第5話 神仏習合と本地垂迹ー高木の講義。

仏教伝来は、西暦552年とも538年とも言われています。

欽明天皇在位の元でのことでした。それまでの氏や村

にそれぞれ祀られていた神々を信仰していた氏族、

特に物部守屋は蘇我稲目とライバル関係にあり、それもあって

外国から来た新しい宗教に強く反発したのです。


大陸からもたらされた仏典は漢文で記述

されています。しかし、日本古来の言霊信仰は

それを恐ろしい形式だと考えました。

即ち、神聖な事物も汚れた事象も、文字に

なると目の前に出現してしまうと恐れたのですよ。

こんな恐ろしい宗教を導入すると、あまたの神々が

我々に祟りをなすであろう、と。


それで、とうとう蘇我氏と物部氏は戦さとなり

ました。この時、縁戚関係にあった蘇我氏の側に立って

戦さを指揮したのが誰あろう、厩戸皇子、聖徳太子です。

彼は四天王に祈願して、戦士たちを鼓舞し、

戦さを勝利に導きました。


四天王寺というお寺をご存知でしょう。これは聖徳太子が

戦神、四天王の加護に感謝の意を込めて建立した寺院

なのです。


平和がやっと訪れ、欽明天皇在位の元で、蘇我氏の庇護のもと

厩戸皇子が仏教を広め、仏教を通じて

人々の苦しみに寄り添い、尊敬を集めることに

なりました。


その中で豪族たちや民衆を納得させるために採られた

方法が神仏習合です。このようにして、仏教は定着

していったのです。次はこれを説明しましょう。


奈良時代聖武天皇の即位後、仏教は護国の宗教と認められ、

東大寺建立、大仏開眼で日本は唐から文明国と認められます。


鑑真和上が五度の渡航失敗にも屈せず、視力を

失うという苦難も乗り越え、来日され、

大仏開眼式で導師を務められたことがその証左で

しょう。


もう外交上誰も我が国を蔑む「倭国」と呼ばず、

「日本」という国号が正式に外交で堂々と使用されるよう

になったのです。


仏教が国教化された奈良期、仏教優位の方式が

採用されます。すなわち、日本の神々は仏の

化身であると。例えば阿弥陀如来は八幡神、

大日如来は天照大神であるという風にね。

これを本地垂迹と言います。八幡神は八幡大菩薩とも

言いますよね。


それまでは巫女などの依代に頼らなくては古来の神々

にコンタクトできなかったのです。しかし僧形となった

八幡神は八幡大菩薩となり、これは悟りを開くために

修行する僧形の修行者なのですよ。神が人となられた、

と言ってもあながち間違いとはいえますまい。

そして、人々は僧形となった八幡神の

肖像画を拝むことができるようになり、

巫女に頼らずとも人々は神様と

直接コミュニケーションできるように

なったのです。


そして、仏教寺院が優勢になると、

守護する鎮守社が各地に建てられます。

例えば藤原氏の守護である興福寺には

春日大社、東寺の守護社である

稲荷大社であるとか。これぞ、神道と仏教の

形勢逆転ですよね。寺院内に建てられた場合は

神宮寺と言います。


神仏習合とは、日本における仏教の定着を図ろうとした

合意形成であって、決して神々を粗末に扱うことでは

ないのです。むしろ本地垂迹によって人々は

神仏とより近い距離に置かれることができたのです。


神様研修において、神様が神社仏閣に派遣されるという

のはそういう意味なのです。」


高木は噛み締めるように講義をひと段落させた。 


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5話までお読みいただきありがとうございます。

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今後もよろしくお願いいたします。

著者より。



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