉妬の感情を増幅させたのが鎌足なのです。
そしてついに入鹿暗殺の日が来ました。皇極四年六月十二日、その日は三韓、即ち新羅、百済、高句麗の三国が
中大兄皇子と鎌足はふたりの暗殺者を雇いました。
つづく
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自分にとって初の長編小説を書き始めて、10万字を超えました。
このサイトで決して高い評価には繋がっていませんが、自分が10万字も文章を書いたのは、大学の論文以来です。そして、いつも
読んでいただける読者の方々にはとても感謝しても仕切れません。
私はたとえ少数でも、愛読頂ける読者の方々に向けて、またいつもコメントを下さる方々に向けて、これからも小説を書き続けようと決意を新たにしたところです。人との比較ではなく、自分の到達点にとても幸せを感じる日となりました。これは自分の精神的な成長でもあります。
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