第86話  刎頸の交わり

 休憩になり、南研究員は小走りに平田研究員のもとへ近づいた。


「南ちゃん、おめでとう。皆んなに認められてオレもホント嬉しいよ。」


「平田くんがいつも支えてくれたお陰よ。私にとっては最初の本格的な機器開発だったから、大変だった。せっかく招聘したステグマイヤー博士を失望させる訳にはいかないからね。」


南の眼は潤んで、詰まりながら言葉を発した。


「じゃあ、お礼に行こう。」


話し合っていると博士の方から近づいてきた。


「ミズミナミ、今回のAI昆虫は画期的な成果だよ。これも君が徹夜で頑張ってくれたおかげさ。それと君を深夜までサポートしてくれたミスターヒラタに感謝するべきだね。本当に良かった。」


平田は博士に言った。


「ご安心を、彼女には十分感謝していただいていますよ。それもこれも博士の天才的な頭脳と類稀な熱意のおかげです。本当にありがとうございました。」


 ふたりは深々と礼をした。二人は博士に促されて会議室を出て行った。


 休憩時間が終わり、参加者は再び前の長机にある両側の席に戻った。中央の黒田が口火を切った。


「さあ、これから我々がどう行動するか、今日はシュレネコから提案があるそうです。シュレネコ君、私の前に座ってここで提案してください。」


「はい、お待ちください。」


 私はシュレネコがこんな丁寧語で黒田に話すのを初めて耳にした。

シュレネコは黒田の前に丸くなると説明と提案を始めた。


「先程説明しましたように、ツキヒコとマヤが肉体的に結合するのはかなり破壊的です。凡凡凹凸山の構造は陰陽思想における太極図のプロトタイプです。それはまた、この宇宙創生の暗喩でもある。


 太極図において陰の部分が大きくなってゆくということは、宇宙が膨張して巨大化し、総引力量の負担で巨大なブラックホールが生じるということです。


 しかし、ブラックホールは引き込む物質の代わりに、反物質を吐き出すのです。エネルギー保存の法則でね。例えば引き込まれた電子は物質です。太極図でいうと、陰の部分の中にある小さな陽の点ですね。その代わりにブラックホールの中から吐き出されるのが反物質。


 ブラックホールの中にある反物質がこうやってどんどん減少してゆくと、ブラックホール自体が消滅し、宇宙は再び膨張してゆく。即ち、ビッグバンは宇宙開闢ではないということになる。


 宇宙はこの太極図のように縮小と膨張を繰り返してゆく。この構造を見抜いたのがかのホーキング博士です。ブラックホールが物質を吐き出す行為をホーキング放射というのです。


 さて、では質量を持った物質と反物質、即ちプラスとマイナスに帯電した粒子を衝突、合体させるとどうなるか。プラスとマイナスで打ち消しあい、質量は消えて無くなる。しかし、質量は全てエネルギーに転化するというアインシュタイン方程式によって、恐ろしい量の光エネルギーが発生するのです。これを「対消滅」といいます。


 光エネルギーが熱エネルギーに転化し、周りのすべてが消滅する。今回の凡凡凹凸山におけるツキヒコとマヤの企みは「宗教的対消滅」を引き起こすのではないかと私は考えているのです。


 即ち、ツキヒコがマヤの体内に射精してエクスタシーに達した瞬間ふたりは消滅し、その代わりに巨大な破壊衝撃が発生し、神道自体が滅亡する。


 マヤは藤原氏が乗っ取ってきたと解釈する神道を滅亡させたいと願っている。きっと彼女は陰陽思想の根本を理解している。しかしこれをツキヒコは分かっていない。はっきり言って、先ほどのオババとのやり取りでもわかるとおり、アイツは神様なのにアホです。性欲ギンギンのアホ。だから始末に悪い。


 これをどうするかと言えば、アホなあの男をなんとか説得して、愚かな行為をやめさせるしかない。オババもその点でこちらには協力的ですが、オババの説得力は思春期のオトコを制する母親のように弱い。


 私はオババの配下である八重に説得をさせるしかないと思っています。彼女は歩き巫女で遊芸や売春を生業としながら諜報活動をしていました。文字は読めるし、頭脳も鋭いはずだ。だから八重にツキヒコと床を共にさせて、寝物語にこのことを説得させるのです。マヤと交合するとお前が消滅して、神道が滅ぶとね。


 そして、やはりこの時代背景を持つ八重に対してアクションを起こさせるため説得に行くのは、西洋文化に親しんだ私より後ろに控えている七百猫が適任だと思うのですが、それにはまず彼の承認を得なければならないです。


 七百さんよお、どうだろう、やってくれねえか。オレは卑怯かも知れんが、やはり君が太極図で説明してくれる方が説得力あると思うんだけどよお。」


 シュレネコはじっと後ろに控えて座っている七百猫を見た。


「お任せあれ、唯一無二の友のためには一肌もふた肌も脱ごうではないか。これこそまさに刎頸の交わりじゃ。彼がために首を刎ねられても本望という友のためにな。」


猫は高らかに承認した。


つづく




 













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