第56話 AIビリーの山頂トレーニング(2)
中央に私、左に宮城が、右にAIビリーが、屏風のように切り立った崖の上に立ち、遥か向こうに聳えるほぼ円筒形の高山を見つめていた。
「さあ、向こうの山まで飛びましょう。」
とAIビリーが言った。私は1歩も動くことができなかった。足元では小石が音を立てながら崖の下へ一つひとつ転げ落ちていく。向こうにある山までの距離は数千メートルはあるかと思われる。低い山々、曲がりくねった川、点描のような民家の群れが眼下遥かに霞んで見える。宮城は私に言った。
「先日あなたはセンターで灼熱の炎をその指から発射し、魔女が発した魔法を破ったでしょう。それを思い出すのです。あれは現実世界の中で起こったこと、今いるのはまったくの仮想空間じゃありませんか?
あなたは道場の畳の上に立っているのです。その現実を見極めるのです。幻から覚めるのです。」
私はなおも黙していた。今見ている光景があまりにも現実じみているので、宮城の言葉を信じようにも体が反応しない。
「目を閉じて、臍下丹田に力を入れ、深呼吸してみましょう。」
私は宮城の言うとおりに心を落ち着かせ集中しようと努めた。ここは断崖絶壁ではなく、道場の部屋なのだ。私には魔術を破る力がある。それはこの指先から来ていた。
私は両手を前に吐きだした。そして 1秒、2秒。
「だあーーっ。」
宮城はそう叫ぶと突然後から私の体を前に押した。私は目を閉じながら体を前にひたすら押し出した。浮遊感が生じ、私は空中に浮かんだ感覚をつかんだ。私は目を開けた。私の左には宮城が、そして右にはビリーが手を広げ、大空を浮遊していた。
眼下には低い山々や街並みや工場、道路を小さな蟻の行列のように進む車列が霞みながらも僅かに見える。顔に当たる風は強く、言葉を発することさえできないが、今まで体験したこともないような爽快感が全身に漲っていた。宮城が近づいてきて言った。
「さあ、向こうの山頂を目指しましょう。」
ビリーは私の方を見て大きく微笑んだ。私たちは速度を上げ、切り立ったもう一つの頂にたどり着いた。そこは出発点の山頂より広さが十分あり、3人は余裕で足元を踏みしめて立つことができた。
「やりましたね、花田さん。」
とAIビリーが私の方を向いて言った。
「この世はすべてこのような幻かもしれん。そしてそれを見極めることこそ、重要なのかもしれませんなぁ。魔女はその幻に取り憑かれてしまったのです。でも、花田さんはそれを幻だと見極めることに成功したのです。」
宮城はしみじみと語った。
それから以降もVRトレーニングは続き、私はどんな空間も自由に支配できるようになった。そしてある日からは、道場内ですらも空中浮遊できるようになっていた。考えてみれば、この世に来た私には、あちらの世界で身に付けていた分子や原子の組成から解放され、あちらの世界に存在していた物理法則からも自由である筈だった。
VRトレーニングによって私はそれを体得したのだ。私はついに道場の中で宮城やビリーと空中格闘し、時々二人をも打ち負かすことができた。また、時には二人とも同時に組み合って、マットに沈めることができるようになっていた。
” you are ready to fight. ”
ビリーは私の肩を叩いて噛み締めるように言った。
つづく
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