第61話 七百猫の過去世(3)


 その後、京へ上ろうとされた信玄公は、突如病に伏せられたのよ。そして城へ帰られ、私は死の床で信玄公に抱き抱えられておった。

 すると、信玄公は、ある日息子の勝頼様や重臣たちを集めてこうおっしゃった。


「良いか、向こう3年の間、我が死を何人にも知られてはならぬ。心して隠し続けるのじゃ。幸い影武者が10人ほどはいるであろう。その者たちを使え。これが我が遺言じゃ。」


とな。


 重臣たちや勝頼様は皆、下を向いて泣いておった。我が体も悲しみで震えておったのだが、暫く信玄公は我が背中を摩りつつ、静かに息を引き取られたのじゃ。


 わしはなぁ、まだ温かみが残る信玄公のおそばでじっとしておった。もう悲しゅうて、悲しゅうてのう。京へ上り、足利義輝様の管領となられて、室町幕府を再興されようとなされていたのに、さぞ無念であったろう、さぞ悔しかったであろう。


 信長は義昭様を担いで佐々木六角を近江で破り、京へ凱旋したが、幕府を滅ぼし、本願寺と争い、やりたい放題じゃ。まぁ、あの時代においては、信玄公とて古い体制を破壊されていたかもしれぬがのう。



 信長は尾張という肥沃な平野に生まれ、都への道のりもまだ近かったが、信玄公のおられた甲斐国はあまりにも京から遠く、険しい山山に阻まれておったが故に、夢を果たすことができなんだ。


 わしは悲嘆に暮れながらも暫く武田の屋敷におったのだが、勝頼様とはそりが合わなかった。勝頼様はあまりにも武田の力を過信しておられたからな。信玄公ですら、あの長篠の戦いで信長の鉄砲に勝てたかどうかはわからぬ。しかし、信玄公ならもっと思慮深い戦術を採られていた気がするのよ。


 それでわしは武田の屋敷を出て、家康公のいらっしゃる浜松城に向かった。信玄公は家康公をひとかどの人物と認めておられたからな。そして私は家康公にずっと飼われてれておった。


 花田殿は家康公にお会いになったということだが、やはり器の大きさを感じられたであろう。」


 「そうですね、普通なら私が御簾の下で控えてお話を聞くと言うことになっていたのですが、家康公は下へ降りてこられて、井伊直政様と一緒に酒を酌み交わしてお話を聞きました。」


「さすが神君よ。それに比べると、その昔、わしが仕えた蘇我入鹿は、頼りにならん男であった。祖父や父親が作った権力基盤にあぐらをかいて、豪族たちに命じて、私有民を勝手に使い、父親と自分の墓を造営させたのよ。


 このようなことが罷り通るのは、皇室だけのことじゃ。さらに父親の蝦夷が大臣になっていた間は入鹿も勝手に朝議に参列し、物申しておった。


 しかしな、入鹿は父親の権威を笠に着ていただけで、ボンボン育ちで気の弱いだけの青年じゃった。戯れついて来るこのわしをいつも大事にしてくれてな。父親譲りの金銀財宝をわしに見せびらかして得意がっておった。


 後に入鹿暗殺の原因となった山背大兄皇子やましろのおおえのみこ殺害は、もっと深いしかも恐ろしい裏があるのじゃ。今日は敢えてそれを言うまい。入鹿ひとりに罪を擦りつけた大悪人がいるのよ。


 あの乙巳いつしの変の折、入鹿が刺されて死んだ背中にわしは載っておった。かわいそうに、お前ひとりに罪を着せて口封じをし、権力を握る奴が正義の味方面をすることになろうとは。私はあの時ほど権力というものが人を悪に駆り立てる毒だと思った事は無い。


 これから数日の後、花田殿と高木殿は、私が最も敬う聖徳太子様にお出会いになるであろう。その時わしは太子様のお助けをして、あの忌まわしい事件の真相をお話しさせていただくことになる。その時まで待ってほしいのじゃ。


 そしてこの真相が、藤崎マヤの神社乗っ取りと強い糸で結ばれておる。そしてそれを断ち切るのが、花田殿のお役目でございますぞ。」


つづく



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